14. 初見殺し
目の前の濁流に子供はため息をついた。
恒例の魔法陣の足場を組み川の上を渡っていく。瞬間、水中から龍が渦を巻いて浮き上がりサーシャへと襲いかかる。
「え」
瞬きをしたその瞬間、目の前に迫っていた水龍をもろに受け止め、サーシャは川の中へ落ちた。水の中は沸騰を感じる熱さで満たされ、半分パニックになりながら水魔法へ氷を加えた膜で自身を包む。
「魔物はいないって言ってたけど……」
水の中は水龍のような生き物で埋まっている。しかし実際は水龍でないのは知っている。そもそもこれは生きていない。ただの流れ、──ただの水流である。
よく観察してみると流れと流れの間に隙間がある。その間を縫って渡るしかなさそうだ。息も苦しくなってきたので手早く渡ることにする。
子供一人が通れるか否かの隙間を縫っていくが、つい渡る順番を間違えると元の岸に流されてしまう。その際熱湯を纏う水流が氷の膜を割ってしまうので凄く熱い。
「熱いし、痛いし」
やや泣きを入れながらサーシャは何度目かの川へ飛び込んだ。
川の上は渦を巻く熱湯が飛び交っているので渡るのに難儀するだろう。川の中と違い規則性がなく、川下から川上から重力を無視して噴出している。何故かこちらの魔法に反応するようで、気づいたら攻撃されているので抜け方がわからない。
であるから渡るなら下からだ。息を大きく吸い、氷の膜を作る。
「あーあ」
道筋はだんだん覚えてきたが、流れに足を取られる。行きたい方向に行けずに足を滑らせ、サーシャはまたスタート地点へと戻った。
もう飽きてきたから、止めようかな。
試すこと十数回目。
だんだん諦めの方向に気持ちが傾き、体の力を抜いたのが良かったのか、奇跡的に流れの順番をミスすることなく川を抜けることができた。気持ち的にもうボロボロだ。肌は所々火傷を負ってしまった。氷で冷やしながら次なる試練をうんざりした目で見上げた。
森じゃなくなってる。
対岸は森だったはずだが、川を抜けた瞬間景色が変わった。見上げても頂上がわからない、途方もなく高い山になってサーシャに立ちはだかった。
植物一つ生えてないむき出しの岩肌に、登山口を見つける。小さな女性が入口の岩に腰掛けており、こちらに気づいて微笑む。
「ここから先は神様の山よ。人間が来るのなんて何時ぶりかしら」
「神様の山……」
「一度入ったら、途中で戻れないわよ。準備はいいのかしら?」
「うーん」
あの熱湯に再び飛び込む気になれず、渋々了承を示す。岩だらけの山へと足を進めた。
「大丈夫?」
「もうクタクター」
女性が赤い鱗粉を撒き散らしながらサーシャへと近いてくる。聖域というのはサーシャの「姉のような人たち」で溢れている。小さな体に蝶のような羽だったり、鳥のような羽だったりを生やし、細かな違いはあれど皆一様に親しげだ。
サーシャの家には色とりどりの小さき人がいたが、今日は赤い印象の人しかいない。女性の指先が触れ、チリリと肌が焼けた。
「熱い」
「あら、ごめんなさい」
パッと手を離した女性に首を振って答える。「大丈夫〜」と。山を登って行くうちに徐々に彼らの数が増えた。周りに蛍のように発光体がいくつも飛び交う。
「ここ、熱風が来るから気をつけてね」
「一度吹き出したら次まで間があるからタイミングを見るのよ」
「さあ、今!」
初見なら絶対直撃を免れないそれを、的確に女性が伝えてくれる。
「人間の体は不便なものだな」
「こんな風一つで溶けてしまうのだろう」
「次は岩石が頭上から落ちて来る箇所だ。そうだ、ここでまず止まれ」
指示通り止まると、サーシャの鼻スレスレのところで人の頭大の岩石が落ちてきた。音もなく落ちてきたそれは、足元で鋭い破裂音を立てて転がる。上を見上げると、成る程。ピンポイントに落ちそうな岩石がいくつも揺れていた。
今回はサーシャは手伝いを申し出ていないが、率先して助けてくれる彼らに素直に甘えた。
普通に死ぬ系ばかりが続き、気を張り続けるのも疲れる。助けてもらえるのならよろしくお願いしよう。
「さあ行こう。もう少しだ」
「神殿は頂上だ」
「あら、大変。足場がないわ」
「人間の坊やは飛べるのかしら?」
道の先が途切れている。と言っても五メートルもないくらいの崖になっているだけだ。風魔法で簡単に飛び越えられる。軽く頷いて魔法陣を出すと、瞬間天空より炎の矢が降ってきて魔法陣が粉々になる。
「え」
爆風が上がり、咄嗟に水属性の防御壁を構築するが、女性が「火属性にして!」と叫んだ。
巨木ほどの槍が防御壁に向かって飛んで来る。彼女の言葉に従って急いで水属性のそれを破壊し、火属性で構成し直した。防御壁に当たる寸前で槍が消える。風力だけが勢いを残してサーシャの体を直撃した。
「う、わっ」
実物の名残が鋭い衝撃となって足場を砕いて行く。金翅鳥の比でない強靭な魔力に、為す術もなく岩に叩きつけられた。
かなり痛いが、しかしあの槍が防御壁に当たったらどうなっていたのだろう。防御壁など意味をなさず、サーシャの体は紙のように貫かれていただろう。
「あ、良かった。生きてた」
爆風も収まり、開けた視界で己の掌を見る。ちょっとかすり傷を負ったが大事はない。
「言い忘れてたわ〜」
「ここの神様は嫉妬深いのよ〜」
「火属性以外の魔法を使うとヤキモチ焼いちゃうから気をつけてね〜」
「おっけー」
神様は火属性らしい。今日やたら熱い思いをしているのは、聖域が神様の影響を受けているからだったのか。昨日はのどかな普通の森だったのになぜ。
首を捻りながらサーシャは女性たちに着いて行く。続く道中もポツポツと初見殺しが設置されてあったが、小さき人たちが回避してくれた。
頂上に着いたのはすっかり夜も更けた頃。
暗闇の中に浮かび上がる重厚感のある建築を見て、とりあえずサーシャはその辺に横になった。今日一日頑張ったから挨拶をするのは明日にしよう。彼女らがふわりと体に寄り添い、仄かな暖かさを伝えてくれる。
「寝るの? 坊や」
「うん、おやすみ〜」
「共に寝よう、坊や。良い夢を」
傷だらけの体を労わるように、小さき人はその身をサーシャの中へと溶かした。
その光景をサーシャは見ていない。疲れた子供はすぐに夢の中へと落ちてしまったのだから。




