68. ハルハドの兵士
(なんで?仲間じゃなかったっけ?)
一瞬疑問を抱いたが、サーシャの扱いが学園の外でも変わらないということだろう。
学園内でも要らない子扱いのサーシャは度々躾と称してこういう待遇を受けている。
成績が振るわず、学園の品位を貶めているのだから仕方がないとは思ってはいる。とはいえただ殴られるのは嫌なので適当に対処して逃げてはいるが。
今は普通に油断していた。まさか生徒だけでなく大人までも同じく手をあげるとは思っていなかった。
長年続いている戦争によって鬱憤でも溜まっているのか、単純にそういう性格なのか。班員の足がサーシャの背中に乗ったまま、伍長の足が持ち上がり振り下ろされる。
鉄芯が入った靴底は普通に痛そう。
このまま黙って踏まれ、蹴られる気はなく、サーシャは軸足と地面の間に鋭く風を吹かせた。
地面と靴底との間に隙間などない。けれど無理やりそこに風を押し入れて靴を抱えたままスライドさせた。
軸足を取られた五人が一斉にひっくり返る。呆気に取られた顔をしてお互いがお互いの顔を見合わせた。奇妙な無言の間ができる。「今、なぜ転んだのだ」と。
その隙にサーシャは立ち上がり服についた砂を払った。
きつく踏まれたので背中が痛い。少し擦れてしまった。殴られて口も切れてたのでハンカチで拭う。
のんびりと着衣の乱れを整えながら、草むらに座り込む大人と目があった。
「大丈夫ですか?」
「あ、ああ……」
大人たちは理解が追いつかない頭で必死に状況を整理した。
国を上げて研究している魔術技術。その研究者を輩出する最高峰の育成機関が魔術師学園だ。
多くの奇才を輩出する一方で、学園の中での才能はピンキリで、下手すると民間人レベルの生徒もいる。
この度肉壁に選ばれたのはその民間人レベルの生徒である。かつ、貴族のように後ろ盾もない平民ばかりなので、隊員たちは皆簡単に手綱を握れると考えていた。
兵士の多くは魔術に精通していない。しかし兵士としての訓練は勿論のこと、魔術の不得手を補うために一人一人魔術道具を持たされている。
そのため自分で魔術を使わなくてもどうとでも対抗できるはずだった。
大人は僅かに恐れを含んでサーシャを見上げる。
(もし、今のがこの子供がしたことであれば)
(魔術師とはどの程度のレベルなのだ。今のが最底辺の生徒の力か)
(そういえば、先ほど我々の火球を容易く消したぞ)
(……そうだった)
急に目の前の生徒が恐ろしくなる。黙りこくった大人を前にサーシャは首を傾げた。
ただ転ばせただけなのだが誰も立ち上がらないので心配になってきた。打ち所が悪くて脊髄でもやられたか。そうなると歩くことができない。
やりすぎたか、と思ってサーシャは一番近くにいた伍長の手に自分の手を乗せる。
「立てますか。どこかおかしいですか」
「……いや、平気だ」
動揺しながらものろのろと立ち上がる大人を見て、サーシャは安堵する。
とりあえず大丈夫そうだ。
「ところで、どこかにお急ぎでしたか。この辺りに何かあるのでしょうか」
「あぁ」
事前情報で知った紛争区域はもう少し国境に近い方だ。サーシャたちのいる場所はミーティの中央から僅かに離れたくらいの場所なので、今ここで仲間に会うのはおかしい。
彼らは急いだ様子で走っていたので、何を目的にしているのか気になった。
「我々は偵察班だからな。ミーティの首都の位置を探っているのだ」
「あ、わかってないんでしたっけ」
サーシャはルートヴィヒに聞いたことを思い出した。ミーティは謎に包まれている。そのためハルハドが勝手に魔物生息区域以外をミーティ自治区として設定したのだ。
魔物と人は共生出来ないからと、あまりにも雑な発想。
しかし現実、その自治区内で多くの兵士が命を落としている。広大な国土のあらゆる箇所で同じことが起こり、軍隊の上層部の頭を悩ませているとのこと。
このあたりの事情は下々には降りてきていない。何故かルートヴィヒは知っていたが。
伍長は低く唸って答えた。
「うむ。しかし我らは首都に繋がる手がかりを発見したのだ」
「そうなんですね」
「このあたりで女児の遺体を見なかったか。追跡魔術をかけたのだが」
「…………」
サーシャの顔が真顔になる。
