Mission6.家に帰ろう_03
黒獅子卿は私の部屋のソファーへ私を降ろすと、すぐに部屋を出て行かれました。
「ここにいる間はできるだけ侍女から離れないように。おやすみ」
「おやすみなさいませ」
扉が閉まるのを確認して、マチルダはフンと小さく息を吐きました。就寝の準備を始めようとするマチルダをぼんやりと眺めます。
「フォーシル伯爵って、不思議な人ね」
「……気になりますか」
ほんの一時だけマチルダの手が止まりましたが、何もなかったかのようにすぐに動きだします。
「フィンリー様とよほど仲がいいのかしら? マチルダの本当のお仕事が護衛だってことも、最初から分かっていたようだけど、フィンリー様から聞いていたのかなって」
「武術の心得がある侍女は少なくありません、というより、護衛に侍女としての職能を学ばせることはあります。女性しか入れない場所もございますから」
「なるほど」
マチルダは私の目の前にお茶を差し出して、話はこれで終わりだとばかりに部屋を出て行きます。湯浴みの準備をするのだそうです。
「世間話には付き合ってくれないかー、そうだよねぇー」
大きめの声で独り言をぼやき、両腕をあげて伸びをしました。そのままソファーの背に頭をのせ、目をつぶります。
彼が不思議だと思うのは、マチルダのことだけではないのですよね。どこがとは言えないのですが、何か、何かが引っかかるのです。
一体何に引っかかっているのかと、黒獅子卿と過ごしたこの二日間を振り返ってはみるものの、やはり思い当たりません。そのうちに、扉の開閉音が聞こえてきます。
「奥様、ここで眠ってはいけません」
「寝てはいないわ、少し考え事をしてただけ」
目を閉じたまま答える私に、呆れたような声が返ってきました。
「フォーシル伯爵でございますか」
その言葉に私は跳ねるように体を起こし、マチルダの目を見つめます。
「ねぇ、あの方とフィンリー様はどのようにして親交を深めたのかしら?」
「奥様。契約上、恋人を持つことは自由でございます。ですが、フォーシル伯爵だけはおやめください」
「そんなつもりじゃないわ! でも、どうして?」
慌ててマチルダの勘違いを否定しました。何か気になるのは確かですが、それは恋とか愛とかそういうふわふわしたものとは違います。……恋も愛もよくわかりませんけど。
マチルダはテキパキと動かしていた手を止めて、こちらを向きました。
「あの方のお心が手に入ることは絶対にありませんから」
「んん? あー、そういえばフィンリー様の弟の……テオ様が言ってたわね。旅回りの女優に愛を捧げているって噂があるとかなんとか」
じっとマチルダの表情を見つめながら様子を伺ってみましたが、眉ひとつ動かさないまま、そして返事もないまま、私はバスルームへと引きずられていったのでした。
その後もマチルダはお喋りに付き合ってはくれないまま、就寝の時間に。
部屋にひとりになり、ふと思い出して戸棚を開けます。そこには私が過去に愛用したナイフが仕舞ってあるのです。中には、ブーツにひそませるものや腿に装備するものも。
今後も危険な事態が起こる可能性があるのなら、どれか持って帰ろうかと思ったのですが。うーん。日常的にドレスを着用する以上、狩りのために作られたこれらを身に着けるのは現実的ではありません。まさかドレスを腿までめくるわけにもいきませんし。
「はぁ。ふくらはぎにくくりつけるタイプを特注するしかないかなぁ。腰ベルトのは黒獅子卿にいただいたし……」
溜め息とともに名残惜しい気持ちでナイフのコレクションを一睨みして、戸棚を閉めます。
が。私は何か引っかかりを覚えて、戸棚に手をかけたままの姿勢で動きを止めました。へたに動いたら、この違和感がどこかに行ってしまいそうですから。
「ん! あのナイフ、頂いたという理解でいいのかしら。もしかして、お借りしたもの?」
慌ててクローゼットを開け、黒獅子卿にいただいた、いえ、お借りしたのかもしれませんが、ホルダーとベルトを手に取りました。
ダガーはしっかり磨きあげましたから、新品同然の輝きを放っています。
ベルトを腰に巻いて鏡の前へ。
「これだわ……」
黒獅子卿に対して抱く不思議な気持ちのひとつは、これだったのです。なぜ彼は、女性用のベルトを持っていたのでしょう?
しかも、ホルダーもセットですから狩猟用のベルトに違いありません。女性用の狩猟ベルトなんて簡単に手に入るものではないのです。
私がナイフが得意だと、フィンリー様が伝えたとしか考えられません。でもそうだとして、なぜ事前に用意していたのかしら。ナイフが必要な状況になると、わかっていたのでしょうか?
それなら、犯人に指示をした黒幕というのは?
事件は犯人が死んでしまったからという理由で情報局の預かりになりましたが、それは彼の一存で決められることなのでしょうか?
「考えすぎかぁ」
ベルトを外して元あった場所へしまい、明かりを消してベッドに横になりました。
黒獅子卿が昨日の事件を起こす目的がさっぱりわかりませんもの。すでに地位も名誉もお持ちですし、事件をでっち上げる必要なんてありません。
シェラルドの信頼を得たとして、何かにつながるわけでもありません。
……鉱山?
まさかまさか。
フィンリー様が信頼している方を疑うだなんて、どうかしています。
頭の中のモヤモヤをとっぱらって、いちごのケーキに思いをはせながら寝ることにしましょう。




