31. 無慈悲な拘束魔術
魔術に制限がかかる、と言われてサーシャは顔を上げた。
サーシャ自身今まで制限をかけられた経験は何度かある。
イグニスの住む炎の山では火魔法以外の魔法を制限された。寮塔は空間魔法を禁じられ、人間が歩めるルートだけが移動を許された。
「国境から先は聖域なの?」
「いや」
「管理人が制御してるとか」
「違う」
「お前は何を言ってるんだ!」
呑気な応答をしているサーシャとルートヴィヒだったが、業を煮やした教師が怒りの声を上げる。
「誰でも知っていることで時間を浪費するな! 今我がハルハド国は隣国と戦争中だ!」
「その敵国の真上を通過するのだ。巨大な魔力を伴って移動すれば否が応でも目立つ!」
「会話も傍受される可能性がある。魔術行為のみならず、あらゆる行動を慎まなければ」
怒涛の教師の説明に、ルートヴィヒだけはゆったりと足を組み、微笑む。
「まあ、そういうことだ」
「魔力消費を極力抑えて、息を殺して過ごして、て事だね」
「そう。移動速度は当然遅くなるが、安全飛行のためにはこれが一番だから」
学園からガガ渓谷に行くには敵国の真上を越えなければならない。渓谷自体が敵国の領土内なのだ。
魔物の生息地は当然人が住める環境ではない。町や村はないとはいえ。
あれ? これってもしかして密輸じゃない?
国政に詳しくないサーシャですら当然の疑問が浮かんだ。ルートヴィヒを見ると、楽しそうに笑っている。
教師たちは眉間にシワを寄せて「今更か!」と舌打つ。察しの悪いサーシャは今気づいたが、みな元よりその事情を全て飲み込んでここにいる。
それほどに求める素材が切望されているのだ。
先程から理不尽にサーシャは怒られているが、あまり国境とか隣国とか興味がないから仕方がない。ここで隣国の名など尋ねたら拳が飛んできそうだ。戦争の理由だって勿論知らない。
「日没には国境を越える。不便を強いるがここから先は堪えてくれ」
「俺は大丈夫」
「良かった。では、不便ついでにこれを付けてほしい」
先程まではしゃぎ回り転げ回っていたサーシャは素面で大丈夫だと宣った。どうやって大人しくするつもりなのか、話を聞いていた精霊神はそれぞれの反応を示す。
ルートヴィヒが腕を伸ばしサーシャの首を捕まえる。
「ん、ん?」
サーシャの首を掴んでいない方の手のひらに何かの陣が描かれている。小さくルートヴィヒが呪文を唱えると黒い紐のようなものが現れ、サーシャの首に巻き付き溶けた。
紐の跡が首の周りに繊細なレースの形で染み付いた。一見チョーカーでもしているかのよう。
サーシャからはどうなっているかわからないが、何かが起こったのだけは理解した。満足そうに微笑むルートヴィヒを見ると「そんなに心配しなくていい」と言う。
サーシャの首から手を離され、異常を確認するため首を触るがよくわからない。
ルーナならわかるだろうか、と窓の方にいる彼を見たが、見えない力で阻まれた。ルートヴィヒが指をくんっと上げると、まるでリードを引かれた犬のように強制的にサーシャの顔は目前の少年へと向けさせられる。
手のひらの陣と自分の首の輪が連動しているのだと悟った。飼い主に誘導されたように首がいうことを聞かない。
「効果は上々だな」
「これ、何」
ちょっとムッとしてルートヴィヒを睨むが相変わらずの微笑みで返された。
「怒らないでほしい。私から勝手に離れないよう付けただけだ。サーシャは目が離せないから」
「そんな信用ないー?」
「保険くらいは良いだろう?」
悪びれなく笑って言う。
ルートヴィヒのニコニコした笑みを見てサーシャは曖昧な笑みを返した。
まあ、確かに悪意は感じないな〜。
もし、何かあったらその時考えよう、とサーシャは早々に気持ちを切り替えた。なってしまったものは仕方がない。
「それじゃ、船内の探索途中だから」
と、サーシャが席を立つと教師が呆然とする。今しがた、大人しくしていろと言ったばかりのはずだ。
「待て。サーシャの部屋はどこだ?」
「多分ないと思う〜」
Fクラスだし当然準備はないだろう。
野宿経験者のサーシャにとって問題はない。デッキにでも毛布を持ち込んで寝よう。
「なら私のところにおいで。ベッドは従者用に余計にあるから」
「やった。三床ある?」
「何故三床? いや、余分は一床分だけだ」
「なら大丈夫〜」
ルーナたちを置いて一人だけいいところでは寝られない。それにデッキも空調が効いているし寒くはないのだ。三人で星を眺めながら寝るのも悪くない。
精霊神と目配せした後、サーシャは部屋の外に出た。
「ウッザ! キッモ! 何あれ何あれ!」
部屋を出た途端全身に鳥肌を纏ってイグニスは肌を擦って叫んだ。その顔はおぞましい物を見た後のようにわかりやすく歪んでいる。
ルーナもなぜか同様の表情で苦々しくため息をついた。
「なんなのこれ、気持ち悪い。取れないし」
「油断してんじゃねーよ! あ、皮一枚剥がせばいんじゃね?」
「痛い痛い痛いー」
二人に首の周りをカリカリされ、サーシャの首は引っかき傷だらけになった。その上でイグニスは恐ろしいことを言ってくれる。神と距離を置いて、擦り切れた首を触ると手にひらに血がついた。擦りすぎだ。
精霊神たちはこの得体の知れない魔術が気に入らないようだった。尤もサーシャ自身も歓迎はしていないが。
「何かな、これ」
「人の魔術はよくわからない。でもさっき見た感じだと拘束術の一種だと思う」
「んー、肌には傷出来っけど紐は損傷ねーな。剥いても無駄か」
「……もういい。やめて」
せっかく逃げたのにあっけなくイグニスに捕まったサーシャは今度は首を囓られた。ガチで剥がそうとしたらしい。
鋭い犬歯に刺されて痛みのあまり半泣き。もう検証はやめてほしい。滲み出る血を舐めながら、イグニスは渋い顔を崩さない。
「サーシャの恩人でなかったら殺してたな」
「オレも。てか船ごと破壊したい気分だし。スッゲーイライラする」
「俺としては今現在の二次被害の方が酷い」
サーシャは冷静に心境を語った。
ルートヴィヒは緩い拘束魔術を使っただけだが、この二人は容赦無く首をガリガリ削ってくれた。
血は流れているし既に熱を持っている。ヒリヒリして凄く痛い。両手で首を覆いながら熱を持った首を冷やす。
「もう過ぎたことだからいい。大人しくしてれば何もないよ」
「いや、過ぎてないから。何が起こるかわからないでしょ」
「そのまま首落とされたらどうすんだよ」
「そんな悪い感じはしないよ?」
レースの紋様を触り、そこに籠る魔力がサーシャへと伝わる。
正確にはわからないが殺傷能力はない。直ちに命の危険があるものでもない。
その感覚を苛立つ二人に伝えて、再び船の散策を始めた。かなり渋々ではあったが。




