30. 飛空挺
飛空挺の艦内は意外にも面白く、三人はウロウロと探索しまくった。
「無能だ、無力だ」と人間のやることなすことにケチをつけるイグニスだが、ゴンドラの件といい、こういう技術には目を輝かせる。気持ちとは裏腹に口に出るのは悪態だが。
ルーナは完全に付き添いだ。一人だけ、あまり感動なくサーシャに付いて回っている。
「ここが燃料庫だね」
「あっつ!」
飛空挺はその名の通り胴体部分が船になっている。
船の上に巨大な楕円形のガス袋が浮かび、ガス袋の左右とお尻に鳥の羽のようなテールフィンが付いている。
ガス袋の中は空気の部屋と空気より軽いガスの部屋とで分かれ、浮力が絶妙なバランスで保持されていた。ガスの浮力と魔術道具を独自の技術で組み合わせ安定して起動している。
胴体部分の各所にプロペラが回り、快晴の空をぐんぐん進んで行った。
「ここがラウンジ。うわ、凄い人〜」
「狭。別のとこ行こ」
「よくこんな人乗せて浮いてんな」
客室の前に設置されたラウンジにはビリヤード台、ダーツ版、飲み物を提供するバーカウンターなどが備えられていた。
生徒や教師、生徒の護衛にあたる騎士たちがラウンジで優雅なひと時を過ごしている。しかし人口密度が高いので狭く見える。
サーシャに気づいた生徒が猫のように威嚇して追い払った。ろくろく見ることもできずサーシャたちは退散する。仕方なく生徒らのいない船の外周から見て回った。
「外側は風切り音凄いね〜」
「でも風の抵抗は感じない。飛空挺の内側は魔力で防護されてるのかな」
「ここは? 厨房か。そこは? 作業室か。あそこは?」
「楽しいね〜」
無邪気に船内を縫って行き、初めて見るあれこれに二人は大変楽しそう。
船体サイドは手すり一つあるだけで境の外はもう大空だ。ふわりとサーシャは外へと飛び出し、「俺とどっちが早いかな」と船と競争を始めようとした。アホだ。
サーシャの戯れにイグニスも船外に飛び出した。はしゃぐ様は完全に子供。
……アホが2人。
ルーナがため息を吐き、瞬きの後もう一度二人がいた空中へと目を向ける。
……いない。
「あ?」
「あれ?」
乗っている時の体感以上に船のスピードが早い。
飛び出した時にかけた浮遊魔法の対象が、自分から僅かにずれてしまい二人は真っ逆さまに落ちていった。
高度一万メートルの上空は呼吸するほどの酸素がない。
船の中は与圧魔術が施されているため問題ないが、外に出れば命の保証などない。
残念なことに、サーシャもイグニスも飛空挺の仕組みに無知すぎた。
苦しさを訴えるサーシャは、浮遊魔法をかけ直すより早く、手近にいるイグニスにしがみついた。
「上空から落ちた時、何かの破片にしがみついて落ちると生存率が僅かに上がるらしいです」
「この状況で試してみたいのかよ」
「せっかくですし」
何がせっかくなんだ、とイグニスの口元が引き攣る。その説によるとイグニスが地上衝突時のクッションになるということだ。
精神体とはいえ神であるイグニスには肉体という概念がある。
損傷が激しければ当然死ぬ。
「クソガキの方が下になって死ぬんじゃね」
「は、それは考えてませんでした」
「アホ言ってねーでやることやれ」
「空気が足りなくて、……サヨナラ」
「マジで死ね」
タイミングを計ったように別れの言葉を発したサーシャは低酸素症を発症して意識を失う。しがみついていた手がイグニスから離れ、体が離れる直前でイグニスはサーシャの腰を抱きかかえる。
イグニスはすでに上空前方へ小さくなっていく飛空挺目掛けて叫んだ。
「月、呆れてねーで助けろ! こういう魔法苦手なんだよ!」
ぐんぐん地上が迫り、森や街道の景色が鮮明になる。
