Mission1.結婚しよう_02
ロマンの欠片もないプロポーズから半年近くが経ち、私は新居へ向かう馬車にいます。
わかります? 結婚に関わるあらゆる条件について話し合って契約したのはたったの数か月前です。そして今、私は既に結婚式を終えて王都にある新居へ向かっているという。
いえ、プロポーズや結婚式にロマンを求めるのは捨てきれなかった小さな乙女心だけで、フィンリー様のお申し出にもこの事態にも思うところなど何もないのですが。……何もないは言いすぎかもしれないけど。
あまりにも現実感に乏しいのに、目の前には今日から私の旦那様となったフィンリー様がいらっしゃって。思考が追いつかないのが逆に可笑しくて。
私の口元が緩んだとき、馬車の揺れが止まって外から声がかかりました。
「到着いたしました」
「は、はい」
従者にフィンリー様が返事をなさいます。実家に公爵家の馬車がお迎えに来てくださったときから、私には驚きの連続です。だって、まず馬車で遠出すること自体が稀でしたのに、随伴する従者など初体験ですもの!
フィンリー様の様子を伺いながら、少しずつ慣れていかないといけませんね。
結婚式のためにお贈りいただいた純白のウェディングドレスの皺を伸ばしながら、自分自身の背筋も伸ばして扉が開くのを待ちます。カチャリと音がすると、皺を伸ばしていたはずの手がぎゅっとスカートを握りしめました。
「お、おつ、おつかれさまでした。どどどどうぞ」
「ありがとうございます」
フィンリー様が先に外へ出て、手を差し出してくださいました。
不揃いな指先、少し遠い位置に用意された手、そしてこちらを向かない視線。エスコートのなんたるかを知らない私でさえ、これが決して洗練されたものではないと直感的にわかります。
だから、ホッとしました。
彼の背後に並ぶ侍従たちや、お城かと見誤ってしまいそうなほど荘厳な屋敷も気にならないくらい……は言い過ぎですね。気にならないわけがありませ――
「きゃああっ!」
「レイラさん!」
ドレスの裾を踏んづけてしまい、転がり落ちるように前のめりに飛び出した私をフィンリー様が支えてくださいました。私の心臓はバクバクと大きく跳ねまわりましたが、安定感のある彼の腕に抱えられて次第に落ち着きを取り戻します。
「しっ、失礼しました」
「いえ、ぼぼ僕のエスコートが悪かったのです。だだだ大事にならずあ安心しました」
ゆっくり確かめるように地面に足をつけ、フィンリー様の介添えを頼りに身体を起こしました。居並ぶ侍従たちはみなさん深くお辞儀をしたままで、私の粗相には目もくれません。
これが……一流の従者!
ひとりの足で立った私から手を離し、フィンリー様はご自分の足元を見つめながらもさもさの髪に手をやりました。
「ぼぼ僕は先にへ、部屋へ戻ります。屋敷の案内などはカーラにまか、任せますので」
フィンリー様が手で指し示した先で、母と同じくらいのご年齢と思われる女性が私と目を合わせ、そして折り目正しい淑女の礼をなさいます。私よりずっと綺麗な姿勢に、思わず「わぁ」と声が漏れました。
「承知しました。カーラさん、よろしくお願いします」
あっという間に屋敷へと入っていくフィンリー様の背を追うように、カーラさんの先導で屋敷の扉をくぐりました。
意地汚い言い方ですが、エントランスホールの装飾品だけでシェラルドの屋敷をまるごと買ってもお釣りがでます。間違いありません。
「これが公爵邸、ですか。さすがに煌びやかですねー!」
キョロキョロしながら感嘆の声をあげる私に、カーラさんは静かに首を横へ振りました。
「いいえ。こちらはストラスタン伯爵邸でございます、奥様」
「あっ、あー、なるほど。ストラスタン。……なるほど?」
そう言えばフィンリー様との結婚が決まってすぐ、お父様から説明を受けていました。ストラスタン伯爵位はベイラール公爵に付随する称号で、現在は小公爵様が名乗っておられるとか。
あまりの豪華さにここが公爵邸だと思い込んでいましたが、そうでしたか。
「公爵家の持つ屋敷のひとつですが、ストラスタン伯爵であるフィンリー様はおひとりでこちらにお住まいなのです。なんでも、静かな環境でお休みになりたいのだとか」
「静かな環境ですか。私がいていいのかしら」
「なにをおっしゃいます! あのお坊ちゃまがご結婚をお決めになったのですから、カーラはもう思い残すことはございません!」
「ええっ?」
カーラさんがぎゅっと私の手を握りました。私を見つめる瞳には、涙さえ浮かんで見えます。
「お仕事以外ではいつもお部屋に籠ってばかりのお坊ちゃまが、こんなに可愛らしい奥様をお連れになるだなんて! 我々一同、主たるストラスタン伯爵、そして伯爵夫人へ誠心誠意お仕えします」
「は、はいぃ……。ありがとうございます」
気づけば私たちの周囲に多くの侍従が集まり、カーラさんと同じ表情で何度も何度も強く頷いていらっしゃいました。
もしかしなくても、私がビジネス嫁とはご存じないということですよね? 契約書上では、一部の侍従はこれが契約結婚であることを知っているとありました。が、彼らではないようです。
まさか日常的に愛妻を演じなければならなかったとは。これは、先が思いやられます……っ!