婚約者が逃げた話
楽しんでいただければ幸いです。
シリーズに入ってますが単品で読めます。
「――ドリューが消えた?」
「書き置きを残し、行方がわからないと……王都から至急の連絡で……」
パトリシアにとって、その報告はまさに寝耳に水だった。起床してさて準備を、という時にもたらされた話。
「……まあなんてこと……何か手がかりは?」
「それが、書き置きの内容が、その」
「いいわよ。もう驚かないわ、言ってちょうだい」
「……『愛する人のために行かなければならない!』とのことです」
宣言通りパトリシアは驚かなかったが――呆れた。
「……叔父様の『運命の人探し』と、どちらがマシかしらね?」
そんな軽口を言ってみたが、誰も笑ってはくれなかった。
パトリシアはクリスタ王国の王女である。長ったらしい本名は、パトリシア・アビゲイル・アシュベリー=クリスタ。いずれ公爵位を得、オルグレンと呼ばれる王領を与えられることが決まっていた。
そんな彼女にはドリューというひとつ年下の婚約者がいる。いや、逃げたから過去形か。
ドリューが王都の学園を卒業したらすぐに結婚、叙爵の予定だったのだが、卒業式の翌日に書き置きを残して消えたという。
「結婚式の予定を立ててなかったのが幸いよね。これで他国からの賓客の予定とかあったら目も当てられなかったわ」
「姫様……」
「とりあえず私の叙爵式と領地の手続きだけして、結婚はその後考えるそうよ」
衝撃の連絡から数日後。王都から追加で来た手紙を見ながらパトリシアは補佐官達に内容を教える。彼ら・彼女らは痛ましそうにパトリシアを見ていた。
「ラピスラズリ侯爵が謝罪に来てくださるらしいわ。……侯爵もお気の毒に。この手の話で王族に頭を下げる事態になるなんて」
パトリシアの婚約を整えたのはラピスラズリ侯爵だった。侯爵の派閥にいるランス伯爵家の三男、それがドリューだ。
婚約者になったことでドリューは学園と王城で最高の授業を受け、伯爵家にも援助が入ったという話だった。それなのに彼は逃げ、侯爵の顔にも泥を塗ったことになる。親類縁者への災難は始まったばかりであろう。
……きっとドリューも無事では済まない。国内に彼の安住の地は存在しないだろうし、国外に出ようとしてもその前に見つかる。侯爵家を怒らせるとはそういうことだ。
流石に傷心であろうと、急ぎの仕事だけ片付けたらその後は自由時間にしてくれた補佐官と執事に感謝しつつ、パトリシアはぼんやりと庭園を見つめていた。
――王家は、呪われている。
現王である父の兄はハニートラップで廃太子。弟は浮気性が過ぎて王家から抹消。
更にパトリシアの長兄は六年前、卒業式で浮気相手と共に壇上へ上がり、婚約者を罵倒するという大変な恥を晒してこれまた王太子の座から降ろされた。静養という名の幽閉後のことはわからない。死んだという話は聞かないので、恐らく生きてはいる、と思う。
無事なのは次兄で現王太子のベンジャミンと末娘のパトリシア、そして王だけだ。
恋の呪い、などと言えばロマンチックであるが、威厳が大事な王族では害しかない。
細くなっていく王家の血をなんとかしようと、パトリシアを公爵にと決められたのが十三歳の時。
体が弱かったパトリシアは五歳の時からオルグレンの別荘に住んでいて、そのままその土地を与えれば良い、となった。
そして婚約者としてドリューが選ばれ、パトリシアの将来は確定した。
……しかし、まさかドリューが呪いにかかるとは。
(――考えていても仕方ないわね。もうドリューとの婚約は撤回されるだろうし)
このような事態になって、ドリューと結婚できるとは思えない。
(問題は、私ね……)
パトリシアも十九歳。すでに成人し、オルグレンの領地経営を始めている。
本当に、後はドリューの学園卒業を待つだけだったのだ。
今から女公爵と結婚出来る貴族男子を探さないといけない。となると、相手はかなり限定されるだろう。パトリシアと釣り合う年齢の男子が売れ残っている可能性は低い。居たとしても問題児は困る。
