Mission1.結婚しよう_01
――お姫さまは狼騎士さまと結婚し、末永く幸せに暮らしましたとさ。
私の大好きなおとぎ話はそう締めくくられていました。幼い頃の私は、素敵な騎士様がいつか迎えに来てくださると信じていたのです。
しかし甘やかな夢を見ていられる時代はとうに過ぎました。
俯いた私の視界に入る黒髪の毛先はパサついてますし、膝の上に置いた手肌は日に焼け、指先もすっかり荒れています。家計を支えるため必死に走り回る私を迎えにいらしたのは……。
「れ、レイラ嬢? ぼぼ僕のお話はご理解いただけましたか?」
ぼそぼそとくぐもった声が私の意識を現実へと引き戻しました。
赤みの強い栗毛がもさもさと目元まで隠し、眼鏡の奥にある彼の狼狽える視線を捕まえることはできません。
「ええ、はい。借金に喘ぎ、姉の持参金さえ賄えない当家を……私との結婚を条件に立て直してくださると」
「ス、ストレートに言うと、そそそそういうことになりますか」
猫のように丸くなった背中を揺らす彼は、フィンリー・ベイラール小公爵です。公爵家のご長男で、満23歳。王国政務局管理下の資料室長……要するに閑職であり、その立場が社交界での彼の評価をそのまま表しています。
と言っても、聞きかじりですけれど。我がシェラルド家は社交界に縁遠く、貴族とは名ばかりの弱小男爵家ですから。
「それは願ってもないお話ですが、小公爵様にはどのような目的があるのでしょう? やはり鉱山――」
「ぼ、僕はこの通りひひ人付き合いが大の苦手です。だから僕の身分を求めていらっしゃる女性たちの、お、お相手は、ちょっと」
「なるほど、結婚して外圧から逃れたいということでしょうか」
「はい、ででですからレイラ嬢が危惧するような、こ、鉱山をどうにかしようとは、全く。あ、いえ、シェラルド男爵が開発を進めたいとおおお仰るなら、いいいくらでも援助は惜しみませんが、はい」
フィンリー様がハンカチを取り出して首回りの汗を拭いました。
既に婚約者のいる姉の持参金すら賄えないような状況に当家が陥ったのは、少し前に領内で発見された銀の鉱脈のせいなのです。
祖父の代からお付き合いのある資産家と共同開発を始めた矢先、先方がお亡くなりに。あちらのお家のご都合で、鉱山開発のお話は白紙に戻りました。
そして当家に残ったのは、開発に投じた初期費用分の借金だけ。利益をあげられるようになるまでにかかる、運営資金が不足しているのです。
「当家には勿体ないほどありがたいお話ですね。ただ鉱山の利権に関わらないということでしたら、他に家格の釣り合う方がいらっしゃるのではありませんか?」
「いっいや、ご存じかと思いますが、シェラルド家は亡母の実家の傍系にあたります。縁戚であれば、だ、誰も口を出しません。それにせせ政治的均衡の問題も」
なるほどと思わず笑ってしまいそうになって、口元を隠します。パワーバランスを考えるよりは、最初から貴族間の軋轢とは無関係の人物のほうが良いということですね。
社交界と縁遠いことがここで役立つとは!
「ではあともう一つだけ。鉱山への新たな出資者が決まらない理由に、開発計画で折り合いがつかないことに加えて、嫌な噂があるのだとか。それは公爵家へ影響ありませんでしょうか」
「噂……。き、奇病ですね。そそそちらについても公式に調査するよう、て手配しましたのでご安心を」
どこから湧いたものか、シェラルド領で奇病が流行るとの噂があるそうです。それが鉱山のせいであり、先に亡くなった資産家もその病が原因だと根も葉もない話が一人歩きしているのだとか。
私は背筋を伸ばしてフィンリー様を見つめました。相変わらず目は合いませんが、彼の話し方や雰囲気からは誠実さが伝わってきます。それに我が家と、領地、領民が救われるのですから、このお話は決して逃してはなりません!
「ありがとうございます! 公爵夫人はおろか貴族としての振る舞いさえ怪しい私ですが、小公爵様のお顔に泥を塗ることのないよう精進します。どうぞよろしくお願いいたします」
私がぺこりと頭を下げると、フィンリー様は慌てたように両手をパタパタと振りました。白いシルクの手袋をした手からハンカチがこぼれ落ち、彼はそれを拾ってポケットへと仕舞います。
「あっ、いや。僕はつつつ妻がいるという事実さえあれば良いので、レイラ嬢は好きに振る舞ってけけ結構です。必要不可欠な夜会を除き、むむ無理に社交の場に出ずとも構いませんし、恋人をもも持ってもらっても構いません」
「はい? つまり、書類上の妻の欄を埋められれば良い、という解釈で合っていますか?」
「はい。け契約書もかわしますので、詳細はべ別途」
はいと頷くフィンリー様に、首を傾げます。恋人を作っても良いということは、跡継ぎはいらないということでしょうか?
「跡継ぎは……」
「つつつ作る予定はありません。もし貴女が子どもを望むのであれば、貴女のここ恋人を交えて協議しましょう」
思わず目をぱちくりと二度ほど瞬きしてしまいました。
誠実ではあるのでしょうが、一方で情の薄い印象もあります。いえ、あくまで私は相互に利益を得るための相手、ということなのでしょうね。
「恋人はいませんが……」
「でっでででは!」
言いかけた私の言葉を遮るようにして、フィンリー様が前のめりになりました。もちろん、視線だけは右斜め下を見つめたまま。
「毎年、しゅ、旬が来たら毎日、い、いいいイチゴを食事につけます」
「……はい?」
「お……お好きだと、伺って」
無言の時間がどれほど続いたでしょう。彼の言葉の意味を理解するまでに、暖炉の薪がパチっと三度跳ねました。
「イチゴ……ですか」
声が震えてしまいました。笑いをこらえようとすれば俯かざるを得ませんが、肩の震えまでは止められません。
だってイチゴ……なんでイチゴ……!
「ちちちっ違うのです、ええと、貴女の望むことは大抵叶えられると、そう言いたかっただけで」
「それがイチゴでしたか――ふっ、あは、ごめんなさい、もダメ……! ふふっ」
どうしてかと言葉で説明することは難しいのですけど、私はこの瞬間に、この方なら信頼できると思いました。
笑いが落ち着くのを待って深呼吸をし、謝罪をした上であらためて深くお辞儀をします。
「ではビジネスパートナーとして、そして家族として、小公爵様にとって居心地のいい生活をご提供できるよう頑張りますね」
「あっ。はい、かかか顔を上げてください。け契約書の叩きを用意しました。こちらをベースに細かいところを決めていきましょう」
フィンリー様は脇に置いていた鞄から書類を取り出し、テーブルへと並べました。