Mission1.結婚しよう_04
夜になり寝る準備を終えて侍女たちが部屋を出ると、私は鏡の前に立ちました。
真っ直ぐな黒髪はさらりと肩に落ち、ランプの明かりを艶やかに反射しています。伯爵家、いえ、公爵家の力で毎日磨かれる私の肌は、日を追うごとに白さを取り戻しているようです。
肌が白くなると自慢のスミレ色の瞳も明るく見えます。だからこうして寝る前に鏡を覗くのが習慣化してしまいました。
「あら?」
にわかに屋敷が騒然とし、しばらくして隣室から扉の開閉音が。どうやらフィンリー様がお帰りになったようです。
資料室長というお仕事が閑職だなんてどなたが言いふらしたのかしら。毎日、朝から夜更けまでお仕事なさってるし、今日だってせっかく戻っていらしたのに、少しお茶を飲んだらすぐお仕事へ戻って。とってもご多忙なのに!
夜は遅いから出迎えはいりません、と、以前からそのように仰っていました。とはいえそういう契約というわけではありませんし、早くお帰りになるとわかっていたら下へ降りましたのに。
しばらく逡巡してから、私は意を決してガウンを羽織りました。フィンリー様が湯浴みなどを始められる前に、ご挨拶できればと思うのです。
私の寝室に、向かい合わせにある扉。一方はバスルームですが、もう一方はフィンリー様のお部屋へと繋がっています。
鍵はふたつ。私の室内から掛けられるものと、向こう側から掛けるものと。
控えめにノックをするも、返事はありません。もう汗を流しにいってしまったでしょうか。
「フィンリー様、いらっしゃいますか」
もう一度扉を叩いて声を掛けると、ガタガタと大きな音がしました。慌てて身体をどこかにぶつけてしまわれたかもしれません。突然すぎたかしら。
「レレレレイラさんっ? なっ、い、います。はい。どどどどうされましたか」
「あの、少しお話ができたらと」
「ちょっちょっちょっ、ちょっと待っ――はい、だだ大丈夫です」
バタバタと室内を走り回る様子の後で、向こう側の鍵が回る音がしました。私も深く息を吸ってから鍵を開け、ゆっくりと扉を押します。
「ど、どうぞおかけください」
扉を引き取ったフィンリー様が空いた手でソファーを指し示しました。お礼を言って座ると、彼はグラスをふたつ持って向かいに座ります。
「まだ着替えてもいらっしゃらなかったんですね。ごめんなさい、お邪魔してしまって」
「いえ、いえ、問題あり、ありません。なななにかありましたか」
そう言いながらグラスに水差しを傾けるフィンリー様に、私はどこからお伝えしようかと二度三度、「うーん」と唸ります。
「あの、昼間のお話……報酬をくださるって」
「あ、ああ。け、契約外の社交ですね。たた対価として相応しいと考えられる範囲でしたら、な、な、なんでも」
差し出されたグラスを受け取って視線を上げると、フィンリー様は目を逸らすというより、もはや顔を明後日の方向へ向けてしまっていました。ガウンを羽織っては来ましたが、薄着すぎたでしょうか?
ショールも掛けてくるべきだったかしら、と反省しつつ胸元でガウンの前をぎゅっと合わせました。
「一緒に、お祭りに行っていただけませんか」
「おま、お祭り」
二度見でもしたみたいに彼のお顔がこちらを向きました。もちろん、視線は別にあるのですけれど。
「例の褒章授与式、街ではお祭りなんですよね……? つ、次の日とか、前の日とかに、あの、ちょっとでいいので連れて行ってもらえないでしょうか」
初めての王都での生活、初めてのお祭り。どうしても好奇心が抑えられません。本当はひとりで行こうかと思ったのですが、夫婦……ですし。
ロマンの欠片もないプロポーズ、一時しのぎの白い結婚。わかっていても「夫」という存在にほのかな夢を見てしまうのは、仕方ないですよね?
「お祭りですか……」
「難しければ、あの、大丈夫です。すみません」
腕を組んで眉根を寄せるフィンリー様に、慌てて謝罪します。思っていたよりずっと難しい注文だったようです。これもまた、契約から逸脱したお願いだったでしょうか。
「ああ、いえ。後夜祭でしたら、おそ、恐らく仕事もつつ都合が付けられるでしょう。ここ後夜祭ではパレードがあり、あ、ありませんが、よろしいですか」
「ええもちろん! ああ良かった、楽しみにしていますね!」
フィンリー様の承諾が得られたことで、私は喜びのあまり勢いよく立ち上がってしまいました。お作法なんてすっかり頭からこぼれ落ちています。
おやすみなさいと言いながら踊るように扉へ向かう私に、静かな声が追いかけてきました。
「きょ、今日、無事にシェラルド家の、さっ、債務を代わる手続きが完了しました。引き続きよろよろしくお願いします」
「あ……はい、ありがとうございます」
スっと現実に引き戻されたような感覚です。大事なお話であることは、頭では理解しているのですけどね。
この結婚は、実家であるシェラルド家の、借金の返済まで含めた財政立て直しが条件ですもの。
フィンリー様と私とが、この先いつか本当の夫婦のような関係を築けるかもしれないだなんて、考えが浅いですよね。バカみたいだなって、薄っすらとした笑いが口元に浮かびます。
「おや、おやす、おやすみなさい」
「はい、おやすみなさいませ」
先ほどはしゃいでしまった分だけ、私たちの部屋を隔てる扉が重く感じられました。