運が良くてスペアの次男がどこかに残っているだろうか。妻に先立たれた伯爵家当主と、などという場合もある。公爵家はパトリシアの血が残ればいいのだ、多少の例外は目を瞑られるかもしれない。流石に一夫多妻は避けてくれるはずだが。
――もっとも、パトリシアがこうして思考を巡らせたとしても、決めるのは侯爵たちである。彼女に選択権などないのだ。
****
『ドリュー・ランスです。初めまして、僕の将来のお嫁さん』
初めて会った日、ひとつ年下の彼はまだ幼い少年だった。
しかし周囲の大人達に怖気づくことなく笑顔を浮かべ、パトリシアをまっすぐ見つめていた。
『パティが学園に通わないなら、僕もこっちで学んだほうがよくない?』
『私がマナーや領地のことを重点的にやるから、あなたは学園でいろんな方と交流を深めてほしいわ。王都のほうが情報も多いでしょうし』
『……うん、わかった。パティを手助けできるように頑張るよ』
――様々な人と交流を、と言ったのはパトリシアだった。
体の弱いパトリシアが、王都とオルグレンを行き来するのは難しそうだったから、ドリューに社交を任せようと思った。
幸いにもドリューは実にコミュニケーション能力が高かった。手紙を書くのは苦手らしいが、会うたびに異なる友人の話をしてくれた。パトリシアも彼の話を聞くのが好きだった。
しかしドリューはその中で、『愛する人』を見つけてしまったのだろうか?
パトリシアがオルグレン領から出ない間に、知らない誰かと。
『パティ、ますます綺麗になったね!』
『そういうあなたは背が伸びたわ』
長期休暇の時は毎回パトリシアの元に来てくれた。
『前回は地理系の本だったから、今回は植物系にしてみたよ』
王都の図書館にある珍しい本を借りてきて、一緒に読んでは意見を言い合った。
『南の国では二期作が普通らしいけど、オルグレンでは無理かな』
『花卉栽培は土壌的に可能でしょうか。現在の需要ならそれなりの産業になるのでは』
『ターコイズ領には畑の栄養になる花があったらしい。侯爵家の取り潰しの前後で消えてしまっている』
『隣が畜産が盛んだから、飼料の生産はどうだろう』
いずれ、二人で領地を守っていくのだと、信じて疑わなかった。
『――さよなら、パティ』
『……どうして?』
隣の女は誰?
『わたしは、愛する人と一緒に行く』
『何故、どうして。どうして、』
『あなたを一番愛しているのは私よ!!』
――ぱちり、と目を開ける。
窓からほんの少しだけ光が差している。どうやら普段より早く目覚めたらしい。
隣室で待機しているであろう侍女に気づかれないよう、静かにため息をついた。
いつも通り振舞っていたが、パトリシアは相当参っていたようだ。……あんな夢を見るなんて。
パトリシアは、ドリューを愛していた。
何しろ、与えられた選択肢はドリューしかなかったのだ。
幼いころから王都を離れ、父母ともそう易々と会えない環境。優しい使用人たちには囲まれていたが、同年代の子供たちと会うことはほとんどなかった。
そんな中で決められた、婚約者。
パトリシアは間違うことなく、ドリューを愛した。周囲の思惑通りに。
ドリューがいたから、パトリシアは公爵教育にまっすぐに取り組めたのである。
しかし、パトリシアにはドリューだけだったが、ドリューはパトリシアだけでは無かった。そういうことだ。
……結婚相手が決まれば、この想いは断ち切れるだろうか。パトリシアは王女で、公爵になる人間だ。自身の立場はよく分かっている。
早く決めてもらって、楽になりたい。――パトリシアはラピスラズリ侯爵に手紙を書くことにした。
時刻は昼。
パトリシアは何人かの侍女と護衛を連れて、街の視察に来ていた。
……視察というのは建前で、実際のところ、気分転換に遊びに来たのだが。
