Mission10.家に帰ろう_04
ノックの音。硬質でトトトンと早いリズムはマチルダです。私の返事を聞いたのか聞いていないのか、ほとんど同時に扉が開きました。
「もうお目覚めで……まさか寝ていらっしゃらなかったんですか!」
マチルダは室内に入るや、ソファーの上の私と整えられたままのベッドとを見比べます。ズカズカと近づいて腕の中のフィーノを取り上げ、ベッドに置いてしまいました。
そういえば、フィンリー様の部屋から戻ってからの記憶が曖昧です。湯浴みをして薬を塗り直し、就寝の準備をしたらしいというのは今の自分の姿を見ればわかるのですけれど。
「さあ、フィーノが欲しければベッドにお出でください、奥様。少しは眠らないと」
「フィンリー様は?」
「まだ見つかっておりません」
「……もう、朝よ?」
もう何度も、この部屋へ誰かが顔を出すたびに同じ質問をしています。マチルダなら望む回答をくれると思ったのに。
彼女は何も言わないまま、私の腕と腰を取ってベッドへ運びました。女性にしてはかなりの力持ちです。ああ、フィンリー様が護衛として信頼すると言うだけのことはあるのね。
「主がどのような君命を受けていたのか、知りたくはないですか」
促されるままベッドに横になると、マチルダは寂しそうな顔で言いました。そしてなにも答えない私に構わず続けます。
「奥様との出会いの物語ですよ」
心臓が高鳴りました。それを聞けばフィンリー様にとっての私がなんだったのか、わかるような気がして。
でも、私は首を横に振ります。
「彼がお戻りになったら、直接聞かせてもらうわ」
「……では、昨夜の事件のあらましは」
私は頷いて手近な椅子をすすめましたが、マチルダはそれを固辞して話し始めました。
「シェラルド領を取り巻く事件の調査を進めた結果、必ずある男たちに行き当たりました。最初のスポンサーの死も、『奇病』の噂を広めたのも、フライング・ニュースの記者へのタレコミも、全て」
「それは誰?」
「右手親指に焼き印のある男たち。どちらも、シャーロット様が攫われかけた事件で死にました」
焼き印は犯罪者に入れられるものです。その文字によってどんな罪を犯したかがわかるのですが、右手親指は文字に関係なく聖職者が法を犯した場合に入れられる場所。聖職者だから、焼き印を入れることで刑罰を免除されるのです。
しかし刑罰を免除されたからと言って、そのような者を受け入れる教会は少なく。多くはその後も犯罪者に身を落としていくと聞きます。
「シェラルドと聖職者に関連性が見出せないわ」
「聖職者は貴族との繋がりが強いのです。我が国の識字率は6割程度ですが、聖職者なら誰であれ文字の読み書きができます。犯罪に手を染めた彼らはいつしか過去のコネクションを頼り、貴族の汚れ仕事を引き受けるように」
貴族の世界を知り、民の生活を知り、文字を理解している彼らは確かに、そういうことに重宝するのでしょう。
私は横に転がっていたフィーノをぎゅっと胸に抱えました。
「貴族が裏で手を引いていたのね。ダッズベリー侯爵?」
「はい。死んだ者たちは他の貴族ともつながりがありましたので、雇い主を特定できずにおりました。しかし……銀細工師はそうではありません」
「ダッズベリー侯爵はシェラルドの銀鉱山が欲しかったのね。そしてそれを理由に銀細工師を隣国から呼んだということ?」
侯爵がお連れになった銀細工師が、王妃殿下の覚えがめでたく……と言ったのは家庭教師でしたか。
王室御用達のアクセサリーショップ「アルシェ」の銀細工師は、シェラルド領へ来て鉱山の開発に関して聞きまわっていました。その姿を、フォーシル伯爵と一緒に喫茶店から目撃したのですよね。
「鉱山の権利を手に入れた暁には質の良い銀を任せると言って、彼を我が国へ連れて来たのだと、そう証言しました」
「それで、どうなったの?」
「こちらの件でダッズベリー侯爵の周囲を探るうち、背信の証拠が見つかりました。それで昨夜、王国衛兵隊が侯爵邸を包囲、侯爵および侯爵夫人の身柄を拘束したとのことです」
黒獅子卿ことフォーシル伯爵は情報局の所属です。情報局とは、国内の治安維持に関わる情報の収集と調査が主な仕事……。背信の証拠が見つかったとなれば、その忙しさは想像を絶するでしょうね。
私はフィーノのお腹に顔を埋めます。
「フィンリー様がずっとご多忙だった理由がわかったわ。……だから昨日、トビアス様はあんな暴挙を?」
「彼がパーティーへ出発する前に拘束するはずが、衛兵隊の目をかいくぐって家を出たらしく。トビアス・ダッズベリーはどうも、事前にこの情報を得ていたようなのです。ですが彼の死を持って本件は一応の解決ということになります」
城内のパーティーへピストルを持ち込むほどだもの、衛兵隊が迫っていることを知っていたのでしょうね。ただ、逃亡せずパーティーへ出席した目的はわからないけれど。
「解決だなんて、とんでもない。まだこの事件は終わっていないじゃない。フィンリー様がお帰りになるまで、ずっと終わらないわ」
「ええ、おっしゃる通りです。さぁお昼頃まで朝寝をしましょう。旦那様がお帰りになったときに、お肌がボロボロになっていないように」
マチルダが手を伸ばし、寝具を整えてくれました。
フィンリー様が帰っていらっしゃるまで、眠りたくないのに。彼におかえりなさいと言いたいのに。
「必ず、彼を見つけてね、必ず」
目を閉じると、すぐに睡魔に襲われました。
いまのマチルダのお話に少しの疑問が浮かんだはずなのに、それが明確な考えとしてまとまる前に、私は意識を手放してしまいました。




