60. 訃報と召集
講堂の中は人でごった返している。
既に生徒はクラス毎に長椅子に座り、席がないFクラスは両サイドの壁に沿って立っていた。サーシャも倣って壁に立つと、生徒たちが皆暗い顔をしているのに気付いた。
こんなに人がいると言うのに誰も言葉を発せず、異様なほど静まり返っている。
僅かな靴音、布ずれ、呼吸音だけが重苦しく聞こえた。
「なになに〜、何かしら〜?」
「何が起こんだ?」
神々は場違いに明るく笑っている。サーシャも少しだけ微笑み返し、ゆっくりと壇上に掲げられている弾幕に目を向けた。
白地の布に数十名の名前が書かれている。その中に初等部時の担任の名を見つける。
弾幕の下には長机が置かれ、アーチ状に白い花が飾られていた。
元担任の名はあるものの本人の姿は見当たらない。彼は今戦地にいるはずで、たまに手紙が届く。
何か戦果でも挙げたのだろうか、と成り行きを見守るが表彰に用いるトロフィーやメダルが見当たらない。
「………?」
目の前に座る生徒がハンカチを手に顔を押さえている。すすり泣く声がまばらに聞こえた。
学園関係者が皆講堂に集まり、静かに出入り口の扉が閉じられる。いつもは開かれている壇上上のステンドグラスは黒いカーテンがひかれ空中に浮かぶ蝋燭だけが光源を放っていた。
薄暗い空間にゆっくりと学園長が姿を現した。重々しい足取りで壇上に登り、持っていた白い花を一輪テーブルに置いた。何かの呪文を唱え、白い花は鬼火となってテーブル毎燃えてしまう。
「私たちは大切な同胞を亡くしてしまった」
ポツリと呟かれた老人の声が静かな講堂の中によく響く。
すすり泣きの声が増え、サーシャは思わずルーナを見上げた。銀色の青年は熱量の伴わない、興味皆無な視線を老人に送る。
「戦死者の追悼式みたいだね」
「戦死者って、……死んだってこと?」
「人間は脆いから仕方ないよ」
「サーシャちゃんはああなっちゃダメよ〜」
うふふ、と笑う神たちを見て、その後サーシャは担任の名前を見る。
「でも手紙来たよ?」
「配達まで時差あんじゃん。その間にくたばったんだろ」
「えー」
納得のいかないサーシャは他の生徒のように悲しみが湧かない。
実感がないまま追悼式は進み、サーシャの腹の中でモヤモヤとした蟠りが募っていく。
精霊もそうだがサーシャも死というものに理解が薄い。ただ、距離が離れていて会えないのと何が違うのか。もう会えなくなるというのはどういう意味なのか。
担任に特別な感情はないが、飲み込みきれない砂の塊が腹の中に溜まっていく。
ぼんやりしていたらいつの間にか追悼式が終わっていた。
カーテンが開けられ、司会者が拡声器を握った。
「今から名を呼ばれた者はここに残れ。他の者は即時に解散すること」
司会者が名前を読み上げ、その中にサーシャの名前もあったので首を傾げた。
Fクラスのしかも厄介者の自分が呼ばれたのは初めてで、疑問を抱く。呼ばれなかった生徒は講堂の入り口に歩みを進めていく。
突然後頭部に旋風が吹き、サーシャは風の方向を振り返る。ルートヴィヒが立っており、難しい顔をして自分の元に来るよう手招いた。
意図がわからなかったのでとりあえず無視した。
何度も同じ轍を踏みたくない。一向に学ばず、易々と拘束されては堪らないからだ。
講堂の中には名前を呼ばれたものだけが残った。数にして四十人ほどか。
サーシャは気付かなかったが、その面子は全て平民であり成績の振るわない生徒であった。生徒たちは不安そうな顔をして教師の次なる指示を待つ。
しかし既にどんな展開になるのかわかっているようだった。青い顔をして震えている。女生徒は互いに手を取り合って涙を零し始めた。
教師がサーシャたちの前に立ち、小さく咳払いをした。
「おめでとう。諸君らは見事選ばれた」
おめでとうと言いながら祝福の感情が一切含まれていない瞳で生徒を見回す。
「知っての通り、我がハルハドは隣国との戦いで圧倒的優勢を保っている。あともう少しというところで、諸君らの力が必要なのだ」
「…………」
「市街からも力ある少年少女の兵士を募っている。彼らと共に戦地に出向き、我が国の礎を築いてくれたまえ」
「……ちょっと待ってください」
嗚咽を飲み込んだ女生徒が勇気を振り絞って手をあげた。
「戦争への召集は成人してからではなかったのですか?私たちはまだ」
続く言葉は教師の咳払いで止められてしまう。
反論を認めない、有無を合わせない圧力にこの命令は絶対遵守の項目なのだと知れる。
未成年も戦場に送り込む意味、長引く戦況下で圧倒的優勢と言葉を飾る意味、誰もがその意味を理解した。ハルハドは有利ではなく圧倒的不利な状況で、子供の自分たちが望まれるほどに兵隊が不足しているのだ。
