74. 得体の知れない違和感
階上へ伸びる大きな階段には真っ青な絨毯が敷かれ、絨毯の端にはビー玉を思わせる色とりどりの石が散らばっている。
絢爛豪華な城とは言わないが、全体的に優しい色合いで飾られた美しい建物だ。
人魚が住んでいると言っても疑わない。
階段を登り、数多の絵画が飾られた廊下を進み、いくつもの扉の前を通り過ぎる。
行き着く先は玉座の間である。
青をベースにした扉を開けると、絨毯は玉座までまっすぐに伸びていた。
玉座にゆったりと座る人物を見て、サーシャは首を傾げる。
青海波模様の着物を来た女性が頬杖をついている。いや、髪の長さから判断したが女性ではない。白縹色の長い髪が水の中に優雅に漂い、顔は髪の影となりよく見えない。
妖精たちは急かしたが、肝心の要人はピクリとも動かずサーシャに反応を示すことがない。小さく寝息が漏れ、ルーナは呆れたようにため息をついた。
つまり彼は寝ているのだ。
普通に音を立てて歩いて来たし、玉座の間の扉も珊瑚が揺れて涼やかに鳴った。決して静かなわけではない。
(待っていると言うか、ただ寝てるだけだな〜)
いつの間にかサーシャは知らずに笑みを浮かべていた。
この寝汚い男には覚えがあるのだ。いつ会っても眠そうに目を擦り、話しかけるとふわりとゆるく微笑む。
彼の瞳は見るものの心を揺らす美しい瑠璃色だ。
サーシャはゆっくりと男の元に近づき、長い髪に手をかける。
「アクドゥラハルラ」
呼ばれた男は、瞬間ふるりとまつ毛を震わせた。
微動だにしなかった体を緩慢な動作でまっすぐに正し、大きな欠伸を堪えきれず放つ。両の腕を真上に掲げ、凝り固まった体を解していく。
そしてようやく最後に瞳を開く。眠気のために瑠璃色の瞳は涙という湖に沈んでいた。
一筋涙が流れ、それを着物の袖で拭い、目の前に立つ少年の姿を瑠璃色の中に映した。
「おはよ」
「…………」
眠そうな精霊神に起床の挨拶を告げると、彼はふにゃりと柔らかく微笑む。
声もなくサーシャへと手を伸ばし、そしてふと少年の後ろに立つ三人の精霊神の存在に気づいた。
「…………」
不思議そうにサーシャと三人の精霊神を交互に見やり、首を傾げる。
「どうかした?」
再度動きを止めてしまった男にサーシャは尋ねるが、状況を飲み込めないでいる男は玉座に座ったままサーシャを見上げる。
そして先ほど半端に伸ばされた腕がサーシャを捉え、やんわりと膝の上に少年を乗せた。
咄嗟に抱かれて驚く。けれどここに来る前に嫌という程神たちと抱き合っていたのだ。そのため子供じみた体勢に慣れてしまっていた。
そんなことより探るように自分を見つめる瑠璃色が不可解だ。
「?」
「貴方、名前は」
「サーシャだよ」
「私のこと、覚えてます?」
「…………」
覚えている。
だから名前もすんなり出て来たし、いつまでも眠っている彼の癖も知っている。
しかしそれ以外は?
いつどこで会ったっけ? どうして彼のことを知っているんだっけ?
答えに窮するサーシャに男は眉を寄せ、興味を無くしたかのように少年を膝の上から解放する。
「私のことはアクラと」
「うん、アクラ」
呼ぶと、アクラの瞳が不安定に揺れた。
この反応はサーシャにとって非常に意外なものだった。
イグニスもウェントスも真名を呼んだ時、非常に怒ってこちらを攻撃して来た。大事な名前を呼ばれ、縛られたのだから当然である。
けれどアクラは眉を寄せるそれだけで、名を呼ぶことを許した。随分と温厚な性格のようだ。
想像以上にあっさりと行われた精霊神との仮契約に、サーシャは得体の知れない違和感を抱く。
なんか今日、ずっと変じゃない?
沼に沈んでいた際イグニスが水球を突然割り、ルーナが「行こう」と当然のように湖を進んだ。
ウェントスが「最後だから楽しみましょう」と笑った。
何だか全て決まった流れがあって、そのストーリー通りに泳がされているような。今までの精霊神たちとの契約もサーシャの意思ではなく誰かに意図的に誘導されて来たものなのではないか。
誰かとは、一体誰か?
視線を感じて後ろを振り返ると、三人が表情を無くして自分を見ている。
「…………」
いつもは優しかったり、馬鹿にしていたり、楽しげだったりする三人の顔が人形のように固まっている。
しかしサーシャと目があうと皆々表情を緩めた。
まるで作られた性格を演じているかのような。
「……行きますよ」
固まるサーシャの手をアクラが取る。彼もまた無表情である。目を覚ました当初は愛情に満ち溢れた瞳をしていたが、言葉を交わした次の瞬間には全ての感情を引っ込めてしまった。
サーシャに興味はないけれど、利用価値はあるので共にいてやる、とでも言うように。
(……利用価値)
さっきイグニスが言っていた。
利用価値があるから、うまい具合に使ってやろうとかどうとか。精霊神たちはまだ何か、自分に言っていないことがあるのだろう。
「器」の役割は魔力の供給だけでない。「精霊王の器」になるのだと。……考えると、何だかこれっておかしくないか?
気づいた事柄にその意味を飲み込めないでいる。しかしサーシャの感情など彼らにとってどうでもいいのだろう。
妖精の姉も、ルートヴィヒも、そして精霊神も、結局は求めるものは一緒だったのだ。
純粋な好意や友情をサーシャに対して抱いているわけではない。
急にぎゅっと胸を締め付けられ、けれど少年はゆるく微笑む。
元より愛されて育ってはいなかった。起こることが決まった匣庭の中でただ既定の道筋をなぞっているだけ。
「うん、今いく〜」
アクラに促され、後に着いていく。
熱量の伴わない冷えた瑠璃色に見つめられ、着物の中に誘い込まれた。
一瞬視界が遮られ、次の瞬間水面を打ち破る音と圧力に目を瞬かせる。水の中から地上に出たのだ。やはり城の真上は海で潮っぽい匂いがする。
村ではない海面から姿を現したようだ。
アクラの滑らかな指がサーシャの乱れた髪を直す。
周りを見るとルーナやイグニス、ウェントスも微妙な顔をしてこちらを見ている。
無事に海の城から揃って脱出できたのだ。確かに危険なことは一切なかったが。
「クソガキ、こっち来い」
「あら、サーシャちゃんはこっちよ」
アクラの腕の中から引き剥がすように二人に手を引かれ、抜け出る。
魔力の補充がまだ十分でないと言うことか。
何とも言えない気持ちが渦を巻き、けれどサーシャは二人の手をやんわりと握った。




