Mission4.領地を散策しよう_01
実家へ戻った翌日。朝食は家族全員と黒獅子卿、という異色のメンバーでいただきました。両親は一緒に食事をする人数が多いことに喜んでいるようだし、姉や弟は黒獅子卿を見つめっぱなし。のんきなものです。
夜遅くまで警備に余念がなかったマチルダは、今も屋敷の周辺を見回りに出ています。一体いつ休んでるのかしら。
とはいえ、マチルダが警戒を強めるのも仕方のないことなのですよね。だって「見知らぬ他人がいれば目立つ」ことが、私がこの地へ移る利点だとフィンリー様は仰いました。けれどふたを開けてみれば、調査隊の方々のおかげで「見知らぬ他人」がたくさんいるんですもの。
食事を終え、いつもと同じようにお掃除や洗濯を手伝うことにしました。
家事は末の娘なら当然の仕事です。弟は領地経営について学ぶ必要がありますし、姉は嫁いだ先で女主人として正しく振る舞えるよう、母の指導がありますから。
2人分の持参金などとてもじゃないが払えない、というわけで、私は貴族の元へ嫁ぐ予定もなく、こうして家事手伝いをしていたわけです。
お客様がいらっしゃるときには、ローガンの母である当家唯一のメイドや私だけでは手が回りませんから、領民にお手伝いを頼むのが常。
「レイラさま、レイラさま! あのかっこいい男の人はだぁれ?」
「ああ、あの方はフォーシル伯爵と言って――」
「ねぇ貴族の男の人って夜のお相手をさせたりするんでしょぉ、声をかけたらお目に留まったりするかなぁ!」
「アンタじゃダメよ、自分の顔見て出直しな!」
シーツなどの夜具と水の入ったたらいの上で、スカートをたくし上げて素足で踏み踏みします。春になるとこの仕事が楽しくなって、女性たちの他愛ないお喋りも弾むというもの。
「あっ、ほらほら! 噂をすれば」
「本当に美形だよねぇ。見てよ奥様のあの顔!」
田舎の良いところは土地がたくさんあること。広い庭一面にチューリップが咲き誇る様は当家にとってはやはり自慢ですから、春にいらしたお客様は必ずご案内しているのです。今もこうして、お母様とお姉様がニコニコと黒獅子卿をお連れになりました。
「キャー! こっち見た!」
黒獅子卿のお顔がこちらを向くと同時に、女性たちが私の後ろへと隠れました。お目に留まりたいと言ってたのに、どうしてこうなるんでしょう。
「おーい、レイラ! 水持ってきたぞ」
と、背後からローガンの声。お洗濯に必須のお水ですが、重いのでローガンにお願いしたのでした。
「ありがとう。そこに置いとい、て……えっ?」
慎重に別のたらいを脇に置くローガンの姿が、いいえ、天地がくるっと回りました。
腕を引かれると同時に濡れた足が風を感じ、ひやりとします。私の身体は宙を浮き、そして背中と膝の裏を支えられる形で横抱きにされたのです。ここまで、ほんの一瞬の出来事。
「足を男の前で晒すなど! なんで伯爵夫人がメイドの真似事をしている」
「えっ、いやこれは別に」
「おい、誰か湯と拭うものを彼女の部屋に」
なんということでしょう。私が家事をしていたせいで、黒獅子卿はいま怒っていらっしゃいます。確かに、伯爵夫人という立場でやることではなかったかもしれませんけど……!
ずんずんと凄い勢いで屋敷の中へ入り、階段を駆け上がりました。
「貴女の部屋は?」
「もうひとつ上の階です……」
「は?」
ですよね!
昨日のマチルダの反応からも、黒獅子卿がこういった反応をなさることは容易に想像がつきました。
追いついたお母様もおろおろするばかり。それはそうでしょう。私たち一家は、それが当然のものとして過ごして来たのですもの。
「使える部屋は多くはありませんから」
「だが、姉も弟も2階に私室がある。客室もあれば……男爵、そして男爵夫人それぞれの執務室も、遊戯室さえある」
「ゆ、優先度の問題ですわ。もう、降ろしてくださいませ!」
と言っても遊戯室にあるのは過去の栄光だけ。割れたダーツボードや羅紗の剥げたビリヤード台が埃を被っています。片づければいいのに、父はそれをうんと言いません。
黒獅子卿は降ろせという私の訴えを無視し、深いため息とともに廊下を進んで端の階段から上へとあがりました。見回りから戻ったと思われるマチルダが、慌てて駆け寄って部屋の扉を開けます。
本来、複数人のメイドが生活するための部屋ですから、広さに問題はありません。窓が小さくて光量が少ないとか、床板の質があまり良くないとか、そういった点が少々違うかもしれませんけど。
「身体をあたため、支度を終えたら出かけよう」
ソファーへそっと私の身体をおろした黒獅子卿は、それだけ言うとすぐに部屋を出て行かれます。入れ違いに、メイド仕事を手伝いに来てくれている女性たちのひとりが、湯を持ってきてくれました。
「ほんとにイイ男だねぇ。レイラさまがまるでお姫様みたいでさぁ」
「口を慎みなさい。奥様もフォーシル伯爵も、平民ごときが気安く話しかけていい方ではないの。湯をそこへ置いたらすぐ自分の仕事に戻りなさい」
叱られるとは思っていなかったのか、彼女は身体をビクリと揺らした後で、顔を真っ赤にしながらバタバタと走り去ります。
こればかりはマチルダをたしなめることはできません。正論ですからね。ないとは思いますが、まかり間違って彼女たちの誰かが、黒獅子卿に声を掛けてしまっても困りますし。
先に私から伝えておくべきだったのでしょうけど、すでに手遅れです。
「ありがとう」
湯に浸した手ぬぐいで私の足を拭うマチルダにお礼を言うと、彼女は小さく「いいえ」と答えてからスンと鼻を鳴らしました。
あっという間に私にストッキングを履かせてベルトで留めると、靴まで履かせてから衣裳棚を開けます。
「このあとは伯爵と領地の見学ですね。動きやすい衣装にお召し変えしましょう」
私が「お願い」と返事をする前に、ノックもないまま部屋の扉が開かれ、誰かが入ってきました。




