Mission4.領地を散策しよう_03
田舎と言っても、一度は栄えたことのあるシェラルド領です。当時の賑わいを残すのが、川にほど近い場所にあるマーケットでしょうか。
人々の足としても運輸の要としても機能する川のそばでは、今でもチューリップやカボチャの売買が行われます。そして人の集まる場所には、お食事処をはじめとした小さなお店がちらほらと。
私と黒獅子卿はマーケットを散策してから、喫茶店で休憩をとることにしました。窓際の席に座り店員が来るのを待つ間に、黒獅子卿が笑いをこらえるようにして口を開きます。
「助かったよ、俺がひとりで話しかけても逃げられてしまうからな」
「貴族らしい貴族に慣れていないので、みんな驚いているだけですわ。でもお役に立てて何よりです。あっ、ただ、その……失礼な物言いがあったことはお詫び申し上げます」
予想通りと言うべきかわかりませんが、仲の良い人ほど、私が早々に里帰りしたことを心配してくださるのです。公爵家でいじめられたのかとか、旦那と喧嘩したのかとか、それはまだいいほうで。
「浮気して帰って来たのか、は笑ったな」
「ああ、もう本当に……」
どのように謝罪すべきかと頭を抱えたところで、店員がメニューをとりにきました。私と黒獅子卿はテーブルに広げてあったメニューリストへ目を落とします。
「えーっと、本日のケーキは……アプリコットですか。では私はこのアプリコットタルトと紅茶にしますわ」
「俺はコーヒー。あとそうだな、このパーキンというのを」
口には出さないものの、えっ、と驚いて顔を上げました。彼はメニューを回収して立ち去る店員の背中を眺めています。
私も王都から離れる前に作りましたが、パーキンは糖蜜を使います。
お砂糖を精製する過程で出る余りの部分をさらに精製するとゴールデンシロップになり、糖蜜は最後の余った部分です。そのため色は黒く雑味が多い代わりに、安価に手に入る。
王都の貴族がこれを口にする機会なんて、ないと思うのですが……。
「パーキンをご存じなんですね」
「ああ。以前に食べたことがあるんだ。やるべきことや心配な要素が多くて、上手くやれるか不安だったときに食べて、ほっとしたな」
柔らかく笑った黒獅子卿が、テーブルの上で大きな手を握ったり開いたりします。武器を持つ人の手でした。ごつごつと固そうで、手のひらも厚くて。
私の焼いたパーキンは、王都を発つ際にフィンリー様に持って行っていただきました。彼も同じように、少しでもホッとしてくれていたらいいのですが。
「伯爵でもそんな風に思うことがあるんですね。いつも自信に溢れているように見えたので意外です」
「ははっ。実はいつもカツカツなんだが、貴女の目にそう映ってるならまだ大丈夫だな」
黒獅子卿は金茶色の温かな瞳を窓の外へと向けました。横顔からも、その視線が鋭いものに変わったのがわかります。瞳が細かく揺れていることから、外の様子をチェックしているのだろうと推察されます。
フィンリー様の説明によれば、黒獅子卿は情報局の所属。国内の治安維持に関わる情報の収集と精査が主な職務だけど、陛下のご命令で幅広く立ち回る……でしたっけ。
女性たちがキャアキャアと声を上げるのも納得です。綺麗なお顔立ちと、確固たる立場、そのうえ公私ともにミステリアスで陛下の信任も厚い、ですものね。
私も幼い頃からおとぎ話の狼騎士様に憧れていたから、勇ましくて優しい、そんな雰囲気の黒獅子卿に狼騎士様を重ねてしまいそうになります。
「……? 俺の顔に何か?」
「あ、いえ。なんとなく、昔読んだおとぎ話を思い出していました」
店員が注文した品を運んできました。陶器がぶつかる微かな音を聞きながら、黒獅子卿が瞳で続きを促します。
「亜神のお嬢さんと、半狼の騎士のお話なんですけど」
「ああ、それなら俺も知ってる。お花畑でのんきに暮らすお嬢さんと、それを必死に守る狼だ」
皿を並べ終えた店員が一礼してテーブルを離れました。
お嬢さんは決してのんきにしていたわけではありません。彼女は争いごとが大好きな神様から世界を守るため、一度は捨てた亜神の力を取り戻しに行くのです。例え、愛した狼騎士を置いて行くことになっても。
私はムっとして黒獅子卿を睨みました。
「そんな言い方――」
「狼は、のんきにしていてほしかったと思うけどな。ずっとそばで笑ってくれてれば、それだけで良かったんだろ」
「それはそうかもしれませんけど。でもお嬢さんが立ち上がったからこそ、平和な国が……」
黒獅子卿はもう何も言わず、一口サイズに切り分けられたパーキンにフォークを刺しました。
確かに、狼騎士様の視点で考えたことはなかったかもしれません。彼なら、争いの絶えない世界でもお嬢さんひとり守り続けることはできたでしょう。
「あっま!」
「え?」
慌ててコーヒーに手を伸ばす黒獅子卿。眉根を寄せながら、口の中の甘味を流しているようです。
「いや失礼した。以前食べたのより甘みが強かったものだから、少々驚いた」
「そうでしたか。伯爵はお仕事柄いろんなところに行かれますから、土地によって味付けも違うのでしょうね」
そっと押しやられたパーキンのお皿を眺めながら、私はフィンリー様のことを思い出していました。甘さは控えめにしたつもりでしたが、お口にあったかしら、と。




