Mission7.報告をもらおう_01
そわそわと、スカートを握りしめたり伸ばしたりを繰り返します。何度か注意してくれたマチルダも、今はもう何も言いません。
馬車の窓から流れる景色は見慣れた王都です。次の角を曲がったらストラスタン邸だと、そう気づいたときからさらに落ち着きをなくして、マチルダがカーテンを閉めてしまいました。
屋敷へ戻ったらカーラをはじめとした侍従の皆さんにご挨拶をして、フィンリー様がお帰りになるまでに着替えをして……そんな手順を頭の中で何度も何度も繰り返すうち、ついに馬車が動きを止めました。
少しの間の後で外から声がかかり、返事をします。ゆっくりと扉が開き、車内に差し込む光。眩しさに目を細めながら、差し出された手をとろうとして。
白い手袋の指先が、揃っていません……!
反射的に顔を上げれば、そこにいらしたのは猫背でふわふわモサモサした髪の男性でした。頭が真っ白になって、ただ身体が決められた動きをなぞって彼の手に左手をのせます。
「お、おおおかえりなさい、レイラさん」
馬車から降りた私に、フィンリー様がそう声を掛けてくださいました。半月ぶりの、優しい声です。
「フィン……っ」
「わっ、えっ」
思わず、本当に思わず、彼の胸の中へと飛び込んでしまいました。
彼の姿を見て、彼の手をとって、彼の声を聴いて、急にホッとしたのです。離れていた時間は気にならなかったのに、私はずっと気を張っていたみたいで。
初めてこの屋敷へ来た日、転びかけた私を支えてくれたのと同じように、安定感のあるフィンリー様の腕が私を受け止めてくれました。
フィンリー様の胸に顔をうずめるのは初めてですが、なんだか以前から知っているような気持ちにさせる温もりです。
「ごめ、なさい」
謝る私の後頭部を、彼の手がぎこちなく上から下へと二度だけ撫でました。それを合図に、私は体を離します。
「ぶ、ぶ、無事でよかったです。おかえりなさい」
「はい、ただいま帰りました」
斜め下を見ているフィンリー様の耳が赤く色づくのが、髪の隙間から確認できました。帰って来たんだなという実感がふつふつと湧いてきます。
「それで、おふたりはいつまでそこにいらっしゃるおつもりですか?」
背後からイラついたマチルダの声です。邪魔だと言わんばかりの声音に、思わず笑ってしまいました。
「ふふ、そうね。ごめんなさい。行きましょう」
迎えに出ていた侍従たちは、やはり深くお辞儀をしたまま。これが一流の従者……と感動しかけましたが、やっぱりよく見たら皆さん笑ってるようでしたので前言撤回です。
フィンリー様のエスコートで私の部屋の前まで来ると、腕から離した私の手を持ったまま彼が口を開きます。
「つつつ疲れてるでしょうから、先ずは、か、か、体を休めてください。しょ、食事のときに、また」
「は、はい。また」
そっと手が離れて、フィンリー様が背を向けます。
なに? いま、なにが起こったのでしょう?
未だかつて、エスコートのさいごに私の手をとって言葉を掛けてくださったことがあったでしょうか?
そんな、娯楽小説の中の男女がするような、そんな、え?
勘違いしてしまったらどうするんでしょう! んもう!
私は思考をかき消すように急いで部屋へ入って、いつもより乱暴に扉を閉めました。
心を落ち着かせようと室内をぐるっと見回すと、まずはベッドの上にクマのフィーノ。お祭りデートの記念のクマですね。
そして次に、荷物がすでに部屋へ運び込まれていることに気がつきました。
あとでどなたかが片づけてくださると思うのですが……。
「ああ、そうだ」
あえて言葉を口に出して平静を装いながら、荷物を開けました。
この中には、シェラルドの屋敷を発つときに弟からもらった手紙が入っています。
フィーノを抱き上げてソファーへ腰掛け、道中に何度も読み返したこの手紙に再度目を通します。
『――言うべきか迷ったんだけど、姉さまには知らせておくべきだと思って。領主の仕事を覚えるために、ぼくが父さまの手伝いをしてるのは知ってるよね。開発のために鉱山の詳細調査をしてたとき、確かに何度か部外者を見かけたよ。それで実は、そのうちのひとりが……フォーシル伯爵なんだ。ぼく以外の誰も気づいてなかったと思う。だけど、あんな美形を見間違えるはずないし間違いないよ。姉さまが部外者について調べてたって聞いたから。それだけ――』
スッと頭から余計な熱が引いて行くのを感じました。
フェリクス・フォーシル伯爵……彼は一体何者で、何が目的なのでしょうか。
シェラルドに来たことがあるのなら、その話をしてくださっても良さそうなものです。でも彼はそうはしなかった。
一方で、カフェでパーキンを残してしまったことに恐縮する姿も、失踪したお姉様を心配する私の不安を和らげてくださった姿も、ローガンと揉めたときにすぐ駆けつけてくださった姿も、全て偽りとは思えないのです。
どうしたものかと頭を抱えたとき、部屋にノックが響きました。硬い音で早いリズムのこのノックはマチルダに違いありません。
「どうぞ」
「奥様、お召し変えを……お顔色が優れませんね。夕食まで少し時間がありますから、横になりましょうか」
扉を開けるなり、マチルダは目を丸くして駆け寄って来ました。
「そうね。疲れが出たのかもしれない」
頷く私の手からフィーノを取り上げて立たせ、手際よく脱衣を手伝ってくれます。あっという間に寝間着へ着替え、髪も下ろして楽になりました。
「お食事の時間になりましたら参りますから」
そう言うマチルダの瞳には、慈愛の色が浮かんでいる気がしました。シェラルドへ向かう前にはとってもとげとげしかったのに、いつからこんなに味方だと思えるようになったのでしょう。
「ありがとう」
マチルダは微笑みを残して部屋を出て行きました。




