36. 精霊とサーシャの恋愛観
女性が去ると、ルートヴィヒがややバツの悪そうな顔をしてサーシャの元へ近づいた。
「何だか私が卑怯者のような気がしてきた」
「取捨選択した結果の判断なんだから、他人がどう思おうとそれは仕方ないんじゃない。確かに一人だけ安全地帯でずるいと思ったけど」
「サーシャは変なところで達観しているな」
小さく咳払いをしてルートヴィヒは切り替える。
「ところで先の女性は何者だ」
「わかんない」
「だろうな」
人間にしては万能すぎるとルートヴィヒは口元に指を当てて考え込んだ。
詠唱無しに発動した風魔術は、しっかりと敵国ミーティの色をしていた。
魔術は国ごとに微妙に色合いが違う。魔術に使用する素材が国ごとに違うためだからではないか、というのが昨今のルートヴィヒの研究課題だ。
ミーティの色合いを纏った船はもうハルハドの船とは見なされない。
無闇矢鱈に襲われないとは思うが、あの女性の意図がわからない限り安心はできない。
そういえばサーシャも魔術を使う時、詠唱をしない。
どういう原理になっているのかずっとルートヴィヒは気になっていた。
「サーシャは魔術を使う時、何故準備をしないんだ」
「え、あ。詠唱とか魔術陣とか? ……お、覚えられなくて〜」
しどろもどろ。
覚えるの大変、計算するの難しい、物品が足りなくても発動しない、不出来なサーシャにとってなかなか準備はハードルの高いことだった。
しかし魔術は等価交換だ。正当な手順で決められた素材を以ってしないと発動しない。何もないところからは何も生まれないのだ。
「聞きたいのはそういうことではない。何故魔術が発動できるのか、ということだ」
「なんか、フワ〜ってやると出るよ?」
「フワ〜……?」
「あとバーンてしたり、うぬぬ〜ってしたり」
「…………?」
感覚的すぎて全然全く理解できない。ルートヴィヒは突き詰めることを止めた。やはりサーシャは常人の物差しでは測れない。
翌朝、船は目的の湖一歩手前まで到着する。
湖畔の前に渓谷を通過してきたが、確かにロック鳥の姿は見えなかった。
普段は脅威となるはずの魔物の生息地が穏やかな日差しで以って飛空挺を迎えた。川の流れを眺めながら景色を楽しんだけだ。
ルートヴィヒは仮死状態にある船内の人々を起こすべく、蘇生の香を設置した。操舵室の箱の上に香を置き、巨大な魔石が香に反応して輝きを放つ。次の瞬間船は光に包まれて、各所から生命の気配が次々と動き出した。
全員起きたようだ。生徒たちは各々無事を確かめ合い、ラウンジに集合する。
ルートヴィヒは教師と段取りを相談するためにラウンジ内の円卓に向かった。目的地が変わったのだから作戦を練り直すのは当然だろう。
尤も、ルートヴィヒの頭には既に原案があるので教師たちはただ頷くだけの作業だ。
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ラウンジ内で作戦の周知が行われている中、サーシャと精霊神の二人は黙って廊下で待っていた。
目前に広がる海ほどもある巨大な湖の光景にサーシャがため息をつく。船は現在ステルス機能が働いているので魔物に察知はされていない。
何百羽というロック鳥がお互いのパートナーを探して飛び回っている。
求愛し、時にパートナーを巡って争い、自然の摂理を感じる光景に生命の力強さを感じた。ロック鳥の爪や嘴は鋭いため、争うオスは互いに傷だらけである。
「すぐオレらに殺られんのになー」
「情緒ないこと言わない〜」
「子孫を残すために必死だね。生命の宿命だよね」
子孫、と聞いてサーシャはルーナを見た。ちょっとした疑問が浮かんだのだ。
「そういえば精霊神って子孫どうするの? 神同士で番うの?」
「サーシャは結構ダイレクトに聞くよね」
「オレらは増えねえからな〜。死んだら終わりじゃね?」
ではどうやって生まれたのだろう、とサーシャは解せない。
ルーナには聞いたことがないが、イグニスは何か言っていた気がする。何かしらの起点があるはずである。考え込むサーシャを他所に揶揄うようにイグニスが笑う。
「子孫を残すっつー本能がねぇから、人間でいう性欲もねぇし」
「じゃあ恋愛感情もわかんないの? 人は脳が本能を恋愛感情に置換するんだよ。錯覚した感情で行為に至り子孫を増やしていくんだけど」
「……情緒がないのはどっちだよ。マジでクソガキだな」
「結論言うとないよ。単純な好き嫌いはあるけれど」
「へ〜。人間と精霊って意外と違うんだね〜」
面白いな〜と頷いていたら、「でも、クソガキは精霊寄りだよな」とイグニスに頭を叩かれた。
「なんで? 俺は普通に恋愛したいよ?」
「昨日、あんな美女に迫られてんのに全然反応ねーし。黒髪のガキなんて必死に理性保ってて滑稽だったぜ」
見ていたのか。
いないと思っていたのに、なんだかんだイグニスはこっちの状況を把握している。
「だって時と場合によるし。今は討伐に来てるんだから色恋に現を抜かしてる暇ないでしょ」
「そう言う涼しい顔してんのが人間らしくねーよ」
「まあサーシャはずっと人間と関わって来てないから。価値観がこっちに寄るのは当然でしょ」
「いや、別にどっちでもいいんだけど」
言われて、サーシャは自分が恋愛ができないと暗に断言されている気がして腑に落ちない。数年もすれば成人を迎えるので、時期を見て一般的な家庭を築きたい。漠然とした希望を持っていたのに、イメージだけで粉々に壊されてしまった気がする。
「サーシャ、終わったみたい」
ルーナの手が肩に置かれる。話し合いの声がしなくなり、代わりに装備を身につける布ずれの音が聞こえた。直に扉も開きそうなので、邪険にされる前に黙って船から地上に飛び降りた。
生徒らが合流するまで少しは狩っておこうとのんびりと湖畔まで歩いていく。勝手にやったら怒られるかもと今まで待機していたが、普通に討伐の流れになっているようなので問題ないだろう。
サーシャに気づいた近くのロック鳥が威嚇のために金切り声をあげた。
鳴き声は行動を遅くするスタン効果を持っており、まともに食らうとこちらから攻撃が出来ない。サーシャは一歩後ろに飛んで、見えない音波を回避した。
次々と降ってくる音波を掻い潜りながら、空中に大きく飛び上がり懐から小型のナイフを取り出す。ロック鳥の瞳が大きく見開かれた時には既に魔物は絶命していた。
地上に首と胴体が其々音を立てて落ちた。仲間の異変に気づいたロック鳥が一斉にサーシャに振り向く。空中でのんびり浮遊し、ナイフの血を飛ばしながら少年も魔物の集団に目を向ける。
ま〜、大丈夫そうだな〜。
やはりそこまで強くない。
さっさと終わらせて海に行こう、とサーシャは何もない空中を蹴った。




