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魔術師たちの匣庭  作者: こたちょ
2章 少年期編
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27. 天才貴族様の関心事


 研究に煮詰まってきた天才は休息のために中庭に出た。


 国から指示された通りに実験を重ね、期待される成果を出し、国益に繋げていく。日々繰り返されるルーティーンにルートヴィヒは学園に通っている意味を見出せなくなってきている。

 実験実験実験。

 研究解体構築消滅組立、そして最後に現国王に献上。

 Aクラスのやることは何年経っても変わらない。変化の無さはFクラスと肩を並べられるだろう。


 中庭にはルートヴィヒ同様、息抜きで訪れる生徒が多い。

 ちょうどランチタイムということもあり、各々学食で提供されるトレイを手に芝生で涼んでいた。一方ルートヴィヒの座るベンチには昼食ではなく学術書が積まれている。

 休息に来ているのに本が手放せないのはもはや病的だ。何かしていないと落ち着かない性分でもある。


 組んだ足に本を置いてルートヴィヒは長いまつ毛を伏せた。

 緩くウェーブのかかった烏羽色の髪は腰まで伸び、ふわりと風に揺れる。一瞬にして絵画のモデルと化してしまったルートヴィヒには多くの生徒の視線が集まった。


 存在も纏う空気も何もかも高貴で美しい。ルートヴィヒの出自を考えれば当然とも言える存在感に、皆々憧れのあまりため息をついた。

ルートヴィヒ本人は視線を受けつつも涼しい顔で己の考えに耽っている。研究に躓く度になぜかあのヘラヘラと緊張感のない顔が浮かぶ。


 彼なら難なくこなしてしまうのだろうな。


 入園式の適正ゼロ騒動からルートヴィヒはサーシャと何度か接触を図っているが、おそらく本人に認知されていない。

 いつ声をかけても「はじめまして」の顔をしてヘラヘラ笑っている印象だ。


 周囲から「適正ゼロ」と話すと魔力が落ちるからやめろ、と忠告を受けたが、本気で言っているのなら頭がおかしい。ルートヴィヒの軽蔑の眼差しを受けてその生徒は黙ったが。


 そもそも「適正ゼロ」の意味をどの程度の生徒が正しく理解しているのか。あの時計は単純な魔力量を測定する装置ではない。

 魔力量は微弱だが体調によって増減する。よって時計はその増減幅を踏まえて平均値を割り出しているのだ。そして生きている限りどんな生命も魔力を持っている。魔力ゼロは死人を意味するのだ。