いつもより早く起きたかと思えばドアを開けながら、「手紙を書くので用意をしなさい」と言い放った主に侍女たちの心配が極限に達したようだ。夢見の悪さで顔色も良くなかった。
侍女から事務官たちへ申告があり、今日の予定が大幅に変更されたのだった。
「本日は街の視察をお願いします。食事場所はこちらで予約しておきます。買い物をして街の経済状況も確認してくださいね」
有能な人材に恵まれて涙が出そうである。
「市場も以前より賑わってきたわね」
「道路の整備が進んでおりますので、商人の往来がしやすくなったのでしょう」
パトリシアがこの地を賜ることが決まってすぐ、王都までの道路補修計画が立ち上がった。貴族たちとの調整も終わり、ここ二年ほどで急速に賑わいが増している。
「警備兵の配置は問題ないかしら」
「適宜増加している、とのことです」
「戻ったら補佐官に再度チェックしてもらいましょうか……」
最初に療養のためオルグレンに来た時、屋敷の周辺は村が点在するだけだった。パトリシアが住んだことで村が大きくなり町になったのだ。今ではオルグレンを支える経済の要である。
「殿下、昼食のお時間が近づいております」
「そうね、移動しましょうか」
予約してくれたレストランへ行くには「行商市」と呼ばれる区画を通る。ここは行商人が使用料を払って短期間で商いする場所である。当日限りの店も多いが、その分珍しい品、お得な物に出会える可能性が高い。
後で管理者にも話を聞こうと考えながら、道を進む。
ふと、一見何もない店を見つけて立ち止まった。
「……占い?」
看板には【魔法占い屋】とあり、あわせて金額表が掛けてあった。
「……なるほど、こういう店もアリですね」
行商市は使用料さえ払えば大抵の店は許可する。ご禁制の品とかでない限り。
占いは大抵室内で一対一で行うものだが、庶民向けならこういうオープンな環境のほうが安心かもしれない。周囲は賑わっているので、よほど耳を澄まさなければ聞こえることもないだろう。
机の向こうに座っているのは、まだ二十代に見える青年である。
「――何か占いますか、貴族様」
「魔法占い屋、とあるけれど、お前は魔法占い師なの?」
「はい」
【魔法占い師】は、魔力を用いた占いを行う者である。
魔法占いはほとんど当たるが、的確な回答を得られない場合も多いのが特徴だ。
例えば、「明日の天気はどうなるか」と聞いたとしよう。
普通なら「晴れです」や「雨でしょう」などと答えるが、魔法占い師は「明日あなたは傘を買うでしょう」と言うことがある。「あなたは近く風邪をひくでしょう」というのもある。要するに雨なのだが、とても回りくどい。
天気くらいならこの程度で済むが、「来年は豊作だろうか」と聞いて「黄点の海道が満たされる頃に子供が生まれるでしょう」なんて回答されることもある。何十年か前に実際にあった占い結果で、数人がかりで解読したそうだ。
魔力を持つ多くが貴族なのもあり、貴族向けの占い方法である。魔術師のように専門知識が大量に必要なわけではないため、独学あるいは飛び込みで弟子になる者もいるようだが。
魔法占い師に占ってもらう際は、注意点を事前に聞かされる。時に無礼にとれる言葉が発されることもあるため、貴族内では【魔法占い師の言動は咎めない】ことが不文律となっている。
「貴族様はご存じかとは思いますが、占いの言葉は魔法によって発言されるので、無礼に思われる言葉があるかもしれません。そこだけご了承いただければと存じます」
「ええ、お前に無礼を咎めることはありません。占いに使うのは?」
「水盆です。あとは占う方のお名前と、占う内容」
「そう……では占ってもらいましょうか」
それほど大事な情報は必要ないようだし、水盆ならば危険性も少ないだろう。護衛がすぐに飛び出せる位置にいるのを確認し、パトリシアは椅子に座った。
青年は後ろから水盆を持ってくると、パトリシアの前に置く。
「では、お名前を」
