表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

11/50

Mission3.王都を離れよう_01


 楽しかったお祭りから2日が経って、私はいま、お屋敷のエントランスでへたり込んでいます。カーラさんも侍女も、私を立たせようとなだめたり窘めたりと大忙し。でも腰が抜けちゃったんですもの、すぐには動けないわ。


 だってね、今日はベイラール家へ嫁入りした者として、フィンリー様と一緒に国王陛下へ謁見したのです……! あの威圧感といったら。眼力だけで射殺されるかと思いました。


「坊ちゃまはご一緒ではないのですね」


「陛下ともう少しだけお話があるのですって。長くなるかもしれないから先に帰るようにと」


 社交界ではフィンリー様を無能と考える方が多いようですが、私はそうは思いません。

 この結婚の契約条件を考えていたときも頭の回転の早い方だと思いましたが……陛下とのやり取りを見て確信しましたわ。陛下も信頼なさってるし、それにあの眼から発せられる圧力に一切ひるまないフィンリー様がどれだけ素敵だったか!


 私の体を支えて立ち上がらせたカーラさんは少し心配そうな表情です。


「いつものこととはいえ、坊ちゃまは休日にもお身体を休めないんですから」


「そうですね、フィンリー様がリラックスしてらっしゃるのを見たことがないかも」


「せめて休憩をとってくださったらねぇ」


 一昨日のお祭りで買って来たファッジも、フィンリー様は手をつけませんでした。いえ、正しくは子ネズミの一口より小さい量だけ口にして、あとはずっとコーヒーを飲んでいらしたというべきかしら。


「でしたら私がお菓子を作ったらどうでしょう。情に訴えかける作戦で」


「坊ちゃまは甘いものは……」


「ええ、甘さはうんと控えめにします!」


 やるべきことを見つけたら、私の腰も真っ直ぐになりました。善は急げです。いつお帰りになるかわかりませんからね!


 キッチンへ走り出そうとした私の腕を、カーラさんがぎゅっと力強く握って留めます。


「お召し変えが先です、奥様」


「はぁい……」


 と、いうわけで。調理場で働く皆さんにぎょっとされ、そしてやめてくれと懇願されながらも作り上げたのが、オーツ麦の焼き菓子(フラップジャック)です。


 オーツ麦とレーズンを混ぜ、バターとお砂糖とゴールデンシロップを鍋で溶かしたものを加えて固めて、オーブンで焼けば出来上がりの簡単お菓子なのです。


 ゴールデンシロップはお砂糖を精製したあとの残りもので、栄養価が高いのが特徴。今回は甘さを抑える必要があるので、お砂糖は入れずに作りました。


 生地をオーブンへ入れたところでフィンリー様がお帰りになり、エントランスへお迎えに上がります。


「おかえりなさい!」


「あ、あ、はい。たっ、たたただいま……戻りました」


 上着を執事へ渡しながら、フィンリー様が一層身を縮めて足元を見つめてしまいました。

 ふふ、でも私は気付いているのです。もさもさの髪からチラっと見える耳がほんのり赤くなってますからね、嫌がってはいらっしゃらないと!


 その後フィンリー様は「まだ仕事があるから」と逃げるように執務室へ。カーラさんとふたりで目を見合わせましたが、私たちの作戦はこれからですからね。


 頃合いを見て、焼きあがって冷ましてあったフラップジャックとお茶の準備をします。あくまでリラックスしていただくのが目的ですから、あまり物々しい印象にならないよう、ダイニングで簡素に。


 カーラさんのご案内でダイニングへ入っていらっしゃったフィンリー様は、お菓子の甘い香りに一瞬だけ身を固くします。


「フィンリー様。ほんの少しで構いませんから、私のお茶にお付き合いいただけませんか?」


「あ、えぇ、は、はい。あの、まだ仕事があり、ありますから、少しだけ」


 早くも逃げ腰ですね……!

 それでも、椅子にかけて目の前のフラップジャックと対峙してくださるのですから、優しいなぁと思うのです。


 人払いをして、今日は私がお茶を淹れます。そわそわして見えるのは、お菓子が怖いのかお仕事が気にかかるのか判断できません。


「どうぞ」


「あ、はい、あり、ありがとうございます」


 まずはお茶をひとくち。小公爵として育てられただけの気品が、その姿に溢れています。丸まった背中に、明るい栗色の髪はもさもさで眼鏡が湯気で曇っていても、です。


 音ひとつ立てずしなやかな動きでカップを口に運び、紅茶の産地からそれに関連した話題をひとつ披露する。私の育った環境では触れたことのない文化ですよね、凄い。


 陛下の偉大さに畏れを抱いたとか、もうすぐイチゴの季節だから楽しみだとか、そんなとりとめのないお話がひと段落したところで、フィンリー様がフラップジャックを睨みつけました。


 常に俯きがちな方ですから、実際に睨んだかはわからないのですけれど。


「こ、これは……」


「実は私が焼きました。お口に合うといいのですが」


「レっ、レレレイラさんが、ですか」


 体をぴくりと揺らし、カリカリのお菓子にゆっくりと手を伸ばします。白い手袋の人差し指がためらいがちにフラップジャックを突き、意を決したように親指と人差し指とで摘み上げました。


 あのシルクの下の手を、私は見たことがありません。どんな理由があって隠していらっしゃるのかも知りません。


 いつか、見せてくださるかしら。

 そんな風に彼の手を見つめていると、亀のお散歩のような速度で口元へ運ばれていった焼き菓子の先端が、フィンリー様のお口へ入りました。


 思わず前のめりになって様子を伺います。


「……っん」


 小さく動いたフィンリー様の喉から、艶めいた声が漏れました。

 摘まんだままだった残り99パーセントを宙に掲げ、しげしげと眺めていらっしゃいます。そして……もうひとくち。


 今度は! 50パーセント! です!


 ほんのり微笑みながら咀嚼するフィンリー様を見つめたまま、私はテーブルの下で拳を握りました。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] フラップジャック、美味しそう♪
[良い点] あっ! もうレイラ完璧に堕ちてるわw
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