 つまりサーシャが叩き出したのは適正ゼロや魔力ゼロという意味ではない。時計が平均値の予測が範囲外に振り切れ、測定できなかっただけなのだ。

 魔力が1でもあり得、1000でもあり得る。内包する魔力量が変動が可能だということ。学園内の誰一人サーシャに敵うはずがない。


 しかし本人すらそれをわかっていない。

 来賓席に座るルートヴィヒの両親も、サーシャを見てどこか様子がおかしくなった。自分の見立ては当たっている根拠にもなる。


 見立てと言えば、彼は割と女子生徒に人気がある。

 成績は振るわない問題児ではあるが、あの外見がマイナス面を払拭してしまう。天使が人間になったような透明感と美しさに目を奪われない者はいない。

 肩まで流れる飴色の髪、細かに結われている様がまたいい、と女生徒たちが話しているのを聞いた。同じく聞いていた男子生徒がサーシャへ嫉妬混じりの嫌がらせをする。

 ままならないことだ、とルートヴィヒは他人事ながらに思う。


 しかし、サーシャは見かけに反してかなりの無作法者だ。野生児とも言っていい。嫌がらせを飄々と流し傷ついている様子はない。

 また、いつも何故か体は傷だらけで、独り言ばかり言っているので実際に近寄れる強者はいない。




「寒い寒い寒いー!」


 考え事をしていたら、突然何もない空間から少年が現れた。

 ずっとサーシャのことを考えていたから幻でも見ているのか。


 いや、違う。

 中庭の全生徒が霜に全身塗れ、髪や服を四方に凍らせている少年に釘付けになった。

 寒い寒いと本気で泣いている。

 ほのぼのとおしゃべりに興じていた中庭が一転して静まりかえる。皆の視線に気づいていないサーシャは独り言を続けた。


「なんでー、ルーナは大丈夫なの?」

「    」

「俺だって鍛えてるし。やば、手足の感覚ないー」


 するとサーシャの頭上から煮えだった湯がドバーッと滝のように落ちてきた。とっさに転んで避けたサーシャの目があらぬ方向を向く。


「ちょー、何今のー!」

「    」

「こういうのはゆっくり解凍しないと死ぬんでー! もー、泣きそー……」


 地面にふらふらと顔をつけ、そして実際にハラハラと泣いているようだ。一見すれば美少年の麗しい泣き姿だが、哀れなほどの氷まみれが逆に笑いを誘う。


 いや、面白いと思っているのはルートヴィヒだけだが。

 サーシャの肩に妙なシワができ、ぱきりと氷が折れた。ゆっくりと顔を上げて、中庭の周囲を見渡し「あれー、寮塔に飛んだよね?」と首を傾げる。


「え? 俺が途中で手を離したから?」


 一人でふむふむ頷いた後に、サーシャは脇に持っていた薄い羽衣を被った。


 ───瞬間、中庭から一人の少年が消えた。


 え?


 水を打ったように辺りがシンとなる。

 物理的に消えた以前に、突然自分の記憶が分厚い氷を張ったように曖昧になった。今何を見ていたのか、何を考えていたのか。何故ここにいるのか、何を思って心が弾んでいたのか。


 ……何を、していたんだろう。


 腹の奥が嫌に重くなる。

 ぼんやりする頭を振ると、何もない空間に何かがチカリと光った。


「……あ」


 ずっと見ていたら見えてきた。そして思い出す。

 今ルートヴィヒはサーシャを見て笑っていたのだ。氷だらけのサーシャは白百合色の羽衣を頭から被り何やら楽しげに歩いている。その様は人間離れしていて現実感がない。


 周りの生徒たちが先と変わらない談笑を始めた。

 彼らにはサーシャが見えていない。見ていたことすら忘れてしまった。あの薄い艶やかな衣がそういう魔術を含んでいるのだと、ルートヴィヒは瞬時に理解した。


 サーシャはあらゆる面で規定外だ。

 外面も内面も持っている能力も常人の尺度で測ることはできない。今ですら何もない空間から出ていた。転移魔術は国家機密となっており一般人に情報が降りてきていない。


 彼はいつの間にか姿を消して戻って来た時には魔物を手にしている、なんて噂も耳にした。魔物の討伐は綿密に編成を組んで行うのが常だが、そんなこと絶対に彼は知らないだろう。

 そして知らなくても一人で何とかなっているのだ。破天荒さばかりに目が行き、誰もそこを追求しない。

 ルートヴィヒにしてみれば、疑問に思わない生徒たち側こそが愚かだと思っている。


「サーシャ」


 凛とした声が中庭に響く。ルートヴィヒの声は涼やかに伸びて聞く者の意識を嫌が応にも奪ってしまう。

 しかし中庭の生徒は誰もルートヴィヒを振り向かない。「サーシャ」という名前すら意識外に追いやる強力な魔術に、思わず口が笑みを作った。


 呼ばれたサーシャはピタリと足を止める。

 すでに中庭と校舎の連結部まで進んだ彼は、あちこち見回し、ゆっくりとこちらに視線を送った。

 交差した視線にサーシャの琥珀色の瞳が何度か瞬いた。初めて目線があった気がする。


「見えてるの?」と、自分に指先を合わせる。距離があるので声は聞こえないが言っていることはわかる。


 頷いて手を振る。「またな」と。

 良い息抜きになったので研究棟に戻ろうと、ルートヴィヒはサーシャへと背を向けた。

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