67. ミーティの森
人の気配がしてサーシャは目を覚ました。
自分以外の人間は紅梅色の髪の少女だけだ。一定のリズムで毛布が上下しているのでよく眠っているのがわかる。
精霊神たちは昨日と同じ場所に座ったり横になったりしながら寝ている。寝なくてもいいくせに、随分気持ち良さそうに寝るものだ。
朝の空気はまだ冷たい。起床を促す爽やかな風と、地上を揺蕩う朝靄が幻想的である。眠気覚ましに散歩をしようと起き上がる。しばらく歩いていたら朝靄の中に小さな影が映った。
小さな影は妖精の女性だ。どうやら彼女も朝の散歩中で、サーシャを見ると「おはよ」と声をかけた。
「おはよ〜」
「気持ちのいい朝ね。でもまだ肌寒いわ」
「そうだね。お姉さんは服着ないの?」
「着てもいいけど面倒で」
手のひらに収まる小さな体をくるくる回してサーシャに見せる。やっぱり裸は寒そうなので持っていたハンカチでその裸体を包んだ。
「ところで、近くに人間はいるかな? 随分沢山の気配がするんだけど」
「人間? ……あぁ、そういえばいたわねぇ」
「どっちの方向かな? もし敵だったら隠れなくっちゃ」
「あっちよー。隠れるなら匿ってあげましょうか?」
「いいの? もう一人女の子がいるんだけど」
「その子は人間? もしそうなら力添え出来ないわ。ごめんねー」
「おっけ。大丈夫〜」
女性は手を振ってお散歩を続けるため去って行った。
力添え出来ない理由を追求しなかったが、何となくこうなると思っていた。精霊は基本人間に興味が無いように思える。サーシャに対しては割と友好的なので、やはり育ちの違いか。精霊に育てられたので彼らには仲間として見えているのだろうか。
それとも自分は見当違いをしていて、力添え出来ないのは単純にお姉さんの魔力不足が原因かもしれない。
ぼんやりと霧が晴れるのを見ていたら、遠くの方から人の声が聞こえてきた。甲冑がぶつかる音、布ずれ、武器が草木に擦れる音、騒々しい駆け足が森の中に響く。美しい森には似合わない無骨な音である。
近づいてくる影が徐々に輪郭を現す。何人いるのか数えはじめた時、サーシャの足元に矢が刺さった。
「え?」
間を置いて火球が放物線を描いて降ってきて、驚きながらも風で払う。
放たれた火球の威力は弱く、風魔法で十分消せる。攻撃にしては緩すぎるそれにサーシャは首を傾げた。
瞬時に消されてしまった火球に目の前の人々は騒つく。
当初、サーシャはあの少女を追う悪党たちかと思ったのだ。少女に繋いだ鎖の魔術を頼りにここまでやって来たのかと。
しかし姿が見えてくるにつれ、そうではないと考えを改めた。
目の前までやって来た面々もサーシャを見て眉を顰めた。全員サーシャと同じ鳥の紋様が描かれた翡翠色のマントを着ている。ということは仲間だ。共に戦うハルハドからの兵士たちだった。
兵士の中で最も体躯の大きい男が一歩歩み出る。サーシャを見る目つきが鋭い。
「なんだ貴様は、何故ここにいる」
「ちょっと見学……じゃなくて。参戦に参りました。魔術師学園からの選抜隊に選ばれて」
「ああん?」
目的は見学だったが、真剣に戦っている人を前に流石に悪いと思った。とりあえず選抜隊に選ばれたのは本当なのでそこだけ切り取って伝えた。
「選抜隊とはなんだ」
「それはいわゆる甘言でしょう。肉壁になる子供らを派遣したと閣下がおっしゃってました」
「ああ、なるほど。そのうちの子供か」
「えぇ、我々の戦力不足に閣下が温情をお授けくださったのです」
答えたサーシャを放って大人たちは下卑た笑いを浮かべた。「肉壁」という文言にサーシャは首を傾げる。
肉でできた壁?
美味しそうな響き。しかし文脈に上手く嵌らない単語なのでそのままの意味ではなさそうだ。何かの隠語だろう。
大人たちは五人いる。軍隊の編成としては「班」に該当する規模だ。一番偉そうで体躯の大きい男が指揮官なのだろう。他の五人の男たちが口々に指揮官に媚びた笑みを振りまいている。
どの男も長らく入浴できていないようだ。泥に汚れた衣服や不肖に伸びた髭や髪のせいで正確な年齢がわからない。ざっと見た感じ30代から40代か。
指揮官は口に手を当てた。
「しかし肉壁にしては数が少ない。おい、坊主。他に仲間は」
「逸れました」
しれっと言ってのけた。
「ん? 通達によると昨日の朝に王都を出立したばかりのはず」
「確かに変だな。なぜ一日もかけずこんな森奥地にいる」
「我々の足よりも早く」
「逸れたというのはどこで逸れたのだ」
サーシャは何も無い空中に視線を向けた。
兵士たちは魔術や魔法に明るく無いらしい。どう話せば一番理解してもらえるのか。サーシャは説明が苦手だ。
「特別な凄い力で飛ばしてもらいました」
直球勝負だ。
人間には魔法が認知できないと聞いたので、「魔法」と言う言葉を使わずありのままを伝えた。ルーナによる空間魔法の恩恵などと言っても理解はできないだろう。
「特別な凄い力、だと?」
男たちは不可思議で漠然とした言葉に顔の彫りを深くし、しかし何かに気づいたのか急に破顔した。
「伍長殿、もしや」
「あぁ。わかったぞ。これも閣下の恩恵である」
「王家のみに許される移動魔術を使ってくださったのですね」
「いつの間に我が国はここまで技術を発展させたのでしょう」
「素晴らしい。ここまで技術の差があれば我々の勝利は目前でしょう」
「…………」
曖昧に笑いながらサーシャは成り行きを見守る。
閣下だとか王家だとかサーシャには馴染みがない。ただ、ハルハドは王政なので兵士は主君である王家に絶対的な忠誠を持っている。そういえば魔術師学園も王家の直属であったか。
頭を揺らしながら考えた。彼らと自分の立場は同じである。
「しかし移動魔術も万能ではないようだな。逸れたということは」
「まとまった人数の移動は出来ず、各所に落とされてしまったようですね」
「それでは肉壁に使用しづらいな。まあ、いい。1人確保だ」
サーシャに太い腕が伸びてきて胸ぐらを掴まれる。
顔を上げた瞬間硬い拳が降ってきて、目の前に星が飛び交った。殴られたと実感したのは自分が体を地に伏した後だ。
なんで? 仲間じゃなかったっけ?
痛いなー、と思いながらサーシャは地面に踏みつけられ頭上の男たちを見る。全員が一縷の同情もなく少年を見て笑っている。
感情が読めないその暗い笑顔に首を傾げた。




