Mission3.王都を離れよう_02
あれよあれよという間に、お祭りから1週間が経ちました。焼き菓子の生地を木べらでさくさく混ぜる私を、調理場の方々も半ば諦め顔で眺めています。
だってね、フィンリー様はたまの休日には私を伴って国王陛下へ謁見したり、傍系当主たちを集めて私の紹介をしたりと、文字通り休む間もなく立ち働いてらっしゃるんです。
でも私がお菓子を焼いたと言えば、彼も渋々ながら休憩時間を取ってくださることが実証されましたからね!
というわけで、この1週間ですでに3度目となるお菓子作り。最初こそキッチンに入ることを調理場の皆さんに止められましたが、今はもう何も言われません。
料理長がオーブンの火加減を確認してからこちらを振り返ります。
「あの旦那様がお茶の時間をとるんですから、奥様の影響力たるや」
「お茶のお誘いを無碍にもできず、渋々ですけれどね」
混ぜ終えた生地を型に流します。このパーキンというお菓子は糖蜜を使うので優しい甘さですし、きっと気に入っていただけるはず!
と、そこへカーラさんがいらっしゃいました。
「旦那様がお帰りです」
「えっ! 今日はお早いですね、まだお昼を過ぎたばかりなのに」
パーキン作りの続きは料理長へお任せし、私はエプロンをとってエントランスへと急ぎます。
なんだか、胸騒ぎがするのです。
「お帰りなさいませ!」
「あ、レ、レ、レイラさん。早速できょ、恐縮ですがお話が。しっ、し、執務室までお願いします」
侍従に外套を預けたフィンリー様は、目を合わせることなく二階へと上がっていきました。いえ、ちゃんと目が合ったことは未だかつてないのですけど。
フィンリー様の後に続いて執務室へ入り、促されるままソファーへ座ります。執事がお茶を淹れてすぐ部屋を出て行かれました。
「し、しご、仕事の都合で西部へ行かなければならなくなりました。往復だっ、だけ、だけで半月かかりますし、しっ資料の状態の確認と調査、それから……。まぁいろいろあるので、さ、さい、最悪の場合には一月以上かかる可能性も」
「わぁ……。何か重要な資料が見つかったのでしょうか。寂しくなりますけれど、お仕事ですしね」
フィンリー様は資料室長というお仕事柄、重要な資料が見つかれば引き取って保管する責任をお持ちです。重要度に応じて、確認、回収に向かう人は違うのですけど、こうしてフィンリー様が直接出向くこともあるのだとか。
先にその点についてご説明いただいていたので、特に驚きはありません。ただでさえお忙しそうなのに、大丈夫かしらと不安ではありますが。
テーブルでゆらゆらと湯気をたてるカップへ手を伸ばすと、フィンリー様が重々しく口を開きました。
「ぼぼ僕がいない間、レイラさんにはシェラルドへ戻ってもら、も、もら、もらいたいのです」
「実家に、ですか。それは一体どういう……。以前おっしゃっていた、フィンリー様の足元を狙う誰かの存在が関係しますか?」
「はい。折り悪く、ち、父も外遊へ出ます。ベイラール家の持つ武力の多くがそちらのご、護衛につきますから、レイラさんには一人ないし二人程度しか、つ、つけ、つけられません」
カップを右手、ソーサーを左手に持ったまま、フィンリー様の説明に耳を傾けます。
公爵が不在とあらば、本人のみならずグレース様やテオ様のためにも相応の警備が残されることでしょう。そこへ嫡男であるフィンリー様の出張ですものね。
「それは確かに間が悪いですね。私に護衛はいりません、というわけにはいかないのでしょうし」
「シェ、シェラルドであれば、領民の存在がそれ、それだけで警備の役割をはた、果たします。外部の人間は目立ちますから、うご、動きづらいはずなのです」
「あはは! 王都と違って誰もかれもが顔見知りですからね。それはそうかもしれません」
私が紅茶をひとくちいただいてから頷くと、フィンリー様は手袋を何度もキュっと引っ張りながら「ええと」と呟きます。
その落ち着かない様子に、まだ何かあるのかしらと首をかしげました。
「じ、実は急なのですが明日の朝にたっ発ちます。レ、レイラさんにも同時に出てもらっもらったほうが、目立たないと思うのですが」
「ええっ! そ……それはすぐにも準備をしなくてはいけませんね。明日……あしたですか」
「ごめ、ご迷惑をおかけして申し訳ないのですが」
私は北へ向かうことになりますが、確かに途中まではフィンリー様と同じ方向へ進みます。護衛が少ない以上は、私が王都を出たと勘付かれないほうが良いということでしょうね。
「あっ、それでしたら、パーキンをお持ちください。いま焼いているんです! パーキンなら日持ちしますし、道中の休憩用に」
カップを置いて自由になった両手を打ち鳴らして、フィンリー様に提案します。提案と言っても、私の中ではほとんど確定事項ですけど。
休憩をとってもらいたいというのももちろん本音ですが、仕事に没頭しすぎて私のことを忘れないように、というおまじないも兼ねて。
だ、だって、こんなに早く実家へ戻ったら、領民から憐れみの目を向けられるのは不可避ではありませんか。その上でフィンリー様が私を忘れて、お迎えの使者がいつまでも来ないなんてことになったらもう!
「あ、そ、そうですか。ありありがとうございます。レイラさんの作るお菓子は、あま、甘くなくて気に入ってるので」
相変わらず俯いていますが、心なしか嬉しそうに感じたのは……私の願望が見せた幻影かしら。