「パトリシア・アビゲイル・アシュベリー=クリスタ。もうすぐパトリシア・アビゲイル・クリスタ=オルグレンになるわね」
青年が目を瞬いてパトリシアを見るが、パトリシアはただまっすぐ見つめ返した。
「……では、何について占いましょう」
「そうね……それでは【私の結婚について】占ってちょうだい」
細かいことなど言わなかった。
「かしこまりました」
――パトリシアは、この不明瞭な先に対する不安を、少しでも軽くしたかっただけだ。
静かに波打つ水盆の水を見ながら、思う。
『パティ』
ドリュー。あなたを失った先で、私は。
「――あなたの孫は、国一番の墓守になるでしょう」
パトリシアははしたなくも、ぽかんと口を開けてしまった。
「……それはどういう意味かしら?」
「わかりません。そのように思い浮かびました」
言葉通りなのか比喩表現なのか、非常に悩む言葉であった。
占い師によっては幻視をする者もいるらしいが、この青年は言葉だけが出る大多数の魔法占い師なのだろう。
「国一番の墓守、ねぇ。……本当に墓守になるなら、確かに身分は一番上でしょうね」
何しろ公爵家の子供である。
……深く考えても仕方ない。それより、パトリシアにはもっと大事なことがある。
「孫がいるなら、私は結婚して子供が出来るということね。それがわかっただけでも良かったわ」
侍女に支払いを指示して立ち上がる。
その姿を青年は、妙な顔をして見ていた。
「……何かしら。まだ何か占いの件で話でも?」
「いえ、そうではないのですが」
「ではどうしたの。言ってごらんなさい」
「……王族の貴女様が、こんな内容をそのように流されるとは思っていなかったので」
流石にそれには少しだけ眉をひそめてしまったが、すぐに戻して肩をすくめた。
「王家の悪癖は、此処にも届いているようね。けれど私は至って普通ですので安心なさい」
伯父はハニートラップで国を危険にさらした。
叔父は浮気の果てに婚外子まで作った。
そして長兄は、自身の愚かさに気づかないまま、妻になるはずだった女性を人前で罵倒した。
彼女が王城からほとんど出れず王妃教育ばかりなのは、長兄の出来の悪さを補うためだったのに。『ほとんど会うこともなく、愛が感じられない』などと宣ったらしい。
婚姻に関するもので良い話をトンと聞かない。それが王族への評価である。
しかし、パトリシアは常識人だと自負している。婚約者に逃げられようとも。
パトリシアはそれ以上は何も言わず、歩き出した。
「……殿下、あの占い師の素性をお調べしましょうか」
「やめてちょうだい。魔法占い師には深入りしないのがマナーよ」
調べていることに気づかれれば、それこそ醜聞である。
「それより、王家の悪癖についての噂がどの辺りまで広まっているかを調査して。今後の政策に障りがあるといけないわ」
「――かしこまりました」
孫が出来る。相手が誰であれ、パトリシアの役目はひとつ果たされる。
……相手がドリューでなくても。
朝より気分が良いのか悪いのか。自分でもわからないまま、パトリシアは歩いた。
****
表向きは何の変哲もなく過ごしてしたパトリシアの元に、その手紙は届いた。
――縁談である。
送ってきたのはアメジスト侯爵。国を支える六侯爵のうちのひとりだ。
最近爵位を継いだばかりの男でパトリシアも特に面識は無かったが、彼の弟のひとりがまだ結婚していないので良ければ会ってみないか、ということだった。
弟の歳は二十五だという。……十九のパトリシアとそれほど離れていないので悪くはないのだが、侯爵家の男が今まで気づかれず売れ残っていたというのが気になる。
部下に調査を指示すると共に、了承の返事を送った。
そして本日、見合いの場が用意された。
今日会ったからと言って婚約が決まる訳でもない、侯爵の使者とちょっと茶会をするという程度の非公式なものだ。
アメジスト侯爵も無理に薦める気はないのだろう、侯爵自身は来ず、弟本人と補佐の人間だけが来たらしい。
