34. 命の在り処
「え、まさか」
思い至った結論にルーナは頷いた。
「この船、殆ど命の気配がしない。仮死状態になってるんだね」
「でも部屋に食事があるって言ってたよ。何のために」
「自分を律することが出来るのなら起きていろって事なんだろうね」
「え〜、そんなにやばい事だったの?」
今更ながら自分の不用意な行動に思い至った。
教師はあらゆる行動、思考、活動を抑えろと言っていた。敵国側はその些細な気配を察知して攻撃ができるという事だ。
学園所有の飛空艇は対戦闘用に作られていないので、攻撃を受ければそれでおしまいだ。
そこも全て理解して、少年少女たちは今眠っている。万一命が絶たれても、それすらも夢の中の出来事のまま終わってしまうのだ。自分が死んだ事に気づかないまま。
「えー、どうしよー。攻撃来たら完全に俺のせいじゃん」
「そこは気にしなくていいんじゃない。その時はさっと離脱しよう」
「いやいや、俺たちも普通に死ぬでしょ」
Aクラスですらこんなに警戒しているのだ。
自分たちにどうこう出来るとは思えない。それにしても学園側はやる事が雑である。人の命に対してかなり効率的というか。
「使い捨て感が半端ないねー」
「人間なんてそんなものでしょ」
自分さえ良ければそれで良いのだから、とルーナが言って、できたばかりの四つ編みの感触を撫でた。嬉しそうに笑って、毛先をクルクルと指で回した。
「上手」
「やった」
「次は僕の番」
ルーナに頭を撫でられながら、サーシャは「やはり自分の不徳は自分で対処しよう」と決意する。
万が一の時はちょっと頑張ってみよう。自分のせいでみんな死んだとなればいくらなんでも目覚めが悪い。ルーナが手伝ってくれたら少しは被害を軽減できるだろうが。イグニスは……、あまり期待できないので戦力から外す。
今から大人しくしても遅いだろうと、サーシャは変わらぬまま生活を送った。
コンコンコン。
寛いでいたらラウンジの扉がノックされて少し驚いた。イグニスは決してノックなどしない。
「ん」
くん、と首が引っ張られて扉の向こうにいる正体を知る。
ルーナを振り返りたくとも出来ず、足が勝手に扉に向かった。自分の意思とは無関係に内側の扉に手が掛けて、ゆっくりと開く。
「サーシャ」
高貴な微笑みに、やっぱり、とサーシャは思った。
「何でここがわかったの?」
「勿論この拘束術の恩恵だ。一晩ゆっくり休めたか?」
「うん」
「…………」
ニコニコと笑っていた貴族の少年ルートヴィヒは、ふと視線を下げてあることに気づき表情を曇らせた。サーシャの首へと手が伸びて、指の腹で首の周りを撫でる。
明らかにショックな顔をしているルートヴィヒをサーシャは不思議な顔で眺める。
「何だこれは。そんなに嫌だったのか」
「ん? ……あ」
首の紋様を執拗に剥がすような爪痕が痛々しく残っている。
けれど紋様に傷をつけることは出来ず、ただただサーシャの首が赤く腫れているだけだ。まだ熱を持っているし痛いけれど、昨日よりはまだ我慢出来る。
確かに嫌は嫌だが剥がそうとしたのはサーシャではない。他人の責を咎められるかと思ったが、ルートヴィヒはただ悲しそうにするだけだった。単純に心配してくれてるのだろう。
「大丈夫だよ〜」
「消毒はしたか」
「舐めた」
どうやって、とルートヴィヒは眉を寄せる。舐めたのはイグニスだが嘘は言っていない。
「それよりこれ、取ってくれない? 突然自由がきかなくなるの嫌だな〜」
「ちょっとした悪戯のつもりだったんだ。主人に抵抗できないと言う設定で巷で人気があるから」
「なにそれ。どう言うこと」
「恋人同士の戯れに使われる遊び道具だよ」
「へ、……へ〜」
何を意味するかわかってしまったサーシャはドン引いた。
無論ルートヴィヒはサーシャに対しそう言う意図はなく、ただ手短にあったアイテムを拘束具として使っただけだ。それはわかる。
しかし、所持していること自体が、彼は恋人とそう言うシチュエーションで情事を楽しんでいるという意味になる。
少し距離を置いて会話を続ける。サーシャは純愛派だ。きっと彼とは分かり合えない。
距離に気づいたルートヴィヒは、自分の発言に首を傾げた。そして直ぐに慌てたように弁解を始める。
「ちょっと待ってくれ。サーシャは誤解をしている」
「性癖は人それぞれだから、大丈夫。いや、むしろ聞きたくない」
「ちがっ。これは貰っただけだ。そう言う意味で使ってなどいない」
「わかった、了解、納得した」
「絶対納得していないだろう。おい、距離をとるな」
わーわー言っていたが、急に我に返ったルートヴィヒが真顔になって部屋に入ってきた。ため息をついて苦笑している。
「サーシャといると調子が狂う。こんな事を話しに来たのではなかった」
「これ取って」
「取れない。一週間の期日で取れるから我慢しろ。傷つけることも許可しない」
先とは打って変わった反論を認めない言動にサーシャは面食らった。
同い年とは思えないほどルートヴィヒは大人びているし、ある種の高圧的な言動も行う。また、それが嫌味に感じないのだから普段から慣れていることが知れた。
貴族とは本当に天上人のような存在である。
ルートヴィヒはサーシャの首を優しく撫でながらラウンジのソファーへ移動を促した。柔らかなソファーに対面に座ってルートヴィヒは笑みを作る。
その片手に見覚えのある羽衣を持っているのに気づく。
サーシャはルーナと目を見合わせ、「ずるいね〜」と念思を送った。サーシャの羽衣を奪ったのはこの事態を見越してのことだったのだ。気配や魔力を遮断できるスノーフェアリーの羽衣を手元に置き、自分だけ悠々と艦内生活を営んでいる。
他の生徒が仮死状態にあるのに随分と自由なことだ。とはいえサーシャも人のことは言えないので不測の事態に陥ったらサーシャは勿論、ルートヴィヒの戦力も十分に注いでもらおう。
「サーシャ、国境を越えたが調子はどうだ」
「普通だよ〜」
「感知されている気配はあるか」
「……そんなの、わかるの?」
「彼らは思念体を使うのが上手いからな。サーシャは特殊な魔力を持っているからわかるかと」
「思念体って精霊のこと? それならAクラスの人の方が上手いじゃん」
「精霊というか」
ルートヴィヒが説明を続けようした時、僅かに船が揺れた。その後ゆっくりと空中で船が停止する。自動操縦となっているので途中で止まる事はないはずだ。
不思議に思ってルートヴィヒを見ると、彼は微笑んで羽衣を頭から被った。
「来たようだ。行こうか」
誘うように手を差し出され、サーシャはその手を取る。握るつもりなどなかったがまた首輪の魔術が発動した。勝手に体が動いてしまう。
早く効力が切れますように。願いながらサーシャは貴族の少年の後ろについていった。




