11. 暴君襲来
空気の震えと大地の揺らぎ。足元まで迫る灼熱にサーシャは顔を上げた。
せっかく楽しんでいたのに、いいところで邪魔をしてくれる。
バタバタと人々が倒れ伏し、乾いた音だけが辺りを包む。巨大な岩石が目前に迫り、学園に墜落するという時、分厚い氷の壁が築かれた。壁と岩石が衝突し、爆音をあげて互いに相反し弾け飛ぶ。砕けた氷は雨となってあたりに降り注ぎ、高温に包まれた学園を潤した。
周囲の無事を確認し、少年は空へと飛び出した。後々の面倒を考え、一定の高度まで上昇した。雲が霧のように周囲を包む。この位置ならば被害も少なかろう。
迫り来る第二波、第三波。空全体を覆う炎の弾幕。水蒸気を一瞬して吹き飛ばす火弾が容赦無く迫ってくる。サーシャは呆れてため息をついた。
炎の真ん中で爆煙をあげながら、暴虐な青年が腕を組みこちらを睨んでいる。
「こんなとこに隠れていやがったのか。探したぜ」
「探して欲しいとか、言ってない」
「ああ? てめえ、今の状況わかってんのか?」
反抗的な言葉に、残虐の神はさらに機嫌を損ねた。少年は今や炎に包まれている。血が沸騰する高熱の中、それでも命乞いなどしない。凛とした佇まいで一切の恐怖をはねのけた。肌は所々焦げ始めているのに。
「わかってないのはイグニスの方でしょ。俺に一度負けたの、もう忘れたの?」
「んなッ!」
「何度やったって同じだ。迷惑だから、こういう手法で物事を強要するのはやめて」
「は?」
一呼吸おいて、サーシャは核心をついた。
その言葉が青年の耳に届くや否や、切れ長の瞳は見開かれ、突如大地が大きくうねる。内臓を揺さぶる鈍い音がして、周辺の山々が同時に噴火した。阿鼻叫喚の地獄絵図。少年は失言に気づいたが、言ってしまったからにはもう遅い。
紅蓮の色に顔を染め上げたイグニスは言葉を忘れた。怒りのあまり肉体の造形すら歪む。
『俺に構って欲しいなら、相応の作法があるよね?』
なんて。プライドをズタズタに切り裂かれるセリフに青年の心臓が跳ねた。つまり図星なのだと自覚するしかなく、しかし一方で認めたくない葛藤。
大量な汗が吹き出し、動揺とともに地鳴りが波紋となって広がる。気持ちがぐちゃぐちゃにかき混ぜられる。混乱と同時に吐かれた、予想通りの言葉にサーシャは呆れた。失言は悪かったが、サーシャもサーシャで怒っている。イグニスはいつも思い通りにできない。
「やっぱ殺す。ゼッテー殺す」
「わあ、奇遇だね。俺も似たようなキモチー」
「ヘラヘラ笑うな! マジでクソガキ!」
二人の視線の間に火花が飛び散る。
手加減一切なしの応戦は三日三晩続き、最終的に一方が白旗を揚げる。市井の人曰く、「花火が無数に空を彩り綺麗だった」、とのこと。
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「お疲れー」
「お疲れ様です」
ヘトヘトになりながら、ベッドに倒れこむとすぐにアクラが洗面を用意してくれた。清潔なタオルが顔を覆う。
「すぐ入浴できますよ。それともお食事になされますか?」
「んー。スタミナ切れだから、先に寝る」
「しかしそのお姿では疲れも取れません。では私めが」
「……脱がさないで。ちょっと放っておいてほしい」
過保護な保護者が服の中に手を入れてきたので、すかさず振り払う。自分のためを思っての行いだとわかっているが、感謝するほど頭が働かない。それほど疲れた。
火の聖域では簡単に陥落させられたのに、此度のイグニスには容赦無くやられた。短期間で力量が跳ね上がっていた。何故だ。
思考が霞む。頭と体が泥のように重くなり、意識を手放しかけたところ、……突然牢屋の扉が開いた。
確認するまでもなく、気配で誰かわかる。この三日間ずっと一緒にいた。
目を開けることなく動向を探っていると、自分のすぐ横が沈む。彼もサーシャと共にベッドに倒れたのだ。イグニスの方もかなりの魔力切れらしい。スプリングが沈む質量がえらく小さい。おそらくサーシャと同じ子供サイズか。
考えていたら、体が空中に浮いた。
ため息と共に服を剥ぎ取られ、二人揃って浴室に放られる。
「泥だらけで寝室を汚さないでください」
と容赦無く母親役に言われ、渋々眠たい目を開けた。目の前にはサーシャと同様に眠たそうな小さな神様。
争う気力もなく、一緒に湯船に浸かるとどちらともなく息を吐いた。
「神を殺すとか、頭オカシー……」
「イグニスだってガチだったじゃん……」
「『器』は替えがきくしさー。でもやっと理解した」
「何を」
「クソガキの代わりはいないって。ムカつくけどな」
そこから続くセリフをサーシャは聞き流す。イグニスの小さな指が自分の髪の中に潜ってきた。石鹸の爽やかな香りが鼻腔をくすぐる。思いの外心地よくて眠ってしまいそう。
眠気覚ましにサーシャもお返しに洗ってやると、お湯の温度が僅かに上昇した。




