64. サーシャの宿題
「あ、使用者か」
正解に近づいたサーシャの呟きに神たちはゆっくりと頷いた。
「そうだよ。精霊が使うものを『魔法』と、人間が勝手に括ってる。人智を超えた奇跡から自然現象まで全てをそう呼んでる」
「私たちがしているのはごく普通の自然の営みなの。だから人間には認知できないし真似も出来ないわ」
「貴族のガキみてーに契約者は別だけどな」
「なるほど」
少しずつ分かってきた。精霊が使うものが『魔法』なのなら、対義語として人間が使うものが『魔術』なのだ。魔術は自然現象をどうにか人の手によって起こせないか考えて末に出来た学問である。
人の意思を介在しない自由気ままな自然現象を、代わって人が行おうとするから代償がいる。計算式や魔術陣、薬草や魔石などの材料が。サーシャは何度目かの「あれ?」の言葉を口にする。
「俺が魔法使えるのは何で? 誰とも契約していないよ」
「おー、ついに」
「やっと気付いた」
「うふふ」
神たちは其々の愉快そうに笑い、その後の回答は導いてくれなかった。「それは宿題ね」とウェントスが髪を翻して、サーシャちゃんの話はもうおしまい、と打ち切る。
宿題にされてしまったサーシャはまだ思考の波が収まっていないので飛びながら脳内を働かせた。サーシャは幼いころから、気付いたら魔法が使えていた。
姉やルーナには敵わないものの小さな自然現象を起こすことが出来た。
狼に育てられたら例え種別が違えども狼として育つように、サーシャも精霊に育てられたので精霊になってしまったのだろうか。
考えても考えてもわからない。
「人間といえば、ルートヴィヒちゃんって凄いわよねー」
とウェントスが笑みを含んで言う。
「サーシャちゃんは魔法には色があるって知ってる〜?」
「色。あぁ、うん。風は緑色だよね」
「属性の色じゃなくて、性質の色よ。ミーティにはミーティの、ハルハドにはハルハドの魔法の色があるの」
「そうなの?」
「人間には見えないから感じるしかないんだけど、ルートヴィヒちゃんは何故かわかったみたいね」
「いつ?」
「私が飛空艇を飛ばした時。あの時私の魔法はミーティ由来の魔力を使ってたから、ルートヴィヒちゃんは敵国の目から逃れられたと思ったみたいね。敵国の魔力を纏った船は敵国所属の船に見えるだろうって。……まぁ、正解は違うのだけれど」
知らなかった。
サーシャは運が良かったで済ませたが、ルートヴィヒは自分なりに結果を推考していたのか。ここで個人の力量が嫌というほど知れてしまう。けれどサーシャは嫉妬するわけでなく純粋に凄いと思った。
「ルートヴィヒは凄いよ。なんたって適正100だからね〜」
「うっわ、それ貴族のガキにゆーなよ。すっげえ嫌味ー」
「何が嫌味?」
「そういう呑気な顔とかも含めて全部」
イグニスに頬を引っ張られる。結構痛い上に「柔いー」と更に伸ばすのでサーシャもイグニスの顔に手を伸ばした。
「痛ッ。ちょっとくらい加減してよー」
「してんじゃん。つーか何食べたらこんなフニフニすんの」
「イグニスだって同じもの食べてるでしょ。……え、硬い?」
空中で取っ組み合いになりながらイグニスの頬を抓ると、予想外に硬くて伸びない。いくら体が石のように硬いからって顔まで鍛えるとか理解できない。
どういうことなんだ、と頬の感触を触って確かめた。
イグニスはふと目を細めてサーシャの掌に頬を寄せる。サーシャの頬から手を離し、代わりに少年の手を捉えた。「もっと触れ」とでも言うように手を離してくれない。
「ん?」
「んだよ」
イグニスの頬を触りながらサーシャの意識が別に逸れる。
目下に広がる森の中にふと柔らかな紅梅色が見えた。木と木の間に隠れるようなそれ。何となく正体を探るべくじっと見つめる。
美しい花が開花でもしているのだろうか、届かない花の香りを求めるようにサーシャは風魔法を解除していく。
中途半端な接触で放り出されたイグニスは再度自分に注意を向けようとしたが、サーシャはその手をすり抜けた。イグニスはままならないあれこれに「死ね」と呪詛を放つ。
「ねえねえ、ちょっと見てこよ〜」
「あらあら? 何か見えた?」
「目的忘れてない? まぁ僕は別に忘れてもいいんけど」
「ちょっとだけだから〜」
紅梅色の美しさに目を奪われたサーシャは森の中に落下するごとく突っ込んだ。枝が肌を抉るのを厭わずに大木の間を抜け、地上直前になって竜巻を起こして衝撃を和らげる。
草木がサーシャの周囲に波紋をとなって広がる。音もなく地上に足をつけたサーシャは目的の美しい花を探すが、想像していたものとは違う光景に首を傾げた。
心が惹き寄せられる紅梅色の髪がまず目に飛び込んだ。花かと思ったが髪の色だったようだ。髪の持ち主は浅い呼吸を繰り返し地面に倒れている。
年端もいかない少女は五、六歳に見える。少女の右足は一部分が紫色に変色し瘤のように盛り上がっていた。
毒を受けたのだと判断したサーシャは黙って少女を抱き上げた。




