83. 最後の刻
喧騒に包まれた学園の中で、ルートヴィヒは一人世界の異変に眉を顰めていた。
(一体何が起こったというのだ)
サーシャが敵地に乗り込んでまもなくのこと。彼の謀反の知らせが学園に届き、火消し作業に教師たちは奔走した。
学園側にハルハドと敵対する意思は塵ほども無い。国に仕える忠犬として黙って指示に従ってきた。あくまで謀反は学園の意思ではなく、Fクラスの落ちこぼれの一存であると。
その展開にもルートヴィヒは歯噛みをしたが、一番忌々しいと感じたのはサーシャを止められなかった自分自身であった。
エキセントリックなサーシャから手綱を離せば、どういう行動をとるか想像がつかない。そもそも縛るものがないサーシャは常に自由に突き進んでいる。それに縛ろうにもルートヴィヒの力量ではきっと難しい。
ハルハドに指名手配され、きっと彼は永遠に学園に戻っては来ない。
学園から去る間際の言葉は、そのまま今生の別れの言葉になってしまったのだ。
自分は悔やんでいるが、絶対に確実に、向こうの野生児は心の底から何とも思ってないだろう。そこもまた、忌々しい。
サーシャの動向を探るべく密偵を出したが当然ながら不発に終わる。
そんな折、次に起きた事件が学園をまたも窮地に陥れる。
風魔術が使えなくなったのだ。初めは原因がわからず個々人のスランプかと思われた。しかし風属性を持つ生徒皆が同じ状況になり調査が入る。探知機を使用して風属性の精霊が突如消えてしまったのが原因であると、かなりの時間をかけて答えを出した。
ウェントスと契約をしていたルートヴィヒだけは、風が消えたその瞬間に何が起きたのか理解した。
彼女とリンクしている貴族の少年は一瞬身も凍るほどの急激な寒さに襲われた。体の魔力を根こそぎ奪われる、死をも覚悟する極寒が体を凪ぎ、次の瞬間風の気配が消えたのだ。
瞬時に彼女が死んだのだと理解した。
何故死んだのかはわからない。サーシャが何か関与しているのか、そうでないのか。
風魔術が使えない以前に、街から風が消えた。数刻普段通り暮らしていた町民もそれに気づく。魔力をあまり持たない一般市民も異変に気づいた。
それだけで異変は終わらない。
暫くすると次は火が姿を消した。ウェントスほどの強力な衝撃ではなかったが、火が消えるその時も、火妖精のサラマンダーが「サヨナラ」と声だけを残して消えていった。
あの耳に寂しい別れの言葉は今でもルートヴィヒの脳内に染みついている。
火の無い生活は人々に大きな衝撃を与えた。
原始の時代から使われてきた当たり前の存在が姿を消したのだ。火薬も火打ち石も火属性を含んでいたはずの魔石の全てが無意味なものに変わった。
蝋燭に火は灯らず、食事に火が通らず日光で辛うじて暖めるしか調理法がない。寒気は身体に響き、皆夜は凍えて眠っている。
貴族以上になれば水力発電の恩恵が受けられるので、町民と比べれば幾らかましだが。とはいえせいぜい毛が生えた程度だ。
風が消え、火が消え、死人も出始めた。その次に消えるのは何だ。答えは子供でもわかる。
水が消えた時、我々は一体どうなるのか。
風がなくなり田畑が枯れ始めた。
火がなくなり暗闇での生活を強いられる。
水がなくなれば、喉の渇きを癒せないばかりか、食料はいよいよ無くなってしまう。
人間だけではない、全ての生き物にとって同様に訪れる危機である。
(サーシャは今どこで何をしているのか)
魔術も使えず、ただの一般市民に成り下がったルートヴィヒはただ事の成り行きを見届けるしかない。
けれどサーシャならば、常識に囚われない彼ならば、思わぬ一手を打ってくれそうである。
いつしかハルハドを囲んで暗雲が立ち込めた。
遠くからでも良く見える雷雲は、大きな音を立てて大地を削っている。
粛清か、浄化か。
そんな意味を抱くほどに強烈な存在感にルートヴィヒは知らずに自分の行く末を思って目を閉じた。
(間に合え、サーシャ)
願うように貴族の少年は祈りを捧げた。
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ミーティの森の中、とある集落でも大混乱が起こっていた。
元来村のしきたりに従い、契約者へ力を捧げてきたミーティの民は突如起こった異変に対応できず当てもなく逃げ惑っている。
「……マルグレットお姉ちゃん」
「…………」
「私たち、どうなっちゃうのかな」
紅梅色の髪が美しい少女、エルーシュカは不安そうに姉の手を握る。迫る雷雲はもう村の目前まで迫っている。
マルグレットの髪は妹同様紅梅色をしており見るものを惹きつける。
しかし長い前髪が小鼻のところで真っ直ぐに切り揃えられているので瞳を覗き見ることはできない。何を考えているのか、妹のエルーシュカですら感じることは出来なかった。
それぞれの場所で、それぞれの人が、最後の瞬間を迎えた。
二章登場人物まとめを活動報告に記しました。
三章へ続きます。




