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魔術師たちの匣庭  作者: こたちょ
2章 少年期編
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70. ミーティの里へ


 案内されるままに空を飛んでいくと、エルーシュカが地上に降りるよう森を示した。


 指差された一帯には霧が立ち込めている。太陽は少しずつ真上に向かっているのに随分不自然な靄の溜まり場である。

 

 あれは結界なのだろうか。里に繋がる入口が霧という結界でカモフラージュされているのか。

 そのまま突っ込もうとするサーシャに、エルーシュカはポケットから青い実を取り出して差し出した。


「あの辺りは酸素より重い気体で包まれています。里への入り口ではあるのですが、人体に激しく影響を及ぼす気体なのでこれを食べてください。いくらか緩和されます」

「君のは?」

「住民は生まれつきの抗体を持っているので。多少は耐えられます。他の天使のみなさまもどうぞ」


 神たちは微妙な顔をしながらその青い実を口に放り込んだ。

 通常の状態異常ならば特に問題ないが、高を括って何か起きたら目も当てられない。不用意に得体の知れない霧の中に飛び込む気になれず、全員少女の言葉に従った。

 その光景をサーシャは珍しく思いながら、自分も青い実を口に放り込む。


「あっ」


 外した。

 至近距離から放ったくせに唇を弾いてしまい、実は真っ逆さまに霧の中に落ちていく。


「…………」


 一同無言になって落下していく薬を見送る。


「ごめん。もう一個ある?」

「いえ、あの実は体調不良等の保険のために持っていたので数はなくて。あれで最後でした」

「…………」

「サーシャさんは極力呼吸を止めて行きましょう。あの気体は血中の酸素と結びついて酸欠を齎すのです。外部の人間ならば一、二分で死亡する濃度なので」

「え」


 一瞬戸惑ったサーシャだったがエルーシュカを見て腹を括る。エルーシュカだって万全の体調でないくせに青い実を我慢して、周りに譲ったのだ。


 本来ならばこの幼い少女が一番に飲むはずだったのに。青い顔をした少女をこのままにしておけず、サーシャは霧に突っ込む覚悟を決めた。

 一刻も早く術師に診せなければ。


「おっけ。行くよ〜」

「霧の中は視界が悪いので私が誘導します。天使様方は逸れないよう気をつけてください」

「わかった〜」


 頷くサーシャの周りに神たちがくっついた。ミーティに飛んだあの態勢だ。

 一人一人横一列に手を繋げばいいと思うのに、なぜこんなにぎゅっと固まるのか。

 右肩にはルーナ、左腕にはウェントス、首にイグニスが巻きつく。苦しい。


「行きますよ。サーシャさんは息を止めてください」


 エルーシュカの声を合図に一斉に面々は霧の中に落下する。滑るように森に突っ込み、視界一面が真っ白な霧で埋め尽くされた。

 腕の中の少女は真っ白な世界でも何かが見えているようで、


「あっちです、こっちです」


 とその都度その都度方向を教えてくれた。

 進むうちにサーシャの息が苦しくなってくる。肺が酸素を求めて辛さを増してきた。頬がパンパンに膨れ上がり顔に熱が上がる。


 何分経ったかわからず、意識があやふやになってきた。限界まで我慢したが、もう無理、とサーシャは息を吐き出した。

 再び空気を吸いこみ納得する。肺を膨らませても息苦しさは治らない。こみ上げる吐き気に耐えていると、続いて頭が割れんばかりの頭痛に襲われる。


「あっち、こっち」という指示が意識のずっと向こうから聞こえてきて、サーシャは無我夢中で浮遊魔法を使った。


(……早く終わってー)


 いつのまにか号泣し、頬がびしょ濡れだ。そして次の瞬間、急に視界が開ける。

 目の前に広がる白がなくなった途端、堪えきれなくなった欲求が押し寄せる。胃の奥からこみ上げる衝動に余裕皆無に辺りを見回した。

 意図を察した少女は「お手洗いはあっちです」と建物を指差す。

 一目散にお手洗いに駆け込み、しばらくの時間をかけてみんなの元に戻ると神たちもまた苦しそうに草むらに横になっていた。


「……死んだ、わ」

「…………。サーシャ、大丈、夫?」

「……はぁ、は……ぁ」

「…………」


 サーシャも答えられず、げっそりとして横に転がった。一同何も考えられる余裕がなくただただ己の不快感が過ぎ去ることを祈った。



(……ん?)


 気を失っていたらしい。

 サーシャは全身に纏わりつくようなヘドロの感触に目を覚ました。ゆっくりと瞳を開けるとサーシャだけでなくルーナとイグニスも一緒に沼に体が浸かっている。

 水底に足がつかず動くたびにズブズブと体が沈む。ドボンと音がして目だけで音源を見ると木漏れ日の色をした女性が乱暴に沼に投げ入れられた。

 ウェントスだ。彼女もまた気を失っているようで反応がない。ルーナもイグニスも動きを見せない。


(…………?)


 どういうことだ、と沼の岸に立つ大勢の人間たちを見上げる。これがミーティ流の治療法なのだろうか。体がヘドロの中にどんどん飲み込まれて行く。酸欠から立ち直っていないサーシャは頭も体もうまく働かない。


 ミーティの民は和やかに笑ってこちらを指差しているので判断が鈍る。その中に見覚えのある小さな影を見つけた。


(エルーシュカ)


 彼女は桜色の瞳に影を落として、胸の前で十字を切った。膝をついて「どうか安らかに」と小さく呟く。


(あー、そっかー)


 因果応報というやつだ。サーシャ自身人の咎など責められる立場にない。ようやく自分たちの身に起きた現実がわかり、思わず天を仰いだ。


 サーシャがあっさりとハルハドを裏切ったのと同様に、エルーシュカもあっさりとこちらを裏切ったのだ。

 村に招待するなどというのは偽りだったのだ。渡された青い薬もブラフだった。でなければ神たちがあそこまで苦しむのはおかしい。


 初めから敵国であるサーシャたちを殺すつもりで誘い、死に切れなかったのでこうして底なし沼に放り入れられた。


 水面がサーシャの鼻の位置まで上がってくる。逃げるほどの魔力はない。

 サーシャは最後の力を振り絞り自分を含む四人の周囲に空気の膜を作った。持って数十分の延命だ。沈みながら、サーシャは紅梅の色をした少女に「バイバイ」と視線を送る。


 最後まで呑気なそれにエルーシュカは衝撃を受けた。暗い瞳に光が灯る。


(残り少ない時間で何か良策浮かべば良いな〜)


 そんなことを考えて、サーシャは完全に沼の中に体を隠した。

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