22. 寮塔の中の冒険
安全なルートはとりあえず人の足で進める階段や廊下であるようだ。
それ以外の壁や柱には結界が張ってあり、通過しようとすると攻撃が飛んで来る。完全に精神体を意識した攻撃に気づき、ルーナは目を細めた。人間は壁を通り抜けられないから、必然的に精神体を排除したい仕掛けだ。
黙々と探索を続け58階。
途中から数えていなかったが螺旋の階段にそう書いてあった。
下の階に比べて上階は行けば行くほど温度が冷えてくるようだ。外套を羽織るほどではないが、洞窟の中のような底冷えするような寒さにサーシャは思わず息を漏らした。
そしてちょっと疲れた。
「休憩しよ〜」
ずっと登り続けるのは疲れる。むしろなぜこんなに上に登っているのか不思議になってきた。ここまで来ると完全に人の気配がしない。
幽霊が出るのではないかという、不気味な静けさが階層に漂う。
「使えねえ」
「ほら、おいで」
二人一緒に手を差し出され、僅かに早かったイグニスがサーシャの手をとった。音もなく自らを炎で包み、次の瞬間には青年の姿になってサーシャを抱えた。
「行くぞ、クソガキ」
「どうもです。でもそろそろこの辺りでいいのでは? 人がいないのでゆっくりできそうです」
「やだ。ここ寒みー」
「一定の階層によって特徴変わるみたいだよ。もっと行ってみよう」
言われてみて気づいた。サーシャ達の足元には美しい氷筍が出来ている。イグニスが歩きながら蹴飛ばして粉々に破壊しているが。
氷筍とは天井から落ちてきた水が、地上で固まり上に伸びた氷柱のようなものだ。
昔結構な頻度で見たそれは学園に来てから見ていない。懐かしさを抱きながらサーシャはイグニスによって破壊された残骸をただ黙って見送る。
「確かに生徒の住む1階から25階くらいまでは普通だったね」
「30階から寒くなって来たよ。30階区切りで特徴変わるんじゃないかな」
口に手をあてルーナが考える。「快適な環境が上にあればいいね」と笑う。サーシャは更にまたまたそういえば、と気づいた。
「寮生の名簿あるよね。どの部屋使われているのか見てくれば良かった」
「今更ゆーのなし。てか26階から気配なかったし使われてないっしょ」
「掃除されている形跡もないし。ほら」
ルーナに促されてサーシャは後ろを振り返る。
氷筍がイグニスとルーナの足の分だけ割られている。誰もここを長らく通っていないということだ。
「あ、でも引っ越し希望出した方がいいかも。勝手に変えちゃまずいよね」
「真面目〜」
「Fクラスごとき、いても消えても誰も気づかないんじゃない?」
辛辣に返されてそれもそうか、と思い直した。
とりあえずいい部屋が見つかればいいな、とサーシャは願う。
60階に着いて今度はジメッとして暑くなった。
サーシャとルーナは顔を見合わせて「ここは止めよう」と視線だけで会話をした。イグニスはまんざらでも無さそうで、嬉々として部屋の扉を開けて行く。
「気に入ったのなら火はここの階層で」
「俺たちはもう少し上に行ってみますね」
寮塔の特性に確信を持った二人はイグニスを置いて上に進む。これほど恒常的に蒸し暑い所に住むほど物好きではない。風も通らない構造の寮ではただの拷問だ。
「なんでだよ」と、盛大に眉間にしわを寄せながらイグニスが後ろからついて来た。
再度イグニスに抱えられ、今度は螺旋階段をぐるぐる回って登ること30階分。さくさくっと90階に着いた。
ふわりと窓もないのに涼やかな風が流れて来て、サーシャは顔を輝かせる。
「俺ここにする」
「決断はやー」
「もう少し部屋見てみよ」
どんどん部屋を開けて中を確認する。構造的にはどこも普通の部屋だ。何だか変なものが落ちているが。しかし風の通りは良く爽やかで過ごしやすい。
ルーナを見ると何かを考えている。
「サーシャは本当にここでいいの?」
「と思ったんだけど、もうちょっと上行っていい? 折角だし」
折角ここまで上に来たのだし、参考がてらもう少し上の階を見てみたくなった。
それに部屋を散策していくうちに何だかそわそわ落ち着かない気持ちになってきたのだ。この階層はあまり良くない気がする。監視されているようで、どこか居心地が悪い。
「ここも、部屋飛ばそうか。どんどん上に行こう」
「おー」
機会があれば探索し直してもいいだろう。
とりあえず今は上に進むことにした。
120階。ルーナもイグニスも涼しい顔してたどり着いた。
目の前には大きな扉。階段の突き当たりに突如現れたそれに三人は顔を見合わせる。
「階層ってそういえば各属性を帯びてたね」
「30階から水、60階から火、90階から風。120階からどうなのかな」
「当然てめえの属性じゃねーの」
イグニスがルーナを見る。それに「余計なことを言うな」と視線で睨み返すが、サーシャがあっさりと答える。
「月属性ではないと思います。地上に月は認知されてないようです。図書館の本には一言もその文言ありませんでした」
「…………」
「…………」
気づいていたのか、と一瞬不自然な間があった。
精霊はもちろん、精霊神が自らの属性を名乗るようなことはしない。属性も特性も、契約者が自ら感知し飲み込んでいくのだ。名前のあり方だけは別枠だが。
地上で一般的に把握されているのは三属性のみ。他属性もあるが三属性の亜種なので特別重きは置かれない。基本属性を抑えれば応用が効くからだ。
しかし存在しないはずの属性を難なく言い当てられ、ルーナはどこか納得したように頷いた。
「いつから気づいてたの?」
「え? いつからって。そんなの見ればわかるよ」
あっさりとサーシャは言う。出会った瞬間わかった。基本属性なら確かに見てわかるが月属性は表立つ特徴がない。
見てわかった意味を特に追求せず、サーシャは「扉の奥気になるね〜」などと呑気に笑った。
サーシャが扉に手をかけると鍵はかかっておらず普通に開いた。
扉の先は闇が広がっており、三人が中に入ると音もなく扉が閉まってしまう。視界が闇に閉ざされ、けれど警戒なく歩く自分たちの足音がやたら耳に響く。
この階層は部屋ではなく一階層丸々ロビーになっているようだ。反響の具合からだだっ広い印象を受けた。
「何かいますね〜」
「サーシャ、がんばれ〜」
「え、俺だけなの。手伝ってくれないの」
「つーか、クソガキの部屋探しに来てんだろ。自分のことは自分でしろ」
「え、え、え? そうだったっけ?」
そもそも三人同室が手狭だから引っ越しを決行したのではなかったか。なら人数分の人手は期待していいのではないか。でも生徒たちと諍いを嫌っているのは自分で。
とすると重きはサーシャに寄ってしまうのか。
すでに我関せずと隅に寄って閉まった二人の気配を感じながら、サーシャは対面へと意識を向ける。
タンッ
ゆらゆらと鬼火を従えて黒い固まりが姿を表した。全長十メートルは超える巨大な黒い犬。三つの頭を持つそれは獰猛な目と牙でサーシャを威嚇する。
「結界じゃなくて、ここは君が守ってるんですね」
のんびりとしたサーシャの一言が不自然に響いた。




