Mission7.報告をもらおう_04
朝、ですか。頭が痛い……。頭痛で目が覚めました。体中が干からびているような感覚に、水を求めて上体を起こします。
たっぷり中身の入った水差しがナイトテーブルに用意してあって、有能な侍女に感謝しつつ、2杯、3杯と喉に流し込みました。
「うー……。変な夢を見てしまったわ」
悪い人間に誘拐される夢です。でもフィンリー様が助けに来てくださいました。あっという間に悪者を倒して、「もう大丈夫」と笑ってくれるのです。
でもこれ、シェラルドで起きた事件を夢に見てしまっただけだと思うのですよね。フォーシル伯爵とフィンリー様を合体させちゃってますけど。いや彼らは合体してるかもしれないけど。いやそういう話ではなくて!
「お酒飲みたい……」
アルコールに逃避して依存する方の気持ちがほんの少しだけわかったような気がします。ワインの代わりにお水をもう1杯飲んで、体中の空気を吐き出すような大きな溜め息をつきました。
「奥様、お目覚めですか」
ノックと同時にマチルダの声が。入室を許可すると、洗面用の盥を持って入って来ます。私が顔を洗う間もテキパキと働く侍女の鑑です。
「私、途中から記憶が曖昧なの。マチルダには迷惑をかけてしまったかしら」
私の言葉にマチルダが手を止めて振り返ります。
「いえ、仕事ですから迷惑などとは。ただ、前後不覚となった奥様を一人ではベッドまでお連れできず……」
「ええ、そうよね」
他の侍女にもあとで謝らなくてはいけないかしら。それが侍女ではなくカーラだったら、きっと叱られますよね……。
「旦那様にお運びいただきま――」
「なんですって?」
マチルダの言葉に被せるように再確認です。え、だって、え? ごめんなさいちょっと私の頭は理解を拒否しているようなので、是非もっと分かりやすい説明をいただければと思うのです。
「カーラを呼ぶつもりが、通りかかった旦那様が心配だとおっしゃって様子を見にこちらへ。その場で寝かせたほうがよいと判断し……」
「はい、わかりました。ありがとう。お酒持って来てくれる?」
叫びだしそうになるのを寸でのところで我慢して、深呼吸です。こういうときにはお酒に逃げましょう、そうしましょう。
マチルダはそんな私を笑顔でいなします。
「いいえ、お食事にしましょう。締め付けのないドレスにいたしますから、さあお召し変えを」
ベッドを降りると、昨夜のドレスのままだと気づきました。どうりで悪夢を見るわけです。上半身の締め付けもコルセットさえも緩めてあるとはいえ、こんなごわごわした衣類で寝ればそりゃ疲れますから。
もちろんコルセットを緩めてくれたのはマチルダですよね、そうですよね、そういうことにします。
鏡の前に立つと、マチルダが眉根を寄せました。
「お顔もぱんぱんでございますね。お食事のあとは湯浴みと、マッサージを。準備を考慮すると、あまり時間もありません」
「時間? 何か予定あったかしら」
確かにひどい顔をしていると我ながら思いますけれど、誰かにお会いする用事はなかったはずです。
このお屋敷ではいつも淑女教育やダンスのレッスンを受けて過ごしていますから、もしかして、淑女らしからぬお酒の飲み方を注意されないように……?
首を傾げる私に、マチルダは神妙なお顔で頷きました。
「今夜はベイラール公爵家での夕食となっております。旦那様が王都へ戻られるなり公爵家とそのように調整なさったとか」
「聞いてないぃぃ」
「ええ、ご本人も言い忘れたと今朝。旦那様はもう登城なさいましたが、奥様をお迎えに早めに帰ってらっしゃるとのことです」
無理です、無理です。鏡の中の私の頭が左右に揺れました。
昨日の今日でフィンリー様とふたりで馬車で移動とかできませんし! どんな顔をすればいいんでしょうか?
「私、今日は体調が」
「お水をたくさん飲んで、特製の麦がゆを召し上がれば治ります」
マチルダの笑顔が悪魔に見えます!
結局、私の体調不良の訴えは聞き入れてもらえないまま、夕方を迎えました。
腫れた顔もどうにか見られるくらいにサイズダウンして、準備は万端です。以前夜会へつけていったのと同じブラウンガーネットのネックレスが、今日はなんだか虚しく感じます。
フィンリー様の髪と同じ色の宝石を、私がまとっていいのでしょうか。
ああ、でも私はビジネスで奥様をやっているんですものね。こういう些細なところから、おしどり夫婦を演じなければならないのでしょう。
エントランスへ降りると、お帰りになってから着替えて準備を終えたフィンリー様がすでにお待ちでした。
「あ、ああ。き、きき、綺麗ですね」
顔を合わせるなりそのように仰ってくださいました。が。視線はもちろん合いません。彼はいつものように右下を見つめています。
一体どこを見て綺麗だなんて言うのかしら。フォーシル伯爵とはしっかり目を合わせるのかしら。
うう、なんだか腹がたってきました。平常心でいないといけないのに!
不自然にならない程度に深呼吸をして、できる限りの笑顔を浮かべます。作り笑顔は淑女教育でみっちり仕込まれましたからね。
「お待たせしました。フィンリー様も素敵ですわ」
「……な、な、なにか怒ってますか?」
「まあ! どうしてそんなことをおっしゃるんですか?」
「め、目が、わらっ笑ってないような。いえ、ぼ、僕の勘違いでした」
目なんて、合ったこともないのに。どうしてそんなことを言うのかしら。
行きましょうかと差し出された不揃いな指先が、今日はなんだかとっても、憎らしく見えました。