無論力のない子供に出来ることは限られている。体良く肉壁となって散ってこいと言外に言われて、生徒たちは目の前が真っ暗になった。
ただ一人、とんでもないアホを除いて。
サーシャはやはり話の展開が見えず、顔中に「???」を飛ばしながら辺りを見回した。
何故生徒が泣いているのかまだ飲み込まず、空気を読まず元気よく挙手をする。
「すみません。指示が曖昧でわかりませんでした。具体的に俺たちは何をすればいいのですか?」
言った本人が適正ゼロのサーシャなので、教師はわかりやすく嘲笑を漏らす。質問を無視して話を進める。
「出立は明日の早朝だ。別れを済ませてこい。逃げようとすれば血族全員に厳正な罰を受けてもらうので、余計なことは考えないように」
それだけ言うと教師はその場を後にする。目を丸める野生児だけが今の展開を理解できない。召集された生徒たちも残された時間を惜しんで講堂を去っていく。
サーシャは精霊神と顔を見合わせて、やはり間の抜けた顔を浮かべた。
別れとは? と考えながら、サーシャが思いついた人物は悲しいことにルートヴィヒしかいなかった。
先程無視したくせに調子がいいが、寮塔に戻る前にAクラスの住居がある寮宅区域に立ち寄る。すれ違うAクラスはサーシャ見て、ギョッとして距離を置いた。ロック鳥事件以来Aクラスはサーシャが怖い。
区域の中央にまるで守られるようにルートヴィヒの家がある。白い鉄柵に囲まれたバラ園は見事な白い花を咲かせている。
丁度ルートヴィヒが庭をうろうろしていたので、サーシャは手をあげて彼を呼ぶ。
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「ルートヴィヒ〜」
顔をあげた貴族の少年はサーシャを見て安堵のため息をついた。
そして従者を呼んで門を開けさせる。
「サーシャ。良かった。来ないかと思ったぞ」
「先生が別れの挨拶してこいって〜。さよなら〜」
「呑気か。まあ入れ」
やや脱力したルートヴィヒは先日のテラスのカフェスペースへとサーシャを誘導する。その際「拘束具は使わないからもう逃げるな」と強めに伝えた。
席に着いた二人の元へすぐにお茶が用意された。流れるようなもてなしにサーシャはやや恐縮する。
お茶に一口口をつけたルートヴィヒは、己を落ち着けるかのように小さく息を漏らした。サーシャを見て遣る方なく眉を寄せる。
「やはりこういう運びになったか。我が国ながら愚かな国策だな」
「なんのこと?」
「戦争に決まっている」
今自分たちの周囲には従者しかいない。不敬罪に当たる言動だと承知しながら、ルートヴィヒは声を潜めた。
「サーシャには行かせたくなかった。負け戦とわかって参戦する意味がわからない」
「え? 負けるの? 圧倒的有利に進んでるって言ってたよ〜」
「それは国民の心を鼓舞するための戯言だ。真に受けているものなどいない。……サーシャは夏休みに私がしつこく領地に誘ったことを覚えているか」
「そりゃつい最近のことだしね」
「あれは私の両親からの後ろ盾が欲しかったのだ。サーシャの召集を避けるため、両親から口利きをしてもらえば話が早いからな。叶わなかったことだが」
「別に戦争くらい行けるよ? 国民の義務だし」
「私が行かせたくなかったのだ」
ルートヴィヒは目を閉じて夏休み起きたことを思い返した。
両親は二つ返事で「ルートヴィヒが懇意にしている相手なら」と許可を出してくれた。
それなのにその相手が「サーシャ」であると伝えた途端容易く手のひらを返してしまう。ルートヴィヒにはその決断が信じられなかった。何故、と言い募っても両親は理由を言わずに唇を結んだ。
『心配せずとも彼ならば大事にはならないだろう』
『……父上はサーシャの実力を知っていても、尚身分に拘るのですか』
『国策に従え。あの子に特別扱いは必要ない』
サーシャのみならず、平民優先に戦地に召集される国の制度にルートヴィヒは不満をずっと抱いている。出来ることなら全員を助け、国政を正したいが、国王に意見するほどの地位は悔しいことにない。
両親はサーシャの才能をやはり理解しており、彼が戦争で死ぬことはないと確信している。だから不穏なことは言わずに行かせろ、と言うのだ。
確かにサーシャならば死ぬどころか、呑気に死体の山を築いて意味を理解せず笑いそうだ。それでも人の血に塗れたサーシャを見たくない。魔物殺しと人殺しとでは決定的に意味が違う。
いくら国益に繋がろうとも感情的に容認できない。
そんな胸の内を吐き出せるわけもなく、ルートヴィヒは静かにカップの中で揺れる紅茶に視線を落とす。サーシャはやはり呑気にお菓子を頬張っている。一つだけ食べてあっさりと席を立った。
「んじゃね〜」
と手を振るサーシャに従者がポツリと漏らす。
「これから戦地に向かうとは思えない姿ですね」、と。全くである。




