19.イグニスの興味
薬物学の教室は地下にある。
高温多湿を嫌った教師が、暗所を求めて地下へ教室を建設したのだ。何故か地下に続く階段は設置せず、移動手段は小さな箱型のゴンドラだけだ。ゴンドラの動力は魔力で、二十人ほどがぎゅうぎゅうに乗っても安定して作動する。
ぎゅっと、潰れながらイグニスが珍しそうにボタンを押す。
ぎゅっと、潰れながらサーシャは「全階押しちゃダメです」と言う。
ルーナは用事があるとのことで、今はいない。扉の上で鐘が鳴り目的の階へ到着する。
「変な箱」
イグニスは興味深そうにエレベーターから降りた。二人は薄暗い石畳の廊下を、他の生徒に揉まれながら歩いていく。
今日のイグニスはサーシャよりも少し背の高い少年の姿をしている。彼は動きやすさ重視で変えているようで、大抵は筋肉質の青年の姿だった。
「隣に並ぶなら、こんくらいが似合う」
「ふうん」
あまり意識して考えたことがないので、曖昧に頷いた。イグニスもまた、ルーナ同様気配を消している。
黒いローブで埋め尽くされた廊下の中に、異質に輝く紅蓮の炎。それに気付く人間はいない。見せる気をないのに、似合う似合わないを考えるのが不思議だ。
「まあ、この学園、面白えわな」
「そう思いますか?」
「よくわかんねえ魔力があって、良い感じに肌がピリピリする」
「へー」
サーシャにはよくわからない。
「色々できそー。あ、隠し部屋作ってみねぇ?」
「隠し部屋、ですか?」
「今の部屋、狭いっつってたじゃん。ちょっと通路を歪ませれば出来んぜ」
「じゃあ手伝ってください」
「おー」
部屋を作るとしたらどんな感じがいいのだろう。
ベッドは三つ作るとして、その他プライベートが保たれる敷居が欲しい気がする。となると最初から三部屋確保した方がいいような。隠れ家を作るような高揚した気分で、二人はうんうんと頷く。
生徒たちの足音しかない微妙に静かな廊下に、サーシャの声が割と響いているのに気づかない。完全に独り言をブツブツ呟く怪しい子供である。
「てか、敬語やめてくんない? あっちと随分差がある気してずりー」
「あっちとは?」
「見た目の割に年増な精霊神」
「年増って」
サーシャが目を瞬かせる。気がする以前に、当然サーシャの中ではルーナに重きがある。100と0くらいにあからさまな差が存在する。
しかしそれはイグニスも同じだ。イグニスにも心許す誰かがいて、他者に名を呼ばれるのを嫌う。全てわかった上で拗ねるように口を尖らせるのだから、ずるいのはどっちだ。
「神様って人間と時の流れの感じ方違ったりしないんですか」
「そー言われると分かんね。長いようなあっという間のような」
「イグニスは何歳なんですか?」
「そいや数えたことねぇな」
う〜ん、とイグニスは天井へと飛び上がり、空中で体を反転させた。いい加減人口密度の濃さに嫌になってきたらしい。
体を横たえて頬杖をつく。子供の姿のくせに良い腹筋が見えた。
「今度一緒に歴史の本でも読みましょうか。覚えのある出来事とかあればおおよその年齢がわかるかも」
「いや、言う程年齢知りてぇか?」
「正直あんまり」
返ってくる質問を予想していたかのように、口を開いた途端頭を蹴られた。前の生徒の肩に頭が直撃し「すみません」と謝る。
「ちょっと、痛いですよ」
「だーかーらー、敬語やめろって」
「あなたこそ、言う程やめて欲しいんですか?」
イグニスが口を尖らせる。
「実際そんなに拘りないですよね。……え、あ。……ちょっとっ!」
とろりと頭の上に溶岩流を垂らされ、慌てて列の最後尾、群衆から外れた場所へ逃げた。自分は熱くないが、周りの生徒にどう影響が出るかわからない。
頬を滑ってポタポタ石畳に落ちるマグマは、容赦無く地面に穴を開けていく。天井の低い空間に黒い煙が立ち込め、生徒たちは訝しげに後ろを振り返る。
最後尾は煙に包まれ何も見えない。
「なんで意地なってんだよ。怒ってんの?」
「いえ、意地になってるわけではなく」
黒煙の中心で、サーシャが首を傾げた。
「イグニスは大人の格好の方が多いから。ついそっちが出ちゃうんですよね」
「じゃあ、もうずっとガキのままでいる」
「あなたの方こそ、なんか意地になってません?」
「なってねーよ、バーカ」
ふわりと煙の中からイグニスが出ていく。
一体なんなんだ、と思いながらサーシャも黒煙から抜け出た。
教室に着くと全ての席が埋まっていた。
薬物学は選択科目である。また、若干地味な部類にあるためFクラスには不評な科目である。いつもなら生徒の数より机の数の方は多いはずだが。
前の席にはいくらか余裕が見えるが、後ろの席は相席の相席といった様相をしていて、すでに空席はない。
「なんだって全クラス合同授業なんだよ。座れねえじゃん」
「教諭が明日から出張なんだって。一週間分まとめて授業するって言ってた」
「Aクラスの奴らばっか悠々と座りやがって」
と近くの生徒が話していたので大体の事情がわかった。立ち見の生徒もちらほらいるのでその中に混じる。しかしサーシャに触れると魔力が下がる、と言う呪いの噂が流れているので自然に周りが離れた。
ゆっくり見れて何よりである。
そうこうしていると教師が入ってきて、ぎゅうぎゅう詰めの教室を一瞥すると授業を始めた。




