44. サラマンダー
サーシャは首を傾げながらルートヴィヒへと手を伸ばした。
「精霊神は?」
「そんなお伽話まで信じているのか」
「お伽話じゃないよ」
「精霊神は伝説だ。人間の欲が生み出した架空の精霊。精霊神と契約を結べば全世界を掌握する英知を手に入れられる、なんてファンタジーの話だ……、って、何をしている。くすぐったい」
「ん〜」
サーシャの手が毛布の下でルートヴィヒの体を弄っていく。くすぐるでは無い、何かを探るような手つきで体中を撫でていく。背中や腹、腰、腕と、無造作に細い指が体を撫でていき、ルートヴィヒは何とも言えない気持ちになった。
急になんなんだ……。
体を撫で切ったサーシャの指が今度は首へと登ってきた。
「……ん、サーシャ?」
滑らかな指が頬の線をなぞり、耳の後ろを通過して髪の中に潜っていく。僅かに心地よさを感じて仕返しにくすぐりかえしてやろうと思う。
サーシャへ手を伸ばし、……かけようとして相手が手を止める。野生児がニンマリと笑った。
「やっと捕まえた〜。すばしっこいね〜」
黒の長髪を掬い上げる。両手で大切なものを扱うかのごとく椀の形を象った。そしてそのまま両手をルートヴィヒへと差し出す。
「ほら、いるじゃん。かわいい子が」
「…………」
差し出された両手は言うまでもなく空っぽだ。良い笑顔で嘘を言うサーシャの意図が掴めずその手首を掴む。
イマジネーションフレンドをルートヴィヒにも作ろうとでも思われたのか、もっと別の意味があるのか。さりげなく手の甲に指を這わせるが、測る脈拍は一定だ。後ろめたさは感じられない。
サーシャは手のひらを見ず、自分の方を見るルートヴィヒに不思議そうな顔をした。指がルートヴィヒの唇にくっつきそうなくらい接近する。
「ルートヴィヒ?」
「サーシャ、何が言いたい、…………」
言いかけて、繋いだ手が温かな熱を持ったのを感じ、視線を下に落とす。
「え」
サーシャの手からスポットライトが当たったように何かが薄ら浮き上がる。肉厚な脚に鱗のある尻尾、トゲのある背骨と下から順に姿を現していく。
手に収まる小さな火トカゲはルートヴィヒと目が合うと嬉しそうに目を細めた。
手のひらから飛び立ち、ピルピルと小さく炎を吐いてルートヴィヒの頭上を飛び回る。
「な、なんだ。これは」
幻覚でも見ているのか、ルートヴィヒは空中に飛ぶ火トカゲを見る。
魔物か? 幻覚か? いや、聖域に魔物は出ないし、状態異常にもかかっていない。
「え? 妖精でしょ。君たちずっと一緒にいたじゃん」
「妖精は目に見えないと……」
「隠れんぼが得意なんだろうね〜。もしかして初めて見た?」
「………」
火トカゲに手を伸ばすと、手を避けてルートヴィヒの頬に身を寄せた。
炎に包まれた体は触れても熱くはない。柔らかな暖かさのみが伝わる。
「ルートヴィヒ、ヤット気ヅイタ!」
「…………ッ」
火トカゲが喋ったので、驚きのあまり声を失う。喜びに満ち溢れた笑顔で火トカゲが小さな体躯をいっぱいに広げて顔を抱きしめた。
「ズットボク達一緒ダッタ。見テクレナクテ寂シカッタ」
「ルートヴィヒは意外と間が抜けてるのかもね〜」
理解が追いつく前にサーシャが要らないことを言うので思考が中断されてしまう。学園一の間抜けに言われたくない。
「サーシャ、説明しろ」
「だからルートヴィヒの契約した火妖精だよ。いつも一緒にいる癖に見えないなんて言うから」
「サーシャにはずっと見えていたと?」
「えー? みんな見えてるでしょ?」
何を言ってるのだ、とお互いの顔が怪訝になる。
ということはお互いに明確な認識の違いがあるのだ。
ルートヴィヒ達人間は精霊全般目視できないというのが常識であった。学術書にもその前提で教えが説かれている。しかし一方サーシャの目には当たり前に精霊が見えているのだ。何故かは全く見当もつかないが。
「私たちの間には絶対的な違いがあるようだな」
「どういうこと? あ、身分の差のこと?」
「……今度話す」
サーシャと話しているうちに火トカゲの姿が徐々に薄くなる。また見えなくなってしまうのか、火トカゲは少し寂しそうにして笑った。
「見エテナクテモ、一緒イル」
「わかった」
指先で頭を撫でると、火トカゲは幸せそうに笑って空中に溶けた。
虚空を掴むようにしてルートヴィヒは後を追うが、触れている感じも暖かさもわからなくなってしまった。今見た不可思議な現象に頭がぼんやりし、狐につままれたような気分でサーシャへと向きなおる。
サーシャは不思議そうな顔をして僅かに笑い、続いて明後日の方向に視線を向けた。サーシャの髪が不自然に巻き上がり、楽しそうに誰かと話している。ルートヴィヒには見えない何かと戯れているのだ。
「妖精は、ここにいるのか?」
「聖域だからいっぱいいるよ。罠についても教えてくれたし」
「…………」
当然のように言われて、ルートヴィヒは考え込む。
「ルートヴィヒは目が悪いのかな。目薬作ってみる?」
と誰かと話すサーシャを見て、今まで抱いていたサーシャ像が音を立てて崩れていくのを感じた。
ずっと独り言を言っているのだと思っていたが、サーシャには精霊を認知する能力があるのだ。彼らの関係は良好で、契約なしに感覚的に魔力を使えるということだ。
だから属性に縛られず、あらゆる魔術を組み合わせた人知を超えた芸当が出来るのだ。限界のない事実に考えが至り、なんとも空恐ろしい。のんびりとアホを装っている子供に鳥肌がたった。
敵に回してはまずい。いや、元より回すつもりはなかったが、今まで以上に囲い込みに全力を尽くさねばならない。
「サーシャ」
「ん〜」
空中を見上げているサーシャの腕を引き、毛布の中に囲い込む。
「もう寝よう」
「わかった」
精霊側に極端にサーシャを寄せるのは危険だと本能が告げる。
ルートヴィヒはうるさい心臓を鎮めながら腕の中の存在に力を込めた。