調査結果が間に合わなかったことだけが多少不安だが、今日は顔と第一印象を見る程度にしておこうと思う。
ある意味スッキリした気持ちでいたパトリシアだったが――部屋に入り、一瞬固まった。
そこには行商市にいた、あの魔法占い師が座っていた。
「マルコム様は先代侯爵の三男です。侯爵家を継ぐことはないお立場のため、学園を中退し魔法占い師に弟子入りし、今まで各地を巡っておられました」
「そう……」
侯爵の手紙を持ってきた使者が説明するのを、静かに聞いていた。
マルコム・アメジストと名乗った青年は、笑みを浮かべてパトリシアを見ている。
占い師として独り立ちし、久しぶりに王都へ戻ったところ、兄の侯爵からパトリシアのことを聞いて今回の縁談を打診したとのことだ。
「オレは学園こそ中退していますが、その前までは兄の補佐になることも考えていたので領地のことはそれなりに出来ます。貴女を支えることに力は惜しみませんよ」
「……アメジスト侯爵は、あなたが私を占ったことはご存じなの?」
「勿論です。面識があるのだとわかったからこそ、兄も了承してくれたのです。……ああ、当然占い内容は言っていませんのでご安心ください」
なるほど、と思った。
アメジスト前侯爵の三男、魔力持ち、独身。そして王女との面識もある。悪くはない、と思うだろう。現侯爵もそう思ったに違いない。
パトリシアもそれだけ考えれば、悪い話ではないと思う。
――しかし。
使者が静かに立ち上がる。
「それでは私は席を外しますので、お二人で――」
「必要ないわ」
あまりにもはっきりとした言葉に、使者は口を噤んだ。
「アメジスト侯爵のご厚意は感謝します。けれど、この話は無かったことに」
「……は、」
「どうぞ、座っていて」
詫びの手紙を書くから待っていてほしいと言うと、使者は多少うろたえていたが、パトリシアの言う通り座り直した。
それにニコリと笑みを向け、部屋を出ようとした。
「――何故ですか」
震えを無理やり抑えたかのような声がかけられる。
「オレと貴女は上手くいくはずだ。何故断るなど。先日の占いのせいですか? 貴女は無礼は咎めないと仰ったはずだ」
振り向くと、マルコム・アメジストはパトリシアを睨んでいた。
まさか断られるとは思っていなかったと、顔に出ている。
その様子を、鼻で笑う。
「あなた、何か勘違いしているみたいね。無礼は咎めない、確かに言いましたわ」
「ならば何故、」
「でも私、『不快に思わない』とは一切言った覚えはありませんよ」
『王族の貴女様が、こんな内容をそのように流されるとは思っていなかった』
「魔法占い師の言葉を咎めることなんて、あるわけないでしょう。けれど、侯爵家の、マルコム・アメジストの言葉としては、ねえ」
『王族の貴女様が』
「私のことを王族だから常識も無く、野の占い師を無礼討ちにするような人間だと思っていた、とあなたが言ったのよ? ――そんな男と結婚しようだなんて、誰が思うというの」
マルコムは目をみはり――段々と顔を青くしていった。
その様子を最後まで見ることなく、パトリシアは部屋を後にする。
(頭の回転も遅いようだから、ますます不要な人材ね)
少し考えればわかることだろう。
パトリシアが赦したのは、【魔法占い師】だったからである。魔法によって口から飛び出した言葉に怒るような常識のない貴族はいない。
しかしあの男は自らの意志で、パトリシアを貶したのだ。例え「咎めることはないから言ってごらんなさい」と許可されたとしても。
本当に無知な市井の占い師であれば、正直に答えるしかなかっただろうから、パトリシアも宣言通り咎めることはしなかった。――しかし、あの男は侯爵家の人間でもあったのだ。いくらでも誤魔化す、もしくは言葉を変えることは可能だったろうに。
パトリシアを不快にさせることを何とも思わない人間なのだと、自ら示したのである。そんな男を夫にしたいだなんて思わない。周囲に公爵としての自分を侮られる原因になりかねない。
