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魔術師たちの匣庭  作者: こたちょ
2章 少年期編
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40. 招待への道中


 女性について行くと、暫くして普通の森の入り口に誘われた。


「ここを抜けて行くの。人間にはちょっと辛いかも?」


 そう言って足を踏み入れ、サーシャたちも後に続く。

 森はやはり普通の森である。明るい日差しが辺りを照らし、木々の間を縫って迷いのない一本道が続いている。鬱蒼とした森ではなく、等間隔に生えた木のおかげで視界は明るい。道を少し逸れても難なく遊歩道まで戻れるだろう。

 普通に歩き出したサーシャの肩にルートヴィヒの手が置かれた。


「行こうか〜」

「ちょっと待ってくれ」


 眉間にしわを寄せたルートヴィヒが、やや苦しそうにして額に手を当てている。ルートヴィヒの視線があちこちに泳いでいた。足元が覚束ない。ありもしない階段でも登るように歩みが虚空を踏み、踏み外す。


「真っ直ぐ歩けないんだが。サーシャにはどう見えてるんだ」

「整備された遊歩道が一本ある綺麗な森だよ〜」

「私にはいろんな景色がダブって見える。歩む度に重なった景色も変わって、夢の中のように平衡感覚があやふやだ」

「手でも繋ごうか」

「助かる」


 ぎゅっと手を繋いで誘導するが、ルートヴィヒの視界は情報過多の為混濁しており歩みは安定しない。

 女性はどんどん進んでしまうので距離が離されていく。と言っても一本道なので逸れたとしても問題はないと思うが。


「サーシャ、肩に触れていいか。手では距離感が掴めない」

「ど〜ぞ」

「暫く目を瞑っていた方が楽なようだ。森を抜けるまで誘導を頼む」

「了解」


 肩に手を置いたルートヴィヒは、幾分楽になり小さく息を吐き出した。

 見える景色は人によってランダムらしい。サーシャは幸運なことにフィルターなくそのまま見えるようだ。


 目の見えないルートヴィヒのために細かく道なりを説明していく。

「5メートル先から30度右に曲がる」「後10歩で木の畝がある」

 整備されているとは言え、やはり山道のためフラットではない。加えて目を瞑っているというのにルートヴィヒの歩む速度は変わらないので伝える前に難所に到着してしまう。


「わっ」

「サーシャ」


 足を躓かせたルートヴィヒが体勢を崩し踏みとどまるが、何故かサーシャの方がコケそうになった。


「もっと身を寄せろ。歩きづらい」


 ルートヴィヒと反対側の肩に手を置かれてぐいっと引き寄せられた。体が密着し、サーシャは体勢を安定させるためルートヴィヒの背中に手を当てる。


 まるで泥酔者を介助しているよう〜。

 よたよた歩くルートヴィヒを誘導している自分を客観的に見てそう思った。

 しかし貴族の少年の方は違う感想を持ったようだ。


「社交界でのダンスホールに向かってるかのようだな」


 楽しそうに笑っていうので、サーシャは驚く。

 社交界もダンスも庶民には未知の領域だ。天上人たちの遊び場は想像が難しい。こうやって男性は女性と共に歩くのだろうか。リードも大変である。


「サーシャも覚えた方がいいぞ」

「なんで?」

「卒業式にダンスパーティーが催されるからだ。リードくらいできなければ恥をかく」

「俺には関係ない話だよ〜」

「そんなことはない。きっと休む暇もないくらい誘われるだろう」


 腰に手が回りサーシャの体がくるりと回る。決して乱暴ではない手つきで誘導され、互いの腹がくっついた。布越しでもわかる肉付きの違いにサーシャは僅かに眉を寄せる。

 サーシャの腰を片手で支え、ルートヴィヒは「このくらいは出来るようになれ」と笑う。


「学園に帰ったら練習しよう。付き合ってやる」

「必要ないってー」

「体も鍛えろ。そんな腹では女性の方が嫉妬する」

「ルーナだって似たようなものだよ」


 ルーナも腹の肉は薄い。筋肉が付いていないわけではないが硬すぎない柔らかさがあり、自分と同じようなものだ。

 一方でイグニスは石のように硬い。痛いのであまり触りたくない。


「ルーナとは?」と、聞いたことのない名前にルートヴィヒは眉を寄せるが、サーシャは無視して歩みを再開した。しかし貴族の少年は折れない。


「彼女か。それとも許嫁か」

「庶民に許嫁なんていないよ。ルートヴィヒはいるの?」

「昔いた。私は覚えていないが。今は絶賛嫁選び中だ」

「へ〜」


 流石貴族様である。許嫁は勿論のこと、よりどりみどりに選択肢があるのだから住んでいる世界が違う。

 ついでにこの国は財力があるのならば一夫多妻、あるいは多夫一妻が認められている。ルートヴィヒならば多くの女性を侍らせそうである。その中にあの妖精の女性がいてもおかしくはない。


