46. 最後の状態異常
ルートヴィヒの懸念はそのまま当たっているようだ。
先からだんまりしているサーシャは事態を理解しているのか。ルートヴィヒがサーシャへ目線を向けると、野生児も唸っていた。
良かった。異常事態なことは解っているようだ。
と、かなりハードルの低いところでルートヴィヒは安堵するが、やはりサーシャはサーシャと言うべきか。
理解度が低すぎるせいか、全然違うことを考えていた。
「ねえ、髪の毛の色、もっと薄く出来る? その方が似合うよ」
「…………」
「…………」
ルートヴィヒと女性が同時に目を丸くする。
話の筋に全然合っていない。今話しているのはどうしたら元の世界に返してくれるのか、そういう話だったはずだ。
「その話、今関係あるかしら?」
「ないと思う。ちょっと気になっただけだから」
「自重しろ、サーシャ」
「いや、なんか急に違和感が出てきて。もっと髪の色違ったし、渦を巻いていたような」
「…………」
女性が呆れた顔から急に真顔になった。その変化に気づかなかったルートヴィヒは軽くサーシャを小突く。
「一体何の話だ」
「ん、いや、……やっぱ何でもない」
歯切れの悪い返答をして、首を振る。頭が靄を被ったようにスッキリしない。
サーシャには毛先がくるくるとうねった女性と遊んだ記憶があるのだ。その女性と目の前の女性が重なって見えた。容姿は曖昧で覚えていないが雰囲気は同一人物かのように同じだ。
魔石と女性の魔力が融合しているのか、魔石の隣に立つ彼女から発せられる魔力に覚えがあった。それはむず痒く喉まで出かかっている。
「話を戻すが、どうしたら帰してくれるのだ。用事があるのなら可能な限り請け負おう」
妖精相手に強硬な手段は思いつかず、しかしルートヴィヒは話を軌道に戻した。
妖精だと言う彼女の魔力は膨大なものだろう。船丸ごと一隻神隠しにし、枯渇することなく魔法を使い続けている。
ルートヴィヒの契約する妖精とは比べ物にならず、もしかしたら妖精王に近い存在かもしれない。
サーシャをじっと無表情に見つめる女性は、視線を外さないままそれに答える。
「ごめんなさいね、帰せないの。お客様には魔石への媒介者になってもらいたいから」
「どう言う意味だ」
「端的に言うと死んでほしいわ」
やんわりと言われた一言にルートヴィヒは瞳を開く。
「何故そうなる」と発せられぬまま、魔石が眩く光って思わずルートヴィヒは瞳を閉じる。
眩しくて開けられないまま、身体中が鋭く切り裂かれていく。生暖かい血が草木に飛び散るのを感じて、痛みをそこそこに、思わずサーシャへと意識を飛ばす。
彼は大丈夫だろうか、サーシャならばすんなりとバリアを張って無事だろう。
最悪自分が倒れてもサーシャを交渉役に立て、帰還を願おう。なんだかんだ言ってサーシャは妖精に好かれているのだから、希望は通るのではないか。
その安直な想定は次に目が開かれた時に徹底的に蹂躙される。
緑光が収まり、目を開くと身体中から血が噴き出していた。
サーシャを見ると、先ほどいたところに彼の姿はない。
立っていた地面に赤黒く染まったボロ雑巾のようなものが倒れている。
その正体がサーシャだと知り、一体何が起きたのかルートヴィヒは訳が分からなくなった。サーシャは苦しそうに血が混じった息を吐き出す。
「あらあら、最後の状態異常は結構効いたみたいね〜」
「これが、状態異常だと?」
「魔物の撃破数に応じて被ダメが比例するのよ〜。呑気なその子は余程殺してきたみたいね」
「…………ッ」
ロック鳥の討伐だけで言えばルートヴィヒは十数羽だが、サーシャは数百匹斃している。それ以前も換算されるのであればもっとだろう。
こんなことであれば討伐を頼むのではなかったと、仕方のないことを後悔してしまう。
「うふふ、このまま死んでねぇ」
女性の片手が持ち上がり、手の上で風がノコギリのように連なっていく。死角から風の刃が放たれ、ルートヴィヒの足の腱を切り裂いた。
痛みを伴って足の力が抜けそのまま地面に倒れる。逃れられない状況にルートヴィヒはただただ現実を受け入れることができなかった。
ちょっとした散歩に来ただけであったのに、一体どうしてこうなった。
サーシャのことなど放っておいて一人だけ行かせ、自分らは早々に学園に帰れば良かったのか。いや、帰っても神隠し中の身では意味がない。
どこからどうやり直せば良かったのか、最近のこと、そして続いて幼い頃のことまで走馬灯のように脳内を駆け回る。
その幼き頃の時代で何かが幼子の視界を通過した。
あれは、なんだ?
