62. 想像力不足
時は遡り、サーシャが馬車から身投げした時。
風魔法で移動しようと思ったが、屋根の上のルーナが手招きしたので一旦屋根の上に上がった。呆れた顔をして目を細めるのでサーシャは愛想笑い。
「サーシャ、本気なの?」
「破天荒な発想ねー」
「行くんならオレも」
暴れたいだけのイグニスは同調を示すが、他は心の底から呆れている。
別にどこの国に与するつもりもないし、サーシャが良いと思ったことを見守るだけだ。神として力を貸したことはない。しかし、とはいえ。サーシャの安易な判断に唸らざるを得ない。
「子供が泣いてるし、可哀そうじゃん」
「泣いてるのは目の前の子だけじゃないよ」
「そうだけど。あ、そっかー」
戦争をしているのだから当然のことにサーシャは気付く。泣いているのはハルハドの子供だけではない。向こうのミーティの子供も同じこと。子供だけではなくその家族も悲しんでいる。サーシャが兵士を斃すたびに負の連鎖は広がって行く。
当たり前のことにやっと頭が働いてきた。
ルーナが言わなければ、おそらく事態を目の当たりにしてから気づいたと思う。サーシャが肉塊へと変えた人間を、悲しみながら追悼する仲間の姿を、つい昨日講堂で目にした光景を。
「んー、困ったね。どうしよう」
「そうやってハルハドに尽くすぞ、ってならないのがサーシャちゃんよねー。忠誠心って知らないでしょ」
「コロコロ考え変わっし。貴族のガキが行かせたくなかったのがわかんな」
「どこで育て間違えたのかな。もっと賢くなるかと思ったのに」
「わーわーわー」
好き勝手言われて恥ずかしさのあまりサーシャは耳を塞いだ。確かに考えが足りなかったかもしれないがそれはそれで仕方ない。
神たちが言う通りサーシャはハルハドに思い入れはない。
ただそこのコミュニティに属しているから、義務としてなんとなく参戦しただけだ。流れに乗っただけなので確固たる意志なんてない。
一方で神たちはサーシャを除いた人間に贔屓はない。どの人間が生き死にしようが構わないが、サーシャが後々でも酷く後悔する展開は避けなければならない。
清らかな魂が些事により汚されてしまうのを見過ごしてはいけないと、その為に出た進言であった。
少年の中で急に「戦争」の文字が最底辺に価値が落ちた。そもそも戦争の理由も知らないし、「どうしよう」なんて言葉が漏れてしまったのだ。知ったところで参戦する気もないが。
うーんうーん一頻り唸ってサーシャは手を叩く。
「よし決めた〜。参戦を方向転換します」
「サーシャが傷つかないのなら、どんな方向でも構わない」
「うふふ。やっぱ逃げちゃう? どうせ直に卒業だし、もともとサーシャちゃんが尽力する必要なんてなかったのよー」
「んだよ、行かねーの? まー、いいけど」
心配してくれていたのだと、やっと感じ取ったサーシャは感謝の意味を込めて笑みを浮かべた。彼らはノリで付いて来たのだと思っていたが、心を配ってサーシャと共に居てくれたのだ。もっとしっかりしなければいけない。
サーシャは風魔法を使い竜巻の渦で己を包んだ。近くいるウェントスに感応しているのか、精度が今までで一番いい感じだ。意図を察したルーナが瞬時に竜巻の中に入ってくる。それは他の二人も同時であった。
「ちょっと、話ししてる最中にどっか行かないで」
サーシャは一人で戦地に行くつもりであった。
竜巻が一回り収縮すると全員が頭上に打ち上げられる。空高く雲を突き抜けたサーシャたちは上空を流れる風を掴む。上空の方が気流が激しく流れに乗りやすいと思ったからだ。
移動は風魔法が主流だ。火魔法でも可能ではあるが、風に比べると劣るのでイグニスはサーシャの腰を引き寄せた。すっごい不本意に「オレも連れてけ、つったろ」と呟かれる。風魔法を自分にもかけろ、ということだ。
ウェントスは問題ないが、ルーナは、と見ると空中に浮かびながらため息をついている。
「結論は?」
「戦はしない」
「それで?」
「ちょっと、見学しよーかな、みたいな?」
「は?」
「俺が不勉強なのがわかったから、介入せず現状把握に努めようかと」
「………」
だから、来なくていいよ、と言ったつもりだった。特に何をするわけでもないし危ないこともない。サーシャ自ら誰かを斃すわけでもない。遠目から戦場の状況を見て、今後に活かせる何かが掴めればいいかな、と思った。
精霊神たちは互いに顔を見合わせて、何か考えている。こういうところで結構過保護だ。
「ん、オレはいいと思うぜ」