しかもあの様子では貴族の社交どころか商会との話し合いすら任せられない。おかしな言質をとられて終わりだ。
パトリシアが夫に一番求めるのは、社交性である。そういう意味でも結婚する理由は無い。
(あなたの言う通り、私は王族なのよ。――だからこそ、余計な隙を見せるわけにはいかない)
****
「――どうもアメジスト侯が余計なことをしたようですな」
ラピスラズリ侯爵がパトリシアの元を訪れたのは、その翌日のことだった。
これは以前から決まっていた面会である。ドリューについての謝罪と、今後のことについての相談のため、しばらくラピスラズリ侯爵が逗留する予定だったのだ。
「殿下には、要らぬ心労をおかけし、申し訳ございません」
全く申し訳なさそうには見えないのだが、セオドア・ラピスラズリは父王よりも年上である。そんな彼に謝られても居心地が悪いだけなので、このくらいが丁度いい。
「いいえ……『余計な』ということは、ラピスラズリ侯爵は今回のことをご存じ無かった?」
「ええ。恥ずかしながら、知ったのはあのマルコムとかいう若造が出立した後でしてね。アメジスト侯も私に気を遣ったようですが、遣い方が間違っておりますな。戻ったら手ずから鍛えるつもりです」
王女の婚姻を担当しているのはラピスラズリなのに、一言も無いというのはダメだろうという。パトリシアもそれには同意した。
ラピスラズリ侯爵は厳格な上に、国の生き字引としても有名である。その彼に扱かれることが決定したアメジスト侯爵は今頃顔を青くしているかもしれない。
「私は殿下の結婚相手に六侯爵の血縁を入れるつもりはありません」
「……そうなのですか?」
「ドリューを選んだのも、ランス伯爵家が五代遡っても王家の血も侯爵家の血も入っていなかったからですよ」
あっさり答えられた内容は、微妙だった。
「殿下の夫となるに支障のない家格で、五代前でも六侯爵全ての血が入ってないというのは希少でしたから。しかも年齢も殿下とひとつ違い。間違いなく買いです」
「買い……」
「むしろ良く残っていたと感心しました」
ラピスラズリ侯爵の言い方がどうも気にかかるが、侯爵も政略結婚が当たり前で感覚が麻痺しているのかもしれない。
しかし、その判断基準だと、パトリシアの結婚相手はだいぶ限定されるのではないだろうか。
高位貴族で六侯爵と血縁関係がなく、なおかつ独り身の男など、パトリシアには思い浮かばない。
「……今そのような殿方は残っていないでしょう。それともランス伯爵家の血縁でどなたかご夫人を亡くした方がいらっしゃるのかしら」
ドリューのことを考えると、ランス伯爵の血縁と、となると微妙なのだが。
パトリシアが首を傾げながら問うと、ラピスラズリ侯爵が顔を顰めた。
「そのことなのですが。――殿下と奴の婚約はまだ解消していません」
その言葉に、パトリシアは目を瞬かせる。
「……え?」
「ドリュー・ランスが消えたのは高位貴族なら知っていますが、手紙の内容は侯爵内で留めていて、王都では騒ぎになっていないのです」
「な、なぜ?」
婚約解消には充分な醜聞のはずなのに。てっきり今日、解消済みの証明書を渡されると思っていた。
「正直あんな逃げ方をして、私が無事で済ます訳がないのは分かっているでしょうから、むしろ事件性を疑っております」
「事件、性」
「筆跡は本人のものですから、脅迫か洗脳か」
パトリシアは血の気が引いていくのを感じた。
ドリューは公爵の夫になる男であった。恐ろしい陰謀に巻き込まれた可能性も、確かにあるのだ。
「まあ本当にどこぞの女に一目惚れして、こちらのことをすっかり忘れて浮かれたという可能性も無くはないのですがね。……とりあえず、殿下のご希望を伺ってからにしようかと」
「……私の?」
「奴が見つかるまで、待たれるか。どんな理由があろうとも消えたことには変わりなしで、解消するか」
「……待っていても、良いの?」
