3. 初めての街と魔法の呪文
「今日は街に行こうか」
「まち?」
ルーナが作ってくれた朝食を食べながらサーシャは首を傾げた。街は大人の居住区だ。子供は行ってはいけないと姉たちから常々釘を刺されている。
それはそうと皿から湯気をのぼらせているオムレツが美味しい。
ルーナと共に暮らすようになって何日か経ち、朝昼晩と食事を作ってくれるようになった。当初は要らないと断っていたが「なら捨てる」と言われ渋々食べ始めた。
不味いわけでなく、むしろいつも美味しい。あるのなら食べてもいいかくらいに食事の地位が上がった。
オムレツをさらに一口食べるとちょうどいい酸味が卵と一緒に口の中に広がる。
「これ、なにがはいってるの?」
「クリームチーズだよ」
「おれもごはんつくりたい」
「じゃあ、夕飯は一緒に作ろう」
先に食べ終えたルーナは、頬杖をついて夕飯の献立に頭を巡らす。
サーシャの食事の盛りはルーナに比べ一回り小さいが、それでもかなり多い。しかし食べきらないと銀色の瞳が僅かに悲しそうに揺れるのでサーシャは一生懸命スプーンを進める。
何とか食べ終えてぐったりとおでこを机に乗せる。お腹が破裂しそうだ。美味しいけれど食事はとても疲れる。
潰れていたらルーナに頭を軽く叩かれた。
「行儀が悪いよ」
済んだ皿が運ばれ、慌ててサーシャは追いかけその皿を取り返す。作ってもらっているのだから皿洗いは自分の仕事。
彼を追い返すと、「じゃあ支度してくる」と部屋に向かって行った。首を傾げて見送ったが、街に出かける話をしていたからその支度だと合点がいった。
片付けをしながら横目で姉を伺うと、いたって普通の顔で笑っていた。つまりルーナと一緒ならば問題がないのだろう。
サーシャには絶対に行ってはいけないと念を押していたくせに、ルーナが間に入っただけでこれはないのではないか。
信頼度の圧倒的な差に少々落ち込んだ。
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街は家から五時間ほど歩いたところにある、らしい。子供の足ならばその倍以上かかる。辺境の地から街へと向かう移動手段は存在せず、サーシャ一人となると唯ひたすら歩くしかない。
支度を済ませたルーナが玄関をくぐりサーシャへと手を差し出す。
サーシャの髪は三つ編みを右耳から左耳へアーチ型に結ってもらった。青鹿を模したピンが耳の上で光る。
互いの手を合わせると白い光と共に移動が始まる。
本来ならば徒歩という移動手段が彼の魔法によって非常に簡略化される。街の凱旋門から少し離れた森に飛んでくれるという。
「まほうってべんりだね」
「サーシャも直ぐに使えるようになるから大丈夫」
別に拗ねていたわけではない。素直に凄いと思っただけなのに何故か慰められた。
しかし、使えるようになるというのならばそれはそれで嬉しい。常に姉に助けられてばかりで、いつか一人立ちしたい気持ちは確かにあったのだから。
「ほら、ここから歩くよ」
少し考え事をしていたら、いつの間にか公道から僅かに外れた森の中にいた。凱旋門に向かう馬車や荷車、沢山の人々がひしめき合っている。
ルーナに手を引かれてその波の中にごく自然に混ざった。ぎゅうぎゅうに密集している人の波をルーナは器用に掻い潜っていく。
篭った人熱に酔いそうになりながら足を進めると、一度波が動きを止める。上を見上げると門番と大人らが何らかの書類をやりとりしているようだった。
「いいから」と、強引に手を引かれ停帯している区画を抜け出す。ふっと熱気が拡散すると共にサーシャの視界が開けた。
「わ〜」
門を抜けた人々が扇型の方向に各々向かっていく。
門を中心に伸びた大通りは聞いたこともない活気にあふれ、どこもかしこも華やかな印象だ。姉に聞いていた通り大人の居住区だ。見渡す限り大人しかいない。
いや、違う。
サーシャは目を細めて観察する。大人の大きな体躯に隠れているだけで子供もちゃんといる。自分と似た背格好の子供が大人の体の中に紛れている。つまり抱きかかえられているのだが、その理由はすぐに明らかになる。
「いたいっ!」
背中に衝撃が加わり、サーシャの体がすっ飛んだ。
自分たちの体は、大人にとって死角の位置にあるのだ。意図せず歩行の障害となって蹴飛ばされてしまった。
ルーナは器用に人々の足を避けて進むので、自分の鈍臭さが恥ずかしい。
歩き方のコツが掴めてきたところで、ようやく景色の詳細を眺める余裕が出てきた。
所狭しとテントが並び、けれど決して乱雑ではない。非常に計算し尽くされた区画の整理にサーシャは思わずため息をついた。
見たこともないような食べ物、小物、何か、何か、何か。そして何か。正直何に使うのかわからないものばかりだ。とにかく見知らないものが色々並べられている。
何の意図を持って並べられているのかわからないが、近くでよく見て見たい。フラフラとテントに吸い寄せられる足が、ルーナによって止められる。
「あれはお店だよ」
「おみせ」
「この貨幣で売っているものと交換するんだ」
「こうかん」
ルーナにコインを握らされて、手の中の金色をじっと見る。
何やら鳥の文様が刻まれている。
「ねえねにきいたことないよ?」
「こういうのは得手不得手があるから。でも僕も慣れてないから一緒に勉強しよう」
「うん」
「とりあえず夕飯の材料を買おうか。……あ、そうだ」
そう言ってルーナは勿体ぶったような笑みを浮かべた。不思議に思って首を傾げると、「サーシャにも使える魔法があった」と秘密の呪文を教えてくれた。
テントは露店だとか、売っているものは何だとか、価値としてこのくらいだとか、ルーナは一つ一つの知識を丁寧に教えてくれた。詰め込まれる情報にパンク気味になりつつ、なんとか頷いてみせる。
話しているうちに今晩はカレーに決めた。初心者でも作りやすいし、セットのスパイスを買えばまず失敗しないという。
色とりどりの野菜の籠が並べられた露店を覗いて、サーシャは店主へと声をかけた。
「すみません、これください」
「……親はどうした」
サーシャの三倍はあるだろう体格の店主が不信感を露わに目の前の客を射抜く。その視線の意味を理解しないままジャガイモを差し出すと、傍から肘で小突かれた。
呆れた銀色の目がぶつかり、ようやく今使うべき魔法の言葉を思い出す。
「ハジメテノ オツカイ ナンデス」
「あ、ああー」
一拍間を置き、店主は辺りを見回しふと視線を止める。視線の先にいるのは無関係の男女である。
納得したように数回頷くと、先とは一変、快活な笑みを浮かべた。むき出しの歯が白くて印象的だ。
「ジャガイモが二個だな。銅貨一枚でいい。あと初めてのお使い記念におじさんからおまけだ」
「ありがと〜」
用途不明の葉を買い物カゴの中に足され、サーシャは店主へ貨幣を渡す。その途端店主は閉口しながら貨幣とサーシャを見比べ、慌てて店の奥に消えて行った。
不思議に思い待っていると、すぐに店主は大量の銀と銅の貨幣を持って戻ってくる。「釣りだ」と渡されたそれは非常に重い。
お金が増えた。何故?
「次から親に言っといてくれないか。この辺の買い物は金貨じゃ対応できねえって」
「………」
隣を見ると非常に渋い顔をしたルーナが明後日の方向を向いていた。