45. 森の最奥
風の谷に入って三日目の朝、そろそろ船に戻らなければならない。
ちょっと女性の家に挨拶をするつもりが、思いの外長引いている。
Aクラスも当初の目的のロック鳥の素材集めが果たせており、さらに解体作業も終わっている頃かもしれない。
ルートヴィヒ曰く、王族への献上品に使うそうなので、時は一刻と争うのだろう。
諦め時だろうか。しかしそうなると戻るためにさらに三日かかる。ルートヴィヒに判断を仰ぐとこのまま進もうと言った。先に進んで女性と合流してスタート地点に飛んだ方が早いという判断だ。踏破すればワープが可能になる。
崖の上から見た谷底は広大だったが規模的に終わりを迎えてもいい頃だ。尤も、目で見えた森がそのままの姿をしていればの話だが。殆ど賭けだ。
「今日は罠がないね〜」
「本当に終盤なのかもしれないな。順調で良いことだ。妖精はいるのか?」
「うん。こっちだよ〜って言ってる」
どういうわけかルートヴィヒには妖精の姿が見えていないらしい。
サーシャとルートヴィヒには精霊の定義に教えの違いがあるようだった。ルートヴィヒは魔力量の大小で区分分けをしている。サーシャは姿が見えるか見えないかの違いだと、火の聖域の女性に聞いた。
確かに魔力量が高くなれば姿が見えるのだから相似点はある。
しかしルートヴィヒに言わせると、精霊は見えない一択であるからサーシャの定義は一般的でないと言う。他の生徒も同様に見えていないと。
幾ら何でも、俄かには信じられない。物心ついたその時から常にサーシャの周りに普通にいた妖精たちが誰にも見えていないだなんて。
ましてサーシャは適正ゼロとお墨付きを貰っている。自分に見えて魔力量の高いルートヴィヒが見えていないなど。
単純にルートヴィヒの能力が極端に偏っていて、妖精を見る能力が欠落しているだけでは。他の人間には普通に見えているのでは。
そう聞いたがすぐに首を横に振られてしまった。
「思い返して見るといい。サーシャには普通のことだったかもしれないが、他の生徒は妖精に対して態度が違ったのではないか? 認知できていないのだから当然だが」
「人間に友達なんていないから気にしたことないな〜」
「それもそうだな。友達といえば、イグニスという名が出たことがあったな。その人は妖精なのか」
「精霊神って言ってたよ〜。だからお伽話じゃないよ」
「…………」
「精霊神」と聞いてルートヴィヒの表情が固まる。しかし妖精の姿形を見た手前、直ぐに否定することは出来ないらしい。喉を上下させて言葉を飲み込んだ。
今までの既定概念を覆すのはなかなか難しいとみた。
「機会があれば紹介してくれないか。目で見て判断したい」
「わかった〜」
世界の常識を全て覆す会話を自覚なく行いながら、サーシャは妖精たちに微笑み返す。彼らはずっと森に入ってから親切に誘導してくれた。
なんの特徴も目印もない森をただ闇雲に進めるわけがない。「あっちだよ」「こっちだよ」と進む方向を示してくれていた。
道中の状態異常の罠も実はちゃんと教えてくれていたのだが、好奇心が勝り足を進めてしまったのだ。
石化や混乱、実際になったことがないため興味が出てしまった。石化している時は思考も止まるのだろうか? 実はちょっと動けて「歩く石像」という魔物みたいになれたりするのではないだろうか? そんなアホな思いつきはルートヴィヒにより静かに止められてしまったが。
とはいえ毒沼だけは不注意だった。あの粘度の高く異臭が強い沼にはもう二度と落ちたくない。
「サーシャ、止まれ」
考えていたら腕を掴まれた。
道無き道を進み茂みを抜けると、そこは円形に整備された広場になっていた。大きな魔石が広場中央に鎮座し、魔石に足を組んで腰掛けている女性がいる。
広場が風の最終的な溜まり場になっているようで、魔石に向かって音を立てて渦を巻いている。
風によりたわわな胸が揺れる。深緑の長髪がうまい具合に局部を隠しているのでいっそ感心した。
女性は眠っており、太ももに頬杖をつきながら背中を丸め瞳を閉じている。よくこんな強風の中で眠れるものだ。
※
準備に向かうと言っていたが、見た感じご馳走などはない。サーシャは準備とは何か分からなかったが、ルートヴィヒは当然飲食の類の準備だと思っていた。
「こんにちは〜。着きました〜」
「邪魔をする」
こちらの声に「あら?」と女性がゆっくりと顔をあげた。寝起きのせいかやや濁った瞳で少年たちを見る。姿を確認して赤い唇で妖艶に笑みを作る。
「うふふ、ちゃんと来れたのね。偉いわあ」
「義理は果たしただろう。私たちは急いでいるので帰る」
「そうなの? 妖精は時間の感覚が曖昧なのよね。少しだけお話ダメかしら?」
「妖精」と本人の口から聞き、ルートヴィヒは眉間にシワを寄せた。なら初めからそうだと言って欲しい。いや、言われたからと言って信じるとは限らないが。
女性は魔石から音もなく飛び降りる。
接触した足と地面の境目に風の渦が巻き上がり、波のように辺りに散らばっていった。
「悪いが、人間なりに事情があるのだ。仲間を待たせているし、敵国内に長居はしたくない」
「あら、気づいていなかったの? 船全体に気配遮断の魔法をかけたのよー。敵とか味方とか知らないけれど、人間に察知されることはないわぁ」
「それはどうして」
「大切なお客様ですもの。他の誰かに奪われたくないから」
「……お客様とは、どういう意味だ」
「うふふ」
意味深に笑う彼女の真意が図れない。
そして今彼女との会話の中でルートヴィヒがわかったことは、生徒たちの目下の安全は確保されているということだ。
確かに湖畔に着くまで敵に察知されることはなく順調な航海であった。順調すぎるぐらいであった。
それは彼女の魔法の恩恵によるもので、しかし素直に感謝を伝えられない。何故なら裏を返せば今船に乗っているもの全員が神隠しにあっているということだから。
彼女の魔法がいつ解けるとも分からず、このまま学園に帰っても誰も自分たちを認知できないのではないか。空間を切り取られてしまった哀れな人間には為す術もない。
歯がゆい気持ちで唇を噛むと、「あら、賢い子ね〜」と女性が笑う。
ルートヴィヒの懸念はそのまま当たっているようだった。
最悪な事態までも脳裏を掠める。