「終着点は同じかもしれませんが、それでも良ければ」
選択肢が、あるのだろうか。
その選択肢を、くれるのか。
それなら、パトリシアは。
『パティ』
「私は……待っていたい、です」
「わかりました。ではこのままで」
あっさり頷いたラピスラズリ侯爵に、パトリシアは呆然とした。
「……本当に良いのですか?」
「構いませんよ。叙爵式だけは先にしますが」
「ええ、それは勿論。ですが」
「本当に奴が心変わりしていた場合、傷つくのは殿下だけですがね」
それでも良いなら、と言う侯爵の顔は変わらない。
「……ありがとう」
「礼を言われることをした覚えはありません」
婚約に関する話は終わらせた気らしい。後ろの使用人に命じて叙爵についての資料を机に広げ始めた。
長い付き合いだが本当にわかりにくい人だ……と思いながら資料を眺めていると、窓の外が騒がしくなった。
パトリシアとラピスラズリ侯爵が揃って眉をしかめて窓のほうを見ていると、ひとりの侍女が突然扉を開けて入ってきた。
「殿下!!」
「何事ですか」
「そ、外に、玄関に、ど、ど、ドリュー様が!」
パトリシアは恐らく、間抜けな顔をしていただろう。
何とか走らないように気を遣いながら玄関に行くと、警備兵たちに囲まれた彼が居た。
旅装姿で泥だらけだったが、間違いなく、ドリュー・ランスであった。
困り顔をしながらも、警備隊長と会話をする彼は、最後に会った時と変わらないように見えた。
――では、やはり洗脳でも脅迫も無く、自分の意思で逃げたのか。
心が冷えた気がした。
「パティ!」
こちらに気づいたドリューが満面の笑みでパトリシアをそう呼ぶ。
「ドリュー、あなた、今更――」
パトリシアは毅然とした態度を取ろうとするが、その言葉を最後まで聞くことなく、ドリューは手にしていたモノをこちらに見せた。
――ターコイズ色の花弁を持つ、花の鉢を。
「え……」
「やっと見つけたんだ、ターコイズ領の山の中で! やっぱり野生化して残っていたよ! これを育てて増やせば肥料になるかな? どこか実験場を作ろう! それともわたしの知り合いの農夫にお願いしてみるかい?」
そう、昔に話した、ターコイズ領であったとされる肥料になる草。
この花が、それなのだという。
「――ド、ドリュー?」
「うん?」
「あなた、『愛する人のために』出奔したのでしょう?」
「? 出奔? なんのこと?」
「わたしは、愛する人のためにこれを探しに行ったんだよ? 君が叙爵される前にこれを確保したくて」
衝撃の言葉に、頭の中が真っ白になる。
「……ふっ……」
「ふ?」
「筆不精にもほどがあるわよ!!」
「殿下、これは『筆不精』ではなく、ただ単に言葉が足りないだけでは」
「同じですわ!」
ラピスラズリ侯爵の冷静な指摘も一蹴する。
「パ、パティ? どうしたの?」
「どうしたじゃありません! さっさとその鉢を置きなさい!」
「置いて、私を早く抱きしめなさいよ!!」
パトリシアのその叫びに、その場の全員が一瞬固まる。
その後すぐに動いたのは――ドリューだった。
地面に鉢を置き、護衛達を飛び越え……パトリシアを抱きしめた。
「パティ、どうしたの、寂しかった? ごめん、もっと早く見つけたかったのだけど」
そういうことじゃない、とパトリシアは言いたかったが、嗚咽で言葉にならなかった。
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オルグレン公爵夫妻は、揃って社交界に姿を現すことは少なかったが、当時の三大【恐妻】夫婦の一組として有名であった。
その理由は結婚前の夫の火遊びとも、話が拗れた末の痴話喧嘩の結果ともいわれている。もっとも、夫婦仲は大変良好だったという。
そして、パトリシアの孫のひとり、ヴィンセントが、ヴィンセント・ドリュー・オルグレン=クリスタとして即位し、オルグレン朝の祖となったのは、また別の話だ。