「意外にも素早くて途中で見失ってしまった。毒効果も上乗せさせたのだが暫く動けたようだな」
「女児を使って首都に案内させる算段だったが」
「見失ってしまっては仕方がない。どうせ街に帰る道筋で逃げただろうし、死んでいる周辺を探せばいいだけだ」
「追跡術の反応によるとこの近くのはずなのだ」
「…………」
一瞬口を結んだサーシャはゆるく首を傾げた。
「女児ということは民間人なのでは?」
「そうだろうな。戦闘に長けている感じではなかった」
「戦争って民間人も巻き込むんでしたっけ」
「時と場合に寄るだろう。致し方ない犠牲は戦争にはつきものだ」
「…………」
「子供に聞かせるには酷だが、綺麗事ばかりでは戦に勝てない」
「なるほど」
兵士たちの会話であの少女がミーティの民であること、少女に危害を加えたのは然るべき理由があることを改めて整理する。ハルハド側の視点で言うのなら兵士らの判断は正しい。
大人たちが言っている理屈は分かる。戦争とは話し合いでは解決出来ず、関係性が拗れた結果なのだから。
綺麗事で済むのなら始めから戦争などしていない。
けれど。
(子供が死ぬの、苦手なんだよなー)
「その追跡の術って解けないんですか?」
「何故そんなことを聞く」
「解けないにしても、追跡から逃れる範囲みたいなの無いですかねー」
「随分と直球な質問だな。つまりお前は女児の居場所を知っていて匿っているということだな」
「……あれ?」
あからさますぎたか、とサーシャは愛想笑いをして更に直球に要望をぶつける。
「その女の子、見逃せませんか? 子供なのでかわいそうです」
「居場所を知っているのならまず案内しろ。話はそれからだ」
「その顔、見逃す気無いですよね」
「当然だろう。長引いた戦争が終わるきっかけを、易々見逃せるか」
「首都が分かったところで俺たちの勝利は確定できないのでは?」
「その言葉、反逆罪に問われるぞ。王の命令は絶対だ」
お互いに譲れないのでサーシャは更に首を傾げる。相手も焦れている。
しかし奇妙な術を使う少年に安易に手が出せない。
「あ、良いこと思いついた」、と少年は瞳を瞬かせる。
「あの子、俺の妹なんですよ。一緒に学園から飛んできたんです」
「……はぁ?」
「皆さんはミーティの子供だとお思いなのでしょうが、勘違いです。あの子はハルハドの民です。見逃してください」
「良いこと、とは良い言い訳を思いついたと言う意味か……」
兵士たちはサーシャの頭の弱さに度肝を抜いた。
今更出てきた言い訳をがあまりにも遅すぎるし幼稚だ。時系列がおかしいし、理屈も通らない。
実力に反して思考が伴っていないので上手くすれば言いくるめられるのでは、と大人たちは目を見合わせる。
「いいや、女児はミーティの民だ。お前は感情的になっていて気付いてないのだろう」
「女児の耳を見たか。先端が豚のように尖っていた。間違いなく野蛮人の印だ」
気づいてなかった。
サーシャは少女の容姿を思い出すが、綺麗な髪色が印象的すぎて耳の形など曖昧だ。
あとで戻ったら見せてもらおう。尖った耳なんて、想像すると可愛らしい。
「ん?」
兵士たちがサーシャの背後に目を向ける。
サーシャも後ろを向き、気づいた存在に自分の迂闊さを呪う。会話に意識が向き過ぎて気づくのが遅れた。
朝靄の中から小さなシルエットが浮かび上がる。
「……サーシャ、──?」
小さな足音を立てながら人の形が近づいてくる。
サーシャの死角で男たちが笑う。同時に聞こえた人の名前に、目の前の少年の名前が知れた。ミーティの言語は不明だが人名の発音は共通している。
「サーシャ」という名前が男たちの胸に深く刻み込まれた。
朝靄の中から彼女の姿が現れる前に、サーシャはそちらに足を向ける。
男たちの目が触れないように、自然な仕草で少女の壁となった。
「エルーシュカ」
「やっぱり、サーシャさん」
嬉しそうに少女が微笑む。
「天使様……じゃなかった。サーシャさんの声が聞こえて。一晩休んだだけでこんなに歩けるようになりました」
「良かったね〜」
「サーシャさんはこちらで何を?」
「ちょっとお散歩だよ〜」
なにやらのんびりと話をしているサーシャに、背後にいる兵士は眉を顰める。
状況を理解しているのだろうか。
油断だらけの背中に兵士は毒矢を放った。