しかし落下速度が早い為その分空気抵抗大きくなる。空気抵抗と重力とが均衡した頃、加速度が一時止まった。
腕の中のサーシャが身じろぐ。酸素が十分になり意識が戻ったのだ。相反した力に落下速度が落ちた時、突如何もない空間から白い腕が伸びた。
ルーナが空間を切り取って彼らのいる空間と船とを繋げ、無理やり手繰り寄せたのだ。ぐいっと服を捕まれ、景色が変わる。
サーシャとイグニスは勢いのまま船の床に叩きつけられ、しゃがみこむ。
その肩は仲良く震えている。怖かったせいでは決してない。命の危機であったのに、愉快で愉快でたまらないと抱腹絶倒に床の上を転げ回った。
「あはは! びっくりした〜」
「なんだこれ、もっかいもっかい」
「ちょっとは落ち着いて」
「次はもう少し地上まで行きたい」
これほどまで高いところから飛び降りたことはなかった為、意外なスリルに二人の心臓が小気味いい音を立てた。後にスカイダイビングと呼ばれる遊びを見出し、飛び降り方のコツを掴む。
コツといってもこの高度で意識を失い、ある箇所で加速がなくなり、意識が戻る、くらいのものだが。とにかく段取りさえ分かってしまえば楽しい遊戯だ。先ほどあんなに焦ることはなかった、とイグニスはらしくなさを少し後悔する。
しかし地上に降りるには浮遊魔法で行けるが、再度距離の離れた船へ戻るのは難しい。
座標を繋げられるルーナが船上から引き上げてくれないと出来ない遊びだ。ちらりとサーシャはルーナにお強請りの視線を送るが窘められた。ならばここは強要せず、後日機嫌のいい時を見計らって頼もう、とイグニスと頷き合う。
次に行った所は操舵室だ。
サーシャが扉を開けた瞬間、中にいた者がこちらに気付いてにこりと微笑んだ。
「ここで舵取りをしているんだね〜」
「いらっしゃい。おいで」
中にいるのはルートヴィヒと数人の教師だ。
長方形のテーブルを重厚感ある革張りの椅子で囲んでいる。高級そうな赤い椅子とルートヴィヒの対比が嫌味なほど似合っていた。
三名掛けの椅子の真ん中に一人で座っていた高貴な少年が手招きしてサーシャを呼んだ。
「隣においで」
教師たちにチクチクした悪意ある視線を受けながらサーシャは隣に座る。操縦室は意外に簡素である。部屋の真ん中に操舵管があり、その両脇に何らかの箱形の機械がある。
船外と交信する音響装置とか、船情報を記録するログ処理をする装置とか、そんなところだろうとサーシャは当たりをつけた。
部屋の頭上にはシャンデリアのように大きな魔石が吊るされている。様々な紋様が刻まれ、ゆらゆらと揺れながら不規則に輝きを放つ。じっと見ていたらルートヴィヒが静かに笑みを浮かべた。
「あれで風魔術を制御している。船内の気圧や空調を調整したり、船の運航速度を変えたり出来る」
「へ〜」
感心して頷くと、目の前の教師がテーブルをペンでノックをした。ミーティング中だったようだ。
部外者の乱入に少なからず苛立ち、話を戻そうとルートヴィヒへ注意を促した。ルートヴィヒは微笑みだけそちらに向け、テーブルの上の地図を指差す。
教師のことはなあなあに、サーシャへと事の流れを話し始めた。
「今私たちはここにいる」
ルーナとイグニスも浮遊しながら、ちらりと地図を見た。ちょっと確認しただけで二人は離れ、操縦室から見える景色に目線を向けた。サーシャは地図上の船形のピンを見る。
学園から既に大きく離れ、目的地まで四分の一の距離を稼いでいる。
今日一日でかなり進んでいるので予定前倒しでミッションが終わりそうだ。頷くと、ルートヴィヒは今の位置よりほんの少し先に赤で線を引いた。
「もう少し行くと国境だ。これより先魔術に制限がかかる」
ルートヴィヒの言葉に教師は忌々しげに舌打ちをした。




