12. 姉の正体
「じゃなくて、サーシャの家に住んでたの。あれ人間じゃないからね」
「え!」
ルーナの言葉に、やっとサーシャは本当の驚きを示す。
口に手を当ててサーシャは姉たちとの生活に思いを馳せる。思い浮かぶのは優しい姉の笑顔だ。
「いい加減、知らないままだと具合が悪いでしょ」
「ちょっと待って。姉さんたちが人間じゃないのなら……」
「人間とサイズ全然違うじゃん。むしろなんで気づかないの」
「え〜」
姉は掌サイズに小さい。
街の人間に比べたら小さいのは気づいていたが、街と森とで主食が違うから成長の具合が違うのだと結論づけていた。ふわりと空中を飛んで小さな手でサーシャを撫でてくれる優しい姉たち。まさか種族が違うとは思ってなかった。
「彼ら、人間のこと全然知らないくせに君を育ててたみたいで」
「…………」
「初めて僕らが会った時、君は栄養失調で死にそうだったよ」
「そうだったっけ?」
思い返せど苦労した記憶はない。痛い、苦しい、空腹で死にそう、等の感情を抱いたことは一切なく、彼女らとの生活は幸せで彩られている。
ルーナの言った通り食事に関しては、当時無関心だった故重きを置いていなかったかもしれない。ルーナと生活し始めてやっと習慣として摂取するようになったくらいだ。
パキリと小枝を踏み抜いて、サーシャは目の前の景色に意識を向ける。獣道はいきなり途切れ、崖となっていた。
崖底には川が静かに流れている。下っていくこともできなくないが、特に何も無いようなのでそのまま対岸へ目を向けた。二十メートルほど離れた対岸へ続く橋はない。
「このまま進んでいい?」
「サーシャの好きにして」
魔法陣を自分の歩幅にセットしながらサーシャは空中を歩いていく。ルーナはそのままふわりと飛んだ。サーシャの中で驚きは徐々に薄れ、会話という雑談は落ち着きを取り戻し再開される。
***********
「確かに言われてみると納得かも」
「何が?」
「姉さんも兄さんも魔法が凄く上手だし。人間じゃないと言われると納得した」
「着眼点がそこなのか」
人外に育てられた恐ろしさよりも、先立って抱いた感想にルーナは呆れた。
考えていないわけではなかったが、想像以上にサーシャは緩い。何となくふんわりした雑談として流れそうな会話。しかしサーシャは勢いよくルーナのある種の期待を破り捨てた。
「あ、もしかしてルーナも人間じゃない、って流れ?」
「…………」
順序立てて話していく筈だったのに、いきなりショートカットされた結論にルーナの心臓が軋む。覚悟はしていたが、いきなりそこを突かれると思っておらず咄嗟に反応ができなかった。
人間でないなら何なのか。友達だと思っていたのに、未知の存在にサーシャの心が離れていくのではないか。
ぐるぐると抱いたことのない、ルーナ自身把握できない感情に翻弄されながら発す言葉を見失う。その反応を見て「あ、本当にそうなんだ〜」とサーシャが目を丸くする。アホな癖に変なところで聡いからいつも周りに混乱をもたらすのだ。
「じゃあ俺、ルーナみたいに魔法上手くなれないってことか」
「……は?」
「ガーン、ショックー」と、然程ショックでもなさそうにサーシャが笑う。
「いや、練習すればサーシャも使えるよ」
「でも、適正ゼロだし」
「あれは人間が作った装置だろ。どういう数値を測ってるのか僕にはわからない」
人間でないと確信を突いたばかりなのに、そこから想定していた会話に発展していかない。もどかしさを感じて「いや、そうじゃなくて」と、ルーナは口を開いた。
「騙していた、とか思わないの?」
「どゆこと?」
「人間のふりをして近づいたとか、友達面してたとか」
「えぇ?」
逆にサーシャの方が本気で困惑している。対岸へ渡りきり、二人は地に足を着ける。そこで初めてサーシャは気づく。ルーナには影がない。しかし当人にとってはどうでもいいことだった。
「いやいや。思い返せばルーナも姉さんたちも一度も『人間だ』、なんて言ってないしね。俺が勝手に勘違いしただけだし」
「確かに君は察し方がおかしい」
「それは置いておいて。でも今の話を聞いて、ルーナのこともっと好きになったよ〜」
「……え?」
罪悪感を感じている銀色の瞳は意識してサーシャに向けられない。
サーシャは憂に満ちた銀色を見つめながら、繋いだ手に力を込めた。
「だって、ルーナが俺を人間として育ててくれたってことでしょ。ルーナだってわからないこと多かっただろうに」
「…………」
「ありがとね」
呑気な感謝の言葉とともにサーシャはルーナの体を軽く抱きしめる。熱量の感じられない緩さが、ルーナの覚悟をあっさりと壊してしまった。ルーナもまた、おそるおそるにサーシャへと手を回す。
いつしか二人どちらともなく笑い合い、お互いの熱を確かめ合った。
夜になり、サーシャとルーナは揃って毛布に包まり暖をとる。
と言っても火魔法でガンガン薪を焚いているので寒くはない。
ただ「ルーナと野宿してみたい〜」とサーシャが気分を味わいたかっただけにすぎない。
昼間、ルーナが「人間ではない」と告げた後、それ以上言及されることはなかった。当然「種族」まで言い及ぶかと思われた話題は、そこは特に気にならなかったのか、サーシャは思考を道の方へと向けてしまったのだ。
要は道に迷ったのだ。あっちでもない、こっちでもない、と滝を登り、谷へと足を踏み外し、ぐるぐると二人は聖域の中を盛大に迷子になっていた。
サーシャにとって本当にどうでもいい、取るに足らない話であったのだ。
種族などどうでもいい。物心ついた時から共にいた心許せる存在が、人間であろうがなんであろうが全く意味を持たない。ルーナの不安も憂いも期待すらも。それには若干寂しい気持ちを抱くが、その意味するところはルーナ本人もわからない。
「夜も遅いし、ルーナは帰る?」
ふとサーシャが晩御飯の片付けをしながら、ルーナを窺った。
その瞳には当然ながら人外に対する警戒が一縷もない。何も変わらない関係に、選択は誤っていなかったのだと安堵し、ルーナは立ち上がる。
「帰る」
「おやすみ〜」
明日も来るのか、来るのなら何時頃来るのか、等の質問をサーシャから発せられたことはない。信頼か、それともそれもどうでもいいのか。いや、「もっと好きになった」という言葉通り、信頼なのだろう。
消える間際、ルーナはサーシャへと振り返る。
「ここ、聖域から外れてるから。魔物には気をつけて」
「え、……えぇ?!」
聖域内に魔物は出ないが、聖域を境にして魔物は急激に強くなる。聖域から漏れ出た魔力を吸収して魔物を手強くしてしまうのだ。呑気に寝に入るサーシャへのちょっとした仕返しだった。
自分ばかりが不安になって、同じだけの熱量を返してくれない子供へのちょっとした仕返し。