「あ、森を抜けそう」

「……今、何か考えただろう」

「あ、森を抜けそう」


 聞こえないふりをして二度繰り返す。大事なことだからだ。ということにしておく。森を抜けるとそこは崖であった。




***********




 既に森を出ていた女性が、切り株に座って足を組んでいる。

「もうちょっとよ」と言って自分達が位置する崖から下方を指差した。今立っている高地と対面にそびえる山の間に森が見える。


「あそこが私の家よ」

「住まいは見えないね〜」

「人間じゃないんだから必要ないわ」


 ようやく目を開ける事ができたルートヴィヒは目前の景色を眺める。

 飛空挺に乗っていた時は見えていなかった景色だ。むしろ地図上にこんな区画はなかった。湖より先は何もない草原が広がっているはずである。


「ここはどこだ。私たちを化かしているのか」

「大切なお客様にそんな事しないわ。さあこちらよ」


 女性がサーシャとルートヴィヒの手を引く。

 崖の斜面を下らずに、そのまま空中へと身を投げ出した。


「待て、箒の準備を」

「あら、人間って飛べなかったかしら」

「俺が魔法をかけるよ。そういえば箒持ってこなかったね〜」

「私がかけるわ〜。なんたって大事なお客様ですもの」


 交わされた会話にルートヴィヒは違和感を感じて目を細めた。

 「魔法」と口の中で飲み込みきれない異物となって発せられた。


 女性が指を振ると風が舞い上がり、ルートヴィヒ達を優しく包み込む。

 洗い立てのタオルに包まれたような心地よく柔らかな感触で、風に乗って三人は下降していく。程なくして谷底に到着し術式が解除された。


「ようこそ、私たちの風の谷へ」

「すごい風だな」

「森に入れば幾分マシよ」


 谷には山間各所から風が流れ込んでいるようだ。風の吹き溜まりとなった谷底は、逃げ場を求めるような風が轟々と音を立てていた。

 三人の衣服はバタバタとはためき、女性のマントが空中に巻き上げられる。隠していたものが目の前に曝け出され、また意味がなくなってしまった。

 眉を顰めるルートヴィヒに女性は「初心ね」と笑ってマントを持主に返す。


「私は森の奥で待ってるわね。歓迎の準備をするから一足先に行くわ」

「私たちも共に参れば良いのでは?」

「森を踏破していない人間はショートカット出来ないの。だってここは聖域だもの」

「……聖域、だと?」


 思いもよらなかった単語に目を細める。聖域は国に一つあるかないかの貴重な場所である。人間の管理下にないので発見が難しく、ハルハドにも現在一つだけ。

 何百年もかけてやっと一つである。聖域は人間の英知が通用しないことも多く不安定だが、一方で魔物が出ないため安全が保証されている。筈だ。


 女性が訳ありに微笑むので何か罠でもありそうだと勘ぐってしまう。ルートヴィヒは警戒するも、サーシャが考えなしに足を進めたので呆れてその腕を掴む。


「こら、サーシャ」

「考えてても仕方ないから行こう」

「何故君はいつもいつも唐突なんだ」

「うふふ、痴話喧嘩もほどほどに。じゃあ後でね」


 女性は鈴が転がるように愛らしく微笑み、そして姿を空中に溶かした。花のような香りが余韻となって残り、しかしそれもあっさりと強風に浚われてしまった。じっとルートヴィヒの判断を待つようにサーシャが黒曜の瞳を覗き込む。


「怖いなら俺だけ行ってくるよ?」

「……何故怖がっていると判断したんだ」


 怖がっているのではなく、ただ未知の領域に警戒しただけである。

 人間のルールが介在する場所であれば、あり大抵のことはルートヴィヒの力で何とでも解決できる。


 例えばサーシャを敵国に奪われたとして、ルートヴィヒには取り戻す算段はあった。だからこそ敵国との交渉役に立てる事ができたのだ。

 でなければ、貴重な人材をそうやすやすと危険な目に合わせるわけがない。


 しかしここは人の意思など関係ない精霊の領域だ。

 もし、うまく守ってやれなければどうしよう。そんな考えがよぎったのだ。


 そんな思惑をいざ知らず、サーシャはのほほんとルートヴィヒの手を取った。

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