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前編

「ふは~あ、極楽ごくらく。きょうもぽかぽか湯涌ゆわくの湯」


「クウウウン」


「くわんくわん」


 十人くらい入れる総湯(共同浴場)の広々した浴槽の縁に両腕をのせて、もくもくふわふわ立ち上る湯気を、パートナーの親子きつねさんといっしょに、一人と二頭でぼんやり天井を見上げる。これが私のルーティーン、つまり、習慣なのです。


 ここは石川県、金沢かなざわの奥座敷、湯涌温泉。


 小ぢんまりとしていて、そんなに人が行き交っている温泉街ではないけれど、その静けさがここの良さでもあると、私は思うのです。


 申し遅れました。はじめましての人ははじめまして、はじめましてじゃない人はこんにちは。私は湯涌の小さな神様です。生きている人には姿が見えないと思うけれど、竹藪と森に挟まれた小さな神社で、湯涌に来てくれるみんなを見守っています。


 まだまだ力不足で、ときどき起きる水害を完全には抑えられていないけれど、災厄が起きたときも、晴れの日も、雨の日も、雪の日も、湯涌のみんながおもてなしの準備をして、お客様が来てくれて、今日まで千三百年、なんとかやってこれました。


 え、どうして神様が温泉に浸かってるって?


 だって、ぽかぽかで気持ちいいんだもん。どのくらい気持ちいいかって、それはもう全身の老廃物が流れ出してスッキリするとか、心地よくて眠たくなるとか、いろいろとあるけれど、百聞は一見にしかず。湯涌いいとこ一度はおいで。


 おやおや、脱衣所から人の声が聞こえてきました。誰かが入ってくるみたい。


 カラカラカラカラ。


「わあ、すごい湯気!」


「モワーッてきたね」


「温泉、子どものころ以来かも」


 引き戸が開いて、20代か30代くらいのお姉さんが三人入ってきました。いらっしゃいませ、湯涌へようこそ!


 お年寄りのお客様が多い湯涌温泉だけど、最近は若い人もよく来てくださるようになりました。うれしい限りです。


 さて、お客様が入ってきたところで、私はお風呂から上がろう。


「うーん、外の空気がおいしい! 全身に染みわたる~ぅ」


 十月の湯涌は、夏の名残を微かに含んだ空気の中に、秋の涼やかな風が流れ込んで、火照った私を適度に冷やしてくれました。


 見回りがてら、総湯から徒歩2分、温泉街の入り口にあるお土産品を多く扱う商店におじゃまして、一本のビンを手に取った。万引きではありません、私には肉体がないので、実体は手に取れません。香りをいただくのです。香食こうじきというやつです。


 道路を挟んで正面、年季の入った商店の軒下にあるベンチに座って、サイダーをぐびっと飲む。


「ぷはー、うんまいっ!」


 お風呂上がりは牛乳もいいけど、湯涌といえば柚子サイダー! 天然水、柚子、お砂糖だけでつくった甘すぎないご当地サイダーなのです! 炭酸が強すぎない、果実の味を最大限に活かしたこのサイダーが、私は大好き!


 おきつねさんにもサイダーをあげて、飲み終わったら歩き出し、バス停を横切って坂を上がる。これがけっこうきつい坂。緑いっぱいの山道で、かつてこの坂を上りきったところには旅館がありました。いまは空き地になっていますが、湯涌の森を見渡せる、ちょっと見晴らしの良い場所です。


 この辺りは滅多に人が通らない、ところによっては急な坂になっていて道なき道ともいえそうな茂みもあります。私は神様なので、一応巡回しておきます。


「うん、きょうも異常なし!」


「クアアアン!」


「くわんくわんっ!」


 おきつねさん親子も、平和な湯涌にホッと安心したようです。


 草を分け入り茂みを下って、玉泉湖ぎょくせんこの前に降り立ちました。湖といっても、池というべきか、沼というべきかというくらいの、清流の途中にあるなんともいえない大きさの水たまりです。森に囲まれた玉泉湖のパッとひらけた青空には、きょうもいっぱいのトンボさんが飛び交っています。


 もじきこの玉泉湖で、私にとって、とっても大切な行事があります。



 ◇◇◇



 玉泉湖を背に百メートル弱の坂を下ってすぐ、再び総湯の前に到着。これで湯涌をだいたい一周。ほんとうはもうちょっと広いけど、きょうはこれくらいにしておこう。


 総湯の脇から伸びる石段を上がると、小さな神社、湯涌稲荷神社があります。私はこの祠の中に住んでいますので、湯涌にお越しの際はぜひお立ち寄りくださいね。


 参道の脇にはたくさんの絵馬、『のぞみ札』がかけられています。のぞみ札は十日後に開催される『ぼんぼり祭り』でお焚き上げをするのですが、その火に導かれて、私は島根県の出雲いずもに帰るのです。導いてくださった皆さまへのお礼に、私はのぞみ札に書かれたお願いごとを叶えて差し上げます。


 十月は、世間一般では『神無月かんなづき』。しかし神の集う場所、出雲では『神在月かみありづき』と呼ぶんですよ。


 私はしばらく湯涌を留守にしますが、その間に行われた良いことも悪いことも、私より偉い天の神様が見ているのでご安心あれ。


 それではここで、いくつかの『のぞみ札』を読んでみましょう。


「アニメーターになりたいです」


 私もアニメ好き! ぼんぼれぼんぼれ! 富山県に将来性と養成所のあるアニメ会社さんがあるそうなので、募集があったら応募してみるといいかもですよ!


 さて、次のお願いごとは……。


「カネくれ」


 きったねー字だなこのクソ殴り書き野郎。まあ私も鬼じゃない。とりあえずジャンボ宝くじを連番で十枚買ったら神の情けで三百円くれてやるよ。


 はいはい次つぎ!


『湯涌を知ったおかげで、人生が少し楽しくなりました。こんな素敵な場所を守ってくださっている神様、ほんとうにありがとうございます』


 いえいえ、こちらこそ、湯涌を知って、来てくださって、ほんとうにありがとうございます。


 感謝されるために神様をしているわけじゃないけれど、ありがとうの言葉はうれしくて、なんだか胸が、ほっこり温かい。


 皆それぞれの願いごとや想いを書いたのぞみ札。その中には、アニメキャラクターの絵がとっても上手に描かれたものもあって、お焚き上げしちゃうのが勿体ないと、毎年思うのです。


「あ、いたいた、神様~」


 おや、私の姿が見えるお客様、というよりはお友だちが来ました。

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