「そうかしら? 場合によってはサーシャちゃん、すぐ手を出しそうなんだけど」
「それは想定しておくべきだ。サーシャは傍観者には向かない」
「野生児だかんなー。考えるより行動派つーか。でも俺らには───」
「────」
「────」
何やら相談し始めたが、気流の音が強くてサーシャに耳には届かない。こっそり勝手に行ってしまおうかと、旋風を人差し指でくるくると回す。
ふと様子を伺う為神たちに目を向けると、ちょうどルーナもこちらを見ていた。じっと見つめ合うこと数秒、銀色の瞳が細められる。
「サーシャの気持ちはわかった。好きにしていいけど、やっぱり僕も行く」
「うふふ、みんなで行きましょー。当初の気持ちで旅行みたいな感じね」
「うん」
サーシャを脇に抱え直したイグニスが、耳元に唇を寄せる。「結論はなから決まってるくせにいちいちウゼーよな、あいつら」と。
ルーナが空中に手を当てると、穴が空いたように漆黒の空間が現れた。ルーナだけが使える空間魔法だ。
この魔法が使えたら移動が格段に楽になる。風に乗っていくよりも、空間と空間を繋げて飛んだ方が格段に早い。身体への負荷は半端ないが。
「手伝ってくれるの?」
「手伝いはしないよ。移動だけね」
「移動が手伝いだと思うんだけど」
それ以外に何をするつもりもないサーシャはルーナの手を握る。どこか触ってないと一緒に飛んでも座標がズレる、と以前言っていたからだ。
ルーナは他の二人に手を伸ばそうとしなかった為代わりにサーシャがウェントスに手を伸ばす。イグニスは初めからサーシャの首を腕で固定しているので問題はない。
奇妙な一拍の間を置いてウェントスはサーシャの手を握った。恥じらうような仕草をしておそるおそる指と指と絡ませる。
その様子を「何だか、らしくないな」と思いながら、けれどその違和感を流す。両手に二人、背中に一人の体温を感じながら切り取られた空間の中に飛び込む。
飛び込んだ先は重力が不安定で、ぐらりと体が傾いた。踏ん張るにも足場がなく風魔法が発動しない。落下するわけではないので身の危険はない。ゆったりと宙を漂うような感覚だ。
内臓が持ち上がるような、目の奥がビリビリと痺れるような、この体にかかる負荷は相当空間を歪めているのだと知れた。使用者のルーナこそ涼しい顔をしているが、イグニスもウェントスも顔を歪めて負荷に耐えていた。
時間にして数分なのだろうが、呼吸すらも苦しい空間の中は一時間にも二時間にも感じられる。浅く呼吸をするとウェントスが優しく頭を撫でてくれた。
自分も相当青い顔をしているくせに。
やっと遠くに白い光が見えて空間魔法の終わりを認知できた。後ろにいたイグニスが背中を押して先を急ぐ。口に手を当てて吐き気を堪えている。
待望の白い光に限界を超えた面々が飛び込む。光を全身に浴びて、視界が白に塗りつぶされた後、次に現れたのは地平線まで伸びる森林の真上の景色だ。落下に備え風魔法を構築したが、ウェントスが既に風の膜で包んでくれていた。
タンポポの綿毛が浮遊するかのようにふわふわと風に流されながら、なんてことなく地上に足をつける。ルーナを除いて全員、どさっと青く茂った草むらに顔を沈めた。
「げー、酔った。気持ちわりー」
「空間魔法って便利かと思ったのに代償が酷いわー」
「さっさと終わらせたいかと思ったんだけど。ゆっくり繋いだ方が良かったかな?」
「ん、大丈夫〜。ありがと〜」
空間魔法を使って数分で飛ぶのが良いか、風魔法を使って数日で飛ぶのが良いのか、使用者によって意見が分かれそうだ。ちょっと前にその風魔法で飛んだAクラスの面々は体の損傷がえげつなかったので、空間魔法に軍配が上がるのか。
何れにしてもサーシャの移動魔法とは桁違いの速度のため、かなり時間を短縮している。酔いを紛らわせるためサーシャは風を吹かせる。
「そういえば飛空挺の時、空間魔法を使わなかったのはなんで? これで飛べばすぐ終わらせられたよね」
「君らが飛空挺にテンションやばすぎて言い出せなかった」
「そーいえばそうだった」
「あー」
イグニスとサーシャは互いに顔を見合わせる。確かに飛空挺は楽しかった。今は大破しているので新調するまでもう見ることはできない。
「それに空間魔法も万能じゃないよ。ある程度の座標を指定しないと飛べないから。高速で、しかも不規則に動いている船と地上を行き来なんて出来ない」
「そうなんだ」
雑談を交わしながら、面々は今しばらく涼しい風を堪能するのであった。