考えに沈むより早く、目前まで迫ったノコギリに思考を奪われる。左右にスライドしながら迫ってくるそれは避ける間も無くルートヴィヒの首を跳ねるだろう。
せめてサーシャを……。
出来もしない願いを込め、傷だらけの両手を血だまりに埋まるサーシャへと伸ばす。
「え?」
血の海からサーシャの体が起き上がる。
真っ赤に染まった顔がルートヴィヒを向き、状況を察知した子供は慌てて体勢を整え風に乗るようにルートヴィヒを押し倒した。その真上をコンマ一秒でノコギリが通過する。
「大丈夫?」
「いや、サーシャこそ大丈夫か」
言いながらサーシャの口から血が溢れる。臓器がやられている証拠だ。
無造作に袖で口を拭い、「めちゃくちゃ痛いー」とサーシャは泣き真似をする。
いや、実際泣いているのだろうが悲壮感が全くないので同情しづらい。どう見てもサーシャの方が重症であるのに。
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「あら、意外と動けたのね」
「一瞬気を失ったよー。その魔石すごいね」
呑気に感心すると、女性は微笑みを消し不機嫌を露わにした。
サーシャは怪我をした箇所に息を吹きかける妖精の頭を撫でる。労わるように彼らはサーシャに寄り添う。
「あなた、何者かしら? 妖精にかなり好かれてるみたいだけど」
「思い出せない? 俺は気絶したせいか思い出したよ〜」
「何を」
目を細めた女性に、サーシャは場違いにもにっこりと微笑んだ。
自分を害したものに対する顔ではない、愛情に満ち溢れた甘い微笑みに周りを囲む妖精は勿論、女性も息を飲んで見つめてしまう。
「ウェンデレミーナ、だよね。昔一緒に遊んだことあるよ〜」
「…………ッ」
雷に打たれたかのように女性の身体がびくりと硬直する。
目を見開き、口は慄く。今耳にしたことが信じられないと耳を塞いで女性は頭を振った。
「……なんで、その名をッ」
「だって、昔」
「その名を呼ぶな!!!」
急に怒りを爆発させた女性は魔石から大鎌を取り出してサーシャへと襲いかかる。本来であれば大地を割る威力のある風魔法だが、サーシャの首をふわりと撫でるのみであった。
何度も何度も振りかぶって攻撃を加えるが、少年の身体に傷一つつけることができない。ルートヴィヒは呆気に取られてその様子を見ていた。
サーシャが何事か聞き取れない言葉を発して、急に攻撃が無効化したように見えた。
意味のない攻撃を繰り返しながら、女性はいつしか泣き出してしまう。
「それは、……その名は、主様がくれた、大事な……」
「そっか」
優しく女性の頭にサーシャの手が置かれ、宥めるように髪を撫でた。
手が触れたところから鱗粉が落ちるように薄萌黄色に変わる。毛先の棘がくるりと内巻きに渦を巻き始めた。
「君にも大事な人がいるんだね。大事な名前を呼んでごめんね」
「…………」
ハラハラと涙を零す女性の頬にそっと手を寄せる。溢れる涙を指先で掬って優しく撫でた。
肌に触れたサーシャに、女性はあることに気づく。だから妖精たちはあんなにまで懐いていたのかと、ようやくここで腑に落ちた。
女性は強張りながらも、その指先を甘受して恐る恐るサーシャへと身を寄せる。
「ウェントス、と」
「ん?」
「さっきの名前は嫌だから、そう呼んで」
「わかった」
突然の和解にルートヴィヒは置いてけぼりを食らったが、まぁこの調子なら森から出られそうだと密かに安堵したのであった。




