Mission8.正体を探ろう_02
カタカタカタと馬車の車輪が働く音が聞こえます。聞こえてくる音に反して振動はほとんどないのですけれど。
ベイラールの屋敷からストラスタン伯爵邸まで、そう距離はありませんが……フィンリー様とふたりきりの空間が居心地悪く感じられて、ずっと窓の外を見ています。
窓から覗く外の道は等間隔にオイルランプが吊るされているものの、道行く人の顔を判別するほどは明るくありません。
「お祭りが特別だったのね」
転がり出た言葉には特に意味はありませんでした。日が落ちたあとの王都の街を歩いたのは、お祭りの期間だけだったことを思い出したのです。
昼間のように明るかったから、王都ってすごいと思っていたのですけど。いえ、こうして道々にランプがあって、夜でも外出できるのだって十分すぎるほど凄いことです。
昔は外出禁止令があったんだ、なんて話すのは今やおじいさんおばあさんくらい。とはいえ法で制限されなくても、田舎は外に出るための明かりも目的もありません。やっぱり、王都はすごいです。
「ど、ど、どうかしましたか」
馬車へ乗ってからずっと黙ったまま、白い手袋の指先を見つめていたフィンリー様が口を開きました。
夫が男色家かもしれないと不安になりつつも、そうであってもなくても自分にはなんの関係もないという事実に打ちのめされている、と伝えたらどんなお顔をするのかしら。
そうです、最初からなんの関係もないのにどうしてこんなに心を乱されないといけないのでしょう。理不尽だわ!
「いいえ、なにもありません」
ゆっくり首を横に振ると、フィンリー様は手袋をきゅっと引っ張りながら「ええと」とか「あの」とか意味を持たない言葉を発しては口を噤む、というのを繰り返し始めました。
よほど言いづらいことなのかしら、と思うと少しだけ胸が締め付けられます。まさか、カミングアウト?
大丈夫です、ビジネスパートナーとして応援できるくらいの度量を持つ努力はしますから。努力は。今は気持ちが乱れているというか、少し腹を立てていますから「どうでもいい」みたいな冷たい言葉しかご用意できないかもしれませんけど。
「あさ、あ、明後日、休暇がとれたので、ア、アクセサリーショップへ行こうかと」
「わぁ、いいですね。どなたと行かれるんですか?」
「は、はい? え、あ、いや、ぼぼぼぼ僕とレ、レイラさんで。ちゃ、ちゃん、ちゃんとした装飾品をお贈りすると、やく、約束していました」
落ち着きのない様子で白の手袋と手袋が摩擦を起こしています。私がいるのとは反対側の下方を見つめる彼の髪の毛の隙間から、赤く染まった耳が見えました。
ずるい、ですよね。やっぱり私、フィンリー様のこと、もしかしたら好きなのかもしれない。どんなに悲しくても腹が立っても、笑ってほしいと思ってしまうんです。あと、ちょっとだけ、誘ってもらえて嬉しいとも。
どう返答しようかと逡巡したとき、馬車が止まる気配がしました。早く言ってしまわないと、お返事をするタイミングを失ってしまうかもしれません。
「あっ! はい、行きましょう。明後日、楽しみにしていますね」
「よ、よかった。実は――」
フィンリー様が何か言いかけたところで、外から従者の声。
私たちは馬車を降り、どこか気まずさを残したままそれぞれの部屋に戻ります。今夜は、部屋の前まで送っていただいても特に言葉はありませんでした。
ただおやすみなさいと言葉を贈りあって、部屋へ入りました。
暗く静かな部屋でひとりになって、気付くことがあります。
……やっぱり、フィンリー様とデートって気まずいですよね? うわー、どうして行きますとか言っちゃったんでしょう。ばかばか! 私のばか!
違う、そうじゃありません、夫というか異性として見るからいけないのです。お友達、そう、彼はお友達。
真っ直ぐ部屋の奥まで行き、出窓を大きく開け放ちます。窓の下に並ぶお花から微かに甘い香りが立ちのぼり、ささくれだった心を落ち着かせてくれる気がしました。
冷たい風が頬に気持ちよく、薄曇りの隙間から光る星は健気で綺麗です。
「はぁー……」
いけないと思っても大きな溜め息が。
溜め息をついたら幸せが逃げていくと言う人に聞いてみたいものですよね、自分の手の中に幸せがあるときに溜め息をつくのかって。
出窓の張り出した部分に両の肘をのせ、両手に顎を乗せて。淑女らしからぬ脱力した姿勢ですが、今は背筋を伸ばす気力すらないのだから仕方ありません。
「まさかよりにもよって、絶対ダメな相手を好きになってしまうなんて」
私がそう呟いたとき、右手側でけたたましいガラスの割れる音が響きました。
身を固くしつつ反射的にそちらを見れば、隣室からつながるバルコニーにフィンリー様の姿が。
お酒を召していらっしゃったのか、風にのってアルコールの香りが漂います。
もさもさの髪の毛と、眼鏡に反射する月光とが彼の目を隠していますが、たぶん、今はしっかりと視線がぶつかっている状態なのでしょう。
「あっ、あのっ」
フィンリー様があわあわと口を動かしますが、言葉にはなっていません。
時間の経過とともに、私の頭には血が集まってきて、すぐにも爆発してしまいそうなくらい熱くなってしまいました。
まっ、まっ、まさか本人に聞かれてしまうなんて!
「ご、ごめんなさい!」
何がごめんなのか私にもわかりませんが、とにかく伝えられるのはそれくらいで、私は大慌てで窓を閉め、カーテンを引きました。
部屋の外では、異音に驚いた侍従たちが集まって来ているようです。硬質で早いリズムのマチルダのノックが私の部屋にも響き、私は助けを求めるかのごとくに、扉を開けました。




