35. 客人到来
先ほどまで無かったものが船の中に出現した。
音のない船内に藻屑のようなものがちらほら漂っている。それはプラズマを纏いながら浮遊し、壁や手すりに触れるたびに光を放って反応を示す。
無機物か有機物か確かめているのだろうか。
センサーのような役割に違いないと踏んで、藻屑に触れないように廊下を進んだ。
進むにつれ藻屑が多くなる。つまり目的の人物はそちらの方向にいるという事だ。
先ほどからルーナは気配を消して黙ってサーシャに着いてくる。ルーナに藻屑は関係ないらしい。体が接触しそうなところを分解し通過させているので普通にまっすぐついて来ている。
ルートヴィヒは息を殺しながら慎重に足を進め、そしてサーシャに囁く。
「敵国に察知されたのだろう。だが心配するな。想定はしていた」
元より殆ど賭けに近い作戦だったのだ、とルートヴィヒは素直に認めた。
敵国に見つからず素材を手に入れられたら奇跡。
もし犠牲が出ても結果として入手できたら上々。
全員死んだらそれは運命。
割り切った顔で頷くルートヴィヒには悲壮感がない。
頼りになる大人たちは皆寝ている。生徒二人が正面から迎え撃っても勝ち目はない。しかし一方でサーシャは「ルートヴィヒは小賢しい」という感想を抱いた。犠牲というのは何も全員を意味してはいない。
「俺を寝せなかったのは、今こうして利用するため?」
「悪く思うな。交渉役にうちの貴族は使えない。下手なプライドで碌に命乞いも出来ないだろう」
「いや、俺も自信ないよ」
「もし失敗しても犠牲はサーシャだけだ。隙をついて私が反撃し、船を地上に降ろす。命さえあれば後は何とかなる」
「それをこれから死ぬ本人に言えちゃう精神が凄い」
言うとルートヴィヒは何故か楽しげに微笑む。自分は羽衣を着ているからと完全に部外者面をしている。
とは言えサーシャも簡単に死ぬつもりはないのでそれなりに応戦はしよう。
藻屑の流れに沿っていくと終着地点は甲板であった。甲板の真ん中に何者かがプラズマを揺らめかせながら立っている。
どうコンタクトを取ろうか、とサーシャは考え出したが、ルートヴィヒは一転余裕の表情を変えて狼狽え始めた。その頬はうっすらと赤く染まっており、目が不自然に泳いでいる。
「サーシャ、あれは違う。敵国の兵ではないと思うが探って来てくれ」
不用意に背中を押され、考える間も無くサーシャはデッキに躍り出る。訳が分からず、準備も出来ずに交渉の場に立たせられ、少しばかり憤慨を示した。
しかし、敵国ではないというがどういう事だ。
サーシャに気づいたその人は、ゆったりと深緑色の長髪を靡かせて振り返る。ところどころ棘のようにはねており、そのはねで体を部分的に隠している。
彼女はほぼ全裸であった。服は来ているが布面積が極端に少ない。豊満なバストを惜しげも無く見せ、下半身は下着以前にガーターベルトの方が強調されている。下着として機能しているのか非常に疑わしい。性的な格好にルートヴィヒが思わず動揺したのが頷ける。
しかし一方サーシャは素面だ。女性の裸は姉たちの例もあり見慣れている。
「こんにちわ〜」
とりあえず挨拶をすると、彼女はパチクリと瞬きをしてそして嬉しそうに微笑んだ。
「こんにちは。お客様の匂いがしたからお迎えに来たのよ」
「俺たちお客さんじゃないよ」
「あら、そうなの? 残念だわ。でも、お兄さん綺麗だから招待したいわ」
足音もなく女性はサーシャに近づく。
柔らかなバストをさりげなく押し当て誘うが、サーシャはそちらに反応を示さない。
「でも俺たち用事があるんだよ〜」
「私よりも大事な用なの?」
「ロック鳥の討伐に行くんだよ。ごめんね〜」
いつの間にか女性の足がサーシャの両足の間に入り込んでいる。
足を絡ませるように体を密着させ、サーシャへと吐息を送る姿を見て、どうしてあれほどまで素でいられるのかルートヴィヒは驚きを隠せない。
見た目だけは麗しい少年と妖艶な女性の交わりに何とも背徳的な物を感じた。
体を密着させながら、女性はサーシャへと目線をあげる。一向に誘いに乗らないサーシャに女性は諦めに似た笑顔を見せて離れた。
「ロック鳥狩りに行くの? 私の家もその辺りよ」
「そうなんだ。じゃあ討伐終わって時間あったら寄ろうかな。渓谷のどの辺?」
「ロック鳥は繁殖期に入ってるから渓谷にはいないわ。少し奥の下流にある湖に移動してるの」
「そうなの? 助かる。ありがと〜」
「うふふ、可愛い」
笑って礼を告げると、女性も嬉しそうに微笑んだ。妖艶な笑みではなく無邪気さを感じさせる笑みである。
女性が指を鳴らす。気づいたサーシャは咄嗟に女性の腕を取って遮った。
「今、魔術は使えないんだ。敵にバレちゃうから」
「でもこんなに遅い速度じゃ主様も待ちきれないわ〜。時間がないのなら手早く終わらせましょ」
「……何だか姉さんみたいな人だな〜」
些事を気にしない姉を思わせる豪胆な手腕に感想を漏らす。女性にとって敵国のありようなどどうでもいいことなのだろう。
うふふ、と意味深に微笑んだ女性はサーシャとは別方向に視線を向ける。
「そこに隠れているお方も一緒にいらっしゃい。お客様は多いほど楽しいから」
気配を断っていたはずなのに気づかれて、ルートヴィヒは僅かに身じろいだ。何者なのだ、と女性を見つめるがただ柔らかく微笑むのみ。
そのうち船のスピードが上がり、周辺の景色がどんどん変わって行く。
「じゃあ、また後でね」
と女性が船から身を投げた。
彼女の姿が無くなると同時に船内を漂っていた藻屑も消えた。




