53. 夢魔とウェントス
次に目を開けるとやはり辺りは真っ暗であった。
違うところと言えば手に卵を持っていないところ、海底に子供が転がっていないところである。つまり先ほどよりもさらに深い精神内へと沈んだことを意味する。
三人の精霊神も共にいる。
魔力を僅かに通わせて消えたためだろうか、再び目を覚ました時も精神が繋がっており意思疎通が可能だ。
「え~と、今どういう状況かな?」
「夢魔が幸せなひと時を見せるって言ってたから、舞台みたいに見せてくるんじゃない」
「魔物のくせにお調子者よね。人を襲う一方でこういった遊びもするんだから」
「てめえも十分調子に乗ってっけどな」
「子供たちは幸せな夢を見てるんだね。どうりで良い顔してるわけだ」
バクが食べるのは悪夢だけではない。大量の夢に誘われて捕食しているだけだ。良い夢を食べられてしまうのは勿体ない気もするが。
そうこう話していると、自分たちのうちの一人に変化が起きた。ウェントスが輪の中から消える。
いや、違う。姿が変わったのだ。
「あら?」
目を瞬かせたウェントスの姿がいつしか十歳ちょっとの少女へと様相を変えた。目線が下がったので一瞬見失ったのだ。来ている衣服も大人しめのワンピースに変わっている。黄緑にグラデーションがかかったパステルカラーが似合っている。
いつもの恰好よりずっと良いとサーシャは思った。きっとルートヴィヒも気に入るだろう。
「……まあ!」
自分の恰好を一回り見て、ウェントスはふと遠くに目をやった。その目に捉えた愛しい人に彼女はわかりやすく目を蕩けさせる。
「主様!」
サーシャたちをすり抜けてウェントスは待ちきれずに走り寄る。
主様と呼ばれた人物はゆらりと闇の中から浮かび上がった。その姿はサーシャが想像していたものと少し違った。
ウェントスは更に小柄な少女を抱き上げてくるくると回り始める。少女はフリルをふんだんにあしらったドレスを着ているが詳細が分からない。
というのも少女は少女の形をしているが靄のように朧げだからだ。色も様々に変化していくので特徴を掴むのは不可能である。
しかしウェントスには少女が主人であるという確信がある。甘さを存分に湛えた瞳で少女を見た後、サーシャへと視線を送る。
「うふふ、思い出を見るってこう言う感じなのね〜。体が勝手に動くし私目線で再現されるんだわ」
「ウェントスからはその子の姿が見えるの?」
「見えないわ。残念だけど、深層心理でも忘れてしまったのね。お顔立ちは分からないけど、流れてくる魔力は主様本人のものよ」
少し悲しそうに首を振ったウェントスだが、容姿が見えなくてもその愛情が霞むことはない。
少女をキュッと抱きしめて、幼い額に唇を寄せた。
「そして私はこう言うのよ。『主様、私と共に行きましょう』って」
ウェントスの言葉に、思い出の少女が微笑んだような気配がした。
そして性別の分からない声が発せられる。少女とも取れるし少年とも取れる、不思議な声色だ。
けれども柔らかな音域に、ウェントスは耳の神経全てを捧げた。
『なら世界を回ろう。ウェントスの風は体に心地いいから』
『嬉しい。さあ主様、手を繋いで』
『私も飛べるから大丈夫』
『あらいやだ。私があなたと手を繋ぎたいのよ』
手を繋いだ二人を中心に景色が変わる。漆黒の闇だった背景が、突き抜けるような青空と、下方に広がる大海原で視界が埋め尽くされた。
強風に主役二人の髪や衣服が音をたてて靡く。恐ろしいスピードで進んでいるのだ。
サーシャたちは見物人のため、強風の影響を受けない。位置取りだけは変えられるようで好きな角度で彼女らの思い出を鑑賞できた。
イグニスは早速位置を変えた。かなり距離をとって豆粒ほどの位置で海を眺めている。興味皆無なのがあからさま。
サーシャは首を傾げた。
「あれ? 主様からって『ウェントス』呼びでいいの? ウェントスもイグニスも呼び名に拘りあったよね」
「サーシャちゃんはいちいち規格外ねぇ。今は主様に集中したいから話は他の人に聞いてね」
「おっけ〜」
海を抜け、大陸が見えてきた。
ウェントスと少女は風に乗って時に激しく、時にゆったりと揺蕩うように空中を進んでいく。陽光も雨風も臆することなく全身で受けて笑い合う二人は本当に楽しそうだ。
サーシャはウェントスの言葉の意味を自分なりに考えてみた。他人に真名を呼ばれることを嫌い、しかし主人に通常時呼ばれるのは愛称である。
「もしかして真名を呼ぶ時って、結構特別な時だったりする?」
ルーナと目が合い、浮かび上がった答えをそのままぶつけた。




