Mission9.おとぎ話を思いだそう_03
王子殿下への形式的なご挨拶を終えて顔を上げると、殿下はしげしげと私の姿を眺めました。あまりにも露骨な視線でしたが、そんなに長い時間でもなかったのでとりあえず我慢です。
確か、殿下はフィンリー様よりひとつお若いはず。王族らしい華やかなお顔はまつ毛が長いせいでしょうか? 未来の眼力王ですね。
「なるほど、貴女がフォーシル卿を骨抜きにしたと」
「え」
「義姉上はこの通りの美貌ですから、誰であれ虜にしてしまいます」
「え」
この二人の会話は馬鹿にされているような気がしてなりません。貴族の会話ってホラ、言葉の通りに受け取ってはいけないと言うじゃないですか。いえ、テオ様は助けてくださったのでしょうけど。
そもそも、社交界ビギナーなのにいきなり王子殿下とお話だなんて難易度が高すぎます。なんと返すべきかと逡巡したとき、殿下の視線が私の後方へと向かいました。
「ああ、噂をすればだね」
振り返ってみれば、入り口近くに女性の集団が。その中でひょっこり飛び出している頭はダークブラウンで、黒獅子卿だとすぐにわかりました。
「彼は常にどこかで噂されていますからね」
「招待状は送ったが、本当に来るとは思わなかったよ」
殿下が意味ありげにこちらを見ました。その長いまつ毛の奥の目がイタズラに煌めいています。これは試されている? いえ、からかわれているだけでしょうね。
真っ直ぐに目を見返して微笑みを浮かべます。厳しくレッスンをつけてくれた家庭教師に感謝です。
「王家の繁栄を願う臣下であれば、迷うこともございませんわ」
「遅刻はしたがね。しかし、ストラスタン卿の姿が見えないね……迷子になってしまったかな」
やっぱりからかってますね! 思わずムっとした感情が口元に表れそうになって、慌てて扇を広げます。
「主人はもう、ここにおりますから」
テオ様が、そして私がいるのがなによりの証拠ですから。
私もテオ様も、小公爵の名代ですからね。
驚いたように瞠目した殿下は、すぐに表情を整えて満足気に頷きました。
「なるほど、骨抜きにされるわけだ。余までそうなる前に退散しよう」
言い返す間もなく、殿下はふらりと私たちに背を向けました。私とテオ様は礼をとって見送ります。
一体何がなるほどだったのかわかりませんが、それより今注意すべきは黒獅子卿です。
どうやら殿下へ挨拶するタイミングを見計らいながら、女性たちをあしらっているように見えますね。近づかないようにしなければと思いましたが、彼女たちがいればそう難しいことではなさそう。
同じく黒獅子卿を眺めながら、テオ様がふふっと笑います。
「フォーシル卿が来るとは俺も思わなかったなぁ、まさか本当に義姉さんのこと気に入ってたりして」
「テオ様まで! もう、冗談はほどほどにしてください。さあ、未来の花嫁を探さないといけないのでは?」
「アハハ、そうでした。ダンスカードを埋めないと。じゃあ義姉さん、隅に行きましょう。変な男に群がられたら、俺が兄さんに怒られてしまう。いいですか、あっちにいるのがダッズベリー侯爵子息のトビアス。彼には特に気を付けて」
テオ様が顎で指し示したほうには、頭髪が少々寂しくなりつつある男性が。若い女性に声を掛けては愛想笑いでいなされています。
フィンリー様のお話では、彼は独身だそうですから私に何かするということはないでしょう。ただ、以前の夜会での侯爵夫人の態度を思えば、ベイラールの人間というだけで何かされそうではあります。気を付けるに越したことはないでしょう。
ええ、私は社交界ビギナーですからね。テオ様もそれをわかってか、気を遣ってくださるようです。まぁ、壁の花にして置いて行かれるんですけど。
ホールの隅へ移動してお酒をチミチミと舐めながら、可愛らしい女性に話しかけるテオ様を眺めます。うん、慣れてますね。あっという間に女性の表情がお花のようにほころんで、互いのダンスカードを突き合わせはじめました。
「あれがプロの仕事……」
そう呟いたとき、すぐそばに人の気配です。
「おひとりですか、レディ?」
声を掛けて来たのは垂れ目の優男。そう離れていない場所で、下卑た笑いを浮かべる男性がふたり、こちらを見ています。
「その夜空のように煌めく髪、天高く輝く星のような瞳! わたしの心はいま、あふれ出る――」
「間違いです、出直してくださいませ」
垂れ目の彼が諳んじたのは、有名な叙事詩の中の一節です。男性が一目惚れした相手の女性について語ったシーン。初対面の女性を口説くために用いるなら、あまりにも露骨でセンスがないと言わざるを得ません……というのは、家庭教師の言葉です。
私がいかに遊びまわっているかを語る、例のフライング・ニュースの記事を信じたか、または確かめようとしている。意図は見え見えですね。
垂れ目さんは眉をひくりと動かして、表情を硬くしました。
「なんだと……っ」
「夜空のように煌めく髪、天高く輝く星のような瞳。……流れ落ちる一粒さえ取り落とすことのないよう、ずっと貴女を見ていたい」
また別の方向から同じ叙事詩が紡がれ、垂れ目さんは口を噤みました。
正確には「貴女」ではなく「彼女」ですが、この場合には貴女が正しいと言えるでしょう。叙事詩を正しく暗誦してみせたのは低くも温かな声です。
高鳴る胸を押さえて声のした方を振り返ると、そこにいたのは。
「……フォーシル伯爵」
「しばらくぶりだね、ストラスタン伯爵夫人」
どうしてフィンリー様と勘違いしてしまったのかしら。ちょっとフィンリー様に対しての気持ちが強すぎたかもしれません。彼なら助けに来てくれるかもなんて、勘違いも甚だしいわ。




