12. 仲直り
「ひまー、だるー、みんな死ねー」
イグニスがベッドの上で管を巻いている。
サーシャの懲罰房に来て以来、彼はずっと子供の姿でダラダラと日々を浪費していていた。いや、魔力がまだ完全でないのはわかる。サーシャだって頭は痛むし倦怠感が半端ない。
授業が終わればベッドに直行し倒れる。一つのベッドをシェアして眠る毎日に、最早違和感を忘れた。
数百年積もり積もったヘイトは、世紀の大喧嘩の末解消されてしまったのだ。我ながら単純ではあるが、以前ほど嫌ではない。それはイグニスの方も同じのようで、露骨に嫌悪を示さなくなった。握る手を離さず、接触部から増幅する魔力の摂取を甘受している。気持ち良さそう。
一方でアクラは少し面白くなさそうだが。
数日前、合同演習にて倒れた学園関係者を治療したのはアクラだ。1000人を超える人間に、必要最低限の治療……もといただ水をぶっかけただけの行いで全員無事である。
しかし火精霊による暴力的な魔力に押しつぶされ、記憶が綺麗さっぱり飛んでいる。結果なし崩しにルートヴィヒが演習の勝者になり、例年通りの既定路線をなぞることとなった。
異を唱えたくも、その時サーシャは上空で大喧嘩中だったので口を出せなかった。何とも悲しい限り。
手だけでは飽き足らず、イグニスはサーシャへと身を寄せる。
「なー、オレと契約しようぜ。ちびちび魔力食うのしんどいし」
「もうアクラと交わしてるから無理。複数は囲えないよ」
「やってみねえとわかんねえじゃん。おら、名前教えろ」
「痛ッ」
魔力ではなく耳を噛まれた。反射的に声が出たが痛くはない。甘えるような噛み方に背筋が凍る。背中を這い回る虫の感触が蘇り、咄嗟に体を離した。
「サーシャだよ。無駄だと思うけど」
名を告げると嬉しそうに笑う。鋭い犬歯が唇の間から覗き見えた。アクラとも契約を交わしているわけではないが、そういうことにしておいた。通常『器』は複数の精霊と関係を持てるが、自分は不出来。誰とも契約などできない。無理やり名前で縛るだけだ。
精霊方式で契約を行うが、案の定不発に終わる。2人の間で魔力が弾け飛び、混ざることはない。当然の結果に頷くと、イグニスは諦めきれずにイレギュラーを言ってのけた。その言葉にギョッとする。
「じゃあ真名で呼べよ。特別に教えてやる。イグニリ──」
「んんッ」
慌てて耳を塞ぎ、咳払いをしてやり過ごす。
そうだ、前世のイグニスもありえない気軽さで真名を教えてくれたのだ。懐に入れると一気に深層部まで踏み込んでくるから怖い。真名については知らないふりを通したい。
「んだよ」
「悪いけど、本契約はアクラで決めてるから。イグニスの真名は知りたくない」
「はー? 早くね?」
口を尖らせる子供を無視し、サーシャは再びベッドに横になった。会話をやめて、ゆっくり寝たい。
言外にそう伝えると、彼もため息をついて黙って横になる。視線が痛く刺さったが、サーシャは無視に徹した。
1週間後、2人揃って完全復活を遂げた。
魔力切れで大人しかったイグニスだが、魔力の充填を果たし眩しいくらいに輝く。むしろ以前より精錬されたような。
しかし姿は子供のままで、サーシャと背格好を合わせて行動を共にしている。
「もう山に帰ってもいいんじゃない?」
「ヤダ。帰ってもやることねーし」
「メンテナンス」
「めんどい。クソガキと一緒いる方がたのしー」
「こっちは忙しい。君には構えないよ」
「へー?」
両手を頭の上に組んで後をついてくる。現在魔法工学の教室に向かっている途中だ。
魔法工学は魔石や薬草などを元に、魔術アイテム作成方法を習得する。計算式を組んで作成するのだが、当然サーシャは苦手だ。意図しない方向に力が暴走する。
教室に着くと、生徒たちはすでに術具の組み立てを行なっていた。Fクラスは機器の設置ですら時間がかかる。
空いているテーブルに腰をつけて、サーシャも同じく授業の準備に入った。イグニスが頭上から覗き込む。生徒たちは誰もイグニスに関心を払わないので姿を消しているようだ。
「何すんの?」
「今日は鉄鉱石と鉄くずで鋼鉄を作る。てか、いつもそうなんだ」
「ふーん?」
「俺たちの作った素材がまんまAクラスの魔法工学の材料になるんだ。鉄鋼作成は地味に面倒だから、下位クラスが担ってるの。授業の体をした内職だよね」
言いながら、サーシャはため息をついた。地味な内職と言ったものの、自分からすればかなり難しい。何度素材が弾け飛んだかわからない。みんなと同じ分量と同じ熱量で計算をしているはずなのに。
横で頬杖をつきながらイグニスが興味深そうに覗き込む。
「あ!」
「ん」
やっているそばから鉄鉱石が弾け、サーシャの顔面に飛んできた。バリアをするより早く、イグニスが空中でかけらを捉える。熱くないのだろうか? 握った拳の中で石は粉になり、指の隙間から流れ落ちる。
「っぶねーな。怪我すんなよ」
「ありがと。こういうの、苦手で」
工学の実験に於いて、魔力の流れがつかめないので防御のタイミングが外れる。怪我必須の授業なので、今のは本当にありがたかった。
感謝を告げ再度実験へと意識を戻す。計算式を組み直し、術具に素材を入れるところで手を止められる。
「あー、わかった」
「うん?」
「これ、クソガキには合わねえわ。その計算みてえなの全部無駄だな」
どういうことかと説明を求めると、イグニスは鉄鉱石を机から一欠片摘まみ上げる。その瞬間石に熱が点り砕け散った。頭を抱かれ、破片を浴びないよう守られる。
「ほら。オレらが触るとこうなんだよ」
「……? あ、……あー」
数分考えてやっとわかった。鉄鉱石などのマジックアイテムは魔力伝導性がある。熱伝導と同じ考え方で、魔力の大きいものに触れるとその分石内へ取り込む。容量を超えると弾けてしまうのだ。今イグニスが触ったように。
「人間が触ったぐらいなら変化ないだろうけど、クソガキはダメだ。素手で触らなきゃいいんじゃね?」
「なるほど」
言われた通り、ピンセットで鉄鉱石を掴んで作成すると、拍子抜けするくらいあっさりと出来上がった。
入学以来初めてのことである。ずっと不出来を嘆いていたから、この結果が思いの外嬉しい。
「やった。ありがとう、イグニス」
「礼は本契約で」
神は満更でもない顔で笑い、肩をすくめる。
こうして普通に話せるなんて、思っていなかった。殴られ、蹴られ、おちょくられ。傷だらけのコミュニケーションが当たり前だったから。こっちのアクションを変えただけで、平和的な関係となった。
ということは今まで自分の方が接し方を誤っていたのだと気づく。何百年も間違いを繰り返したのち、やっとそのことに思い至った。




