18. 神様の憂鬱
いい加減、子供扱いやめてほしいなあ。
そんな視線を察したらしい。背中をトントンとあやすように叩かれた。講堂の屋根へと上昇し、イグニスは胡座をかいてそこに座る。
学園を一望できる絶景と、麗かな陽光に、素晴らしいお昼寝スポットである事を知るが、共にいるのがルーナだったら、と思う。イグニスの膝の中にすっぽりと抱えられたままで、彼の方から声があがった。
「クソガキ、そういや名前は?」
「サーシャです」
「サーシャ」
呼ばれて、そちらに目を向けると、感情が測れない瞳が不意に細められた。顔が近い。
形の良い唇が不敵に弧を描き、どこかねっとりとした圧迫感が放たれる。見る者全ての意識を奪うような凶暴さも潜んでいた。
「精霊界で言う契約の儀はもっと簡単なんだぜ」
「そうなんですね」
「ただ、名前を呼び合うだけだ」
「…………」
顎を取られ、やや乱暴に顔を合わせられる。期待を込めたような色が紅の瞳に浮かべてイグニスは少年の名前を呼んだ。
「サーシャ」
「…………」
「おい、てめえも呼べよ」
僅かに低くなった声に囁かれ、サーシャは目を閉じる。
「契約するなら、ルーナが良いです」
「…………」
瞬間、イグニスの目が見開かれ、
「え、あ? マジ? ……そーゆうこと?」
と、何かを反芻するように呟く。
蝶を誘うような甘い空気を一瞬で拡散させ、イグニスが唸る。不思議に思って見ていると、男もまたサーシャをじっと見た。固い掌が額を撫でる。
「……お前、ずっりいなぁ。マジでクソガキだわ」
「え?」
「ちょい銀の精霊神に同情した。向こうのがカワイソーだから、てめえは反省してろ」
「?」
「知らねえからっていい気になんな」
何が何だかわからず非難され、イグニスも屋根から飛び降りて消えてしまった。消化不良が更に消化不良を起こしたような気になりながら、サーシャはとりあえず反省した。
反省をするような心当たりは全くないが。
夜になってルーナが戻ってきた。
今朝のことで、ちょっとおどおどと様子を伺っていると「そう言う顔、珍しいね」と、笑われる。いつもの調子のルーナに目を瞬かせて、一方で少し安心して手を握った。
「おかえり〜」
「ただいま」
ふわふわした空気が流れる。
準備していた夕食を並べながら、テーブルへと促した。しかしルーナを隠れて覗いていると、呆れたようなため息が少年より発せられる。
「ルーナ?」
「もう気にしなくていいから」
「…………」
「今考えても意味なかった。サーシャが大きくなったら色々あるから頑張って」
首をかしげると意味深に微笑むだけだ。
一日で何かしらの結論を出してしまったルーナはそれ以上話を言及することなく、準備された夕食にスプーンを進めて行く。
今日はルーナの好きなオムライスだ。これで少しでも気持ちが落ち着いてくれたら、と。卵にはクマさんのイラストをあしらえている。
大きくなったら、か〜。
神には何かが見えているのだろう。人間には認知出来ない事象が彼らには見えている。
しかし先手を打つにもその事象は発生しておらず、今はただ待て、と言うことなのだ。それが何なのか言えないのは神のルールだからか、何かは分からないが。
「今日さ、契約の儀式見てきたよ」
「へー」
「鳥籠の中の精霊と契約を交わすの、面白かった」
「でもあれ、ブランクじゃん」
「あ、ルーナは知ってたんだ」
「人間の考えてることはわかんないね」
「イグニスも同じこと言ってたよ」
「えー、やだー」
ゆるい会話を広げていたら、バンッと乱暴に扉が開かれる。
「あ、仲直りした?」
どこかで運動でもしてきたのか、体から蒸気を上らせてイグニスが入ってくる。ルーナの唇があからさまに歪んだ。
「クソガキどもは仲良しでいいな」
「炎は呼んでないから、消えて」
「てめえも呼ばれてねえじゃん。契約してねえくせに」
「は?」「あぁ?」と2人は睨み合う。サーシャにはやはり見つめ合っているように見える。険悪な雰囲気に気づけなかったサーシャはイグニスに声をかけた。
「あなたも、オムライス食べますか?」
「……オム? 何だって?」
「晩御飯です」
「マジか」
言って、イグニスは信じられないものを見るようにルーナへと目を向けた。ルーナは無視を決めた。
「すげえ。人間みたいな真似してんの?」
そう述べたイグニスに、サーシャは精霊神は生命活動を必要としないことに気づいた。なぜ、そんな真似をわざわざしてきたのか。一概にサーシャに人間生活を教えるためだ。
(苦労、かけたんだな〜)
と改めて感謝の念を伝える。その視線に気づいたルーナはテーブルの下でそっと二人の足先をあてた。
生命活動というと思い浮かぶのは食事と睡眠だ。神は睡眠も必要としないのだろうか?
「もしかして、布団も要らなかった?」
「確かに寝なくても大丈夫だけど、心地いいのはわかるから無駄じゃないよ」
「まー、寝んのは悪くないよな」
「あ、食うのも悪くないかも」と、イグニスはオムライスを頬張る。そして男はそのまま視線をベッドに流した。
「ベッドも良さそうじゃん? オレ、どこで寝よ」
「部屋、狭いから二つしかないんですよね。空き部屋ないか聞いてみます」
「あ? そこでいいし」
イグニスはサーシャのベッドを指差す。
じゃあ自分はどこで寝ればいいのだ、と首をかしげると、ルーナがため息をついた。
「サーシャは僕と寝よう」
「ありがと〜」
「あと、暑苦しいし狭いし不快だから僕らが部屋の移動を考えようか」
「は? クソガキくらいならオレと寝れんじゃん。ちっこいし」
あっという間に夕食を食べ終えたイグニスは、さっとサーシャを担ぐ。ベッドへと二人で横になって「な?」と、同意を求めた。
「筋肉、固い人と寝るの疲れるんで嫌です」
担任を思い浮かべて正直に告げた。あの数日の野宿は就寝時間が特に辛かった。思い出すだけで腰がバキバキ痛む。
「マジ? じゃーこうすっか」
ふわりと熱さを感じない炎がイグニスを包む。完全に姿を隠した瞬間、容量を大幅に減らして再度姿を表した。
その姿に、素直にサーシャは感心する。
「ガキって、こんな感じ?」
サーシャと同じくらいの齢に縮んだイグニスが得意げに鼻を鳴らした。流石精神体の神様。姿形は自由自在なのだ。イグニスの視線がルーナへと一瞬流れ、そしてサーシャへと戻される。
「あっちもこういうことしてっから。子供だと思って油断してんじゃねえよ」
「…………」
ルーナの眉が盛大に顰められた。




