Mission10.家に帰ろう_01
休憩室の外がなんだか騒がしくなりました。
多少は落ち着きましたし、考えても仕方のないことは後回しにしましょう。もう、フィンリー様と直接お話ししたほうが早そうですし。深呼吸して気持ちを切り替えてから、休憩室を出ます。
もと来た道を辿ると、ホールへ近づくにつれ喧騒が大きくなっていくことに気づきました。
ホールの入り口は開け放たれ、衛兵の姿がいくつか見られます。一体何が起きているのかと、出て行こうとする人々の波をかき分けてホールの中へと進みました。
まず目に付くのは、中央で向かい合う男性ふたりでしょうか。
黒獅子卿と、ダッズベリー侯爵のご子息トビアス様ですが、異様な雰囲気で……ちょっ、待ってください、トビアス様の手にあるのはピストルではありませんか?
どうりで誰もが彼らを遠巻きにしているわけです。ホールの奥には王子殿下がいらっしゃいますが、入り口付近にいる方々とは違う制服の衛兵が4名で守っています。
招待客たちはじりじりと出入り口へ移動し、衛兵たちは逆にすこしずつ近づこうとしているようですね。その中で避難誘導をする人……は、いつになく真剣な表情のテオ様でした。
さすがに多勢に無勢、トビアス様が取り押さえられるのは時間の問題と見えます。ただ問題は、黒獅子卿が素手……丸腰だということでしょうか。王族のいるパーティーに、普通なら刃物の一本だって持ち込めるはずがありませんから。普通なら。
怪我など、しないといいのですけれど。
「義姉さん!」
最前列へとやっとたどり着くと、避難誘導をしていたテオ様が手を止めてこちらへ叫びました。
「あ……テオ様、これは一体」
その時です。
耳をつんざくような発砲音と、シャンデリアがバラバラと弾け飛ぶ音が。壊れたガラス片が舞い落ちる様は、いっそ美しいほどでした。
しかしそれは、人々をパニックに陥れたのです。刹那の後、誰もが我先にと出口へ向かったためテオ様と引き離され、衛兵が押し流され、そして私は前へ前へと押しやられました。
「きゃあ!」
つんのめるようにして前へと出た私の腕を、強引に引っ張る手がありました。こちらの状態などお構いなしに引っ張られ、そして首元をがっちりと締め付けられます。
引っ張られた拍子に腰にテーブルが強く当たり、ガチャガチャと耳障りな音が響きました。
「いった……」
「義姉さん!」
離れたところからテオ様が私を呼びますが、一歩さえ前進することができないようです。
それもそのはず、私の右のこめかみに硬い感触があります。恐らく私はいま、トビアス様に捕らえられピストルを突き付けられているのでしょう。
黒獅子卿が今までに見たこともないほど鋭い目で、私の頭の上を睨みつけていました。
完全に人質となった私のせいで、衛兵もまた近づくことさえできずにいます。
「……どけっ」
頭上から野太い声が聞こえました。
トビアス様の左腕に首元を絞めつけられていて、頭が動かせません。瞳だけを動かして状況を確認したところ、衛兵が少しずつ後退して出入り口がすっきりとしていくようです。
「レイラ」
静かな、けれどもよく通る低い声で名を呼ばれました。
瞳を出入り口とは逆方向へ動かします。黒獅子卿と目が合うと、彼は顎を微かに動かしました。
彼が何を言いたかったのか、多分わかります。
私は首元を締め付けるトビアス様の左腕から片方の手を外し、できる範囲で腕を伸ばして辺りをまさぐりました。
あるはずなのです、テーブルの上には、カトラリーが。
私の左手は必死にテーブルの上を這いました。グラスを倒し、スープに指を突っ込み、よくわからない感触や、皿と思われる感触の中からただ冷たく長く平たいものを探し出すために。
トビアス様は少しずつ移動をはじめ、私も引きずられるように連れて行かれます。移動に合わせて左手の捜索範囲を広げ、そして、指先がそれを探り当てました。
手を滑らせないよう慎重に、けれど指を這わせてしっかり刃先を確認します。
逆手に持って、トビアス様の視界に入らない角度から腕を持ち上げました。
黒獅子卿と目が合います。トパーズの瞳は鋭く、けれども信頼の眼差しで大きく頷きました。
目を閉じて、大きく息を吸って。
私は目を開けるとトビアス様の腕にナイフを思い切り突き立て、それを引き剥がすようにしてしゃがみます。
「ぎゃあっ!」
トビアス様の叫び声と同時に銃声が響きましたが、それはホールの壁に飾られた絵画に穴を開けるにとどまりました。
すかさず黒獅子卿が床を蹴り、トビアス様へ飛び掛かります。
「くそっ!」
しゃがんだ私の背に酷く強い衝撃がありました。たぶん、トビアス様が蹴りつけたのだと思います。私はその場に倒れ、黒獅子卿の行く道を塞いでしまいました。
「レイラさん!」
黒獅子卿に抱きかかえられますが、その間にトビアス様はホールを飛び出したようでした。
ああ、そういえばシェラルドでも黒獅子卿は私を「レイラさん」と呼んでいましたね。
「フィンリー様……いえ、フォーシル伯爵、行ってください。私は大丈夫ですから」
私のこめかみにキスをして、黒獅子卿は私をそっと横たえました。
「テオ! 頼む!」
走り去る足音と、駆け寄る足音。私は細く長く息を吐いて、目を閉じました。




