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魔術師たちの匣庭  作者: こたちょ
5章 魔物編
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26. 明ける朝

 

 翌朝、目覚めたら、隣にアマデウスがいなかった。

 長い夢を見ていたような気がする。夢と現が混在する世界を瞳に映し、ファリャはベッドから起き上がった。朝の透き通った空気が髪や翼の羽毛の中に潜り込む。起床を促す風の揺らぎに身を任せ、体の芯から伸びをする。縮めていた翼を部屋いっぱいまで広げるていると、徐々に五感が働いてきた。

 一番初めに仕事をしたのは嗅覚だった。


 良い匂いがする。


 ふらふらと部屋を出て、匂いの元を辿る。美味しそうな匂いはハムエッグの匂いだ。ファリャになってから食べていない。半熟卵に僅かに塩を加え、ルアジ産のスパイスをかける。独特な辛みがなんとも癖になり、一時期、毎朝のように食べたっけ。

 厨房兼食堂の部屋のドアを開けると、意外な人物が目に飛び込む。


「あれ? なんで君が?」

「おはよう。サーシャ」


 エプロン姿のルートヴィヒがフライパンを片手にふり返る。手首をひねってフライパンからお皿に卵を移した。朝の陽ざしも相まり、きらきらしている。にこやかにほほ笑む男は、流れるような動作で背中の紐を引きエプロンを外す。きっちりと第一ボタンまで締めたワイシャツは、彼は相変わらず優等生なんだと認識させた。

 ……とても、人の家に勝手に入って、食材を漁るような性格ではない、はず。


「アマデウスは?」

「あの男か」


 本来いるはずの姿がない。目の前の少年よりも、アマデウスの不在の方が気になり炊事場から離れる。アマデウスの書斎、仕事場、居間、洗面、裏庭、家の周辺をぐるっと回って彼を探した。親を探しているような、妙な感覚になる。


 ……ああ、非常に基本的なところを確認し忘れていた。

 家に戻り、厠の扉をノックしようとした時、呆れを通り越したため息が後ろから聞こえた。

 精神年齢90歳の弟だ。


「彼ならいないぞ。用事があるからな」

「用事って?」

「サーシャならわかるだろう? いや、まずはそんな事より朝食にしよう」

「え」


 そう言って再度食堂に引っ張られ、やや強引に食卓についた。角型の食卓はアマデウスとファリャの二人でしか使用しないため小さい。その小さな面積に、これでもかというほどの朝食が並べられ、つい先日の夢の中での出来事を彷彿とさせられる。

 ルートヴィヒはファリャとの再会を歓迎している。その事実を改めて目の当たりにし、そっとスプーンを手に取った。暖かな鶏塩スープを口に運び、目の前に座る弟を窺い見る。


「どうだ? 美味いか?」

「美味しいよ。君は料理も出来るんだね」

「時間はたっぷりあったからな。大抵の事は問題なく出来る。世界の年表をかき乱さない、日常生活の括りの中での行動は自由だったからな」

「そうなんだ」


 普段より急いで咀嚼し、鶏肉を飲み込んだ。何となくゆっくり食事をしている場合ではないような気がする。なぜなら、ゆったりと微笑むルートヴィヒが、言葉通り場違いだからだ。彼はここにいるべき人ではない。逆に本来いるはずのアマデウスの姿が見えないことが、妙な胸騒ぎを覚える。

 そういえば、先ほど家の外に出たとき、やけに辺りが静かだった。明るい夢魔の声がしない。上空で空気を唸らせるホーリードラゴン、水辺で静かに歌う人魚姫。いつもの平和な光景が、脈絡なく消えてしまったような、心もとなさが拭えない。

 考えるよりも早く、気持ちの方が口を急かす。

 その言葉にルートヴィヒはピクリと眉を動かし、あからさまに顔を歪めた。不機嫌をそのままに、瞳の光彩を沈め、ドロドロとした闇を湛えて苦く言葉を返す。


「サーシャは、あの男に情でも移ったのか。前の世で何をされたのか忘れたのか」

「忘れたわけじゃないけど。でも、それには理由があって」

「……そういう中途半端な態度だからいけない。理由が何にしろ、君は無惨に殺されたのは事実。復讐くらい考える気概を見せろ」

「……ふ、ふくしゅう??」

「その間抜けな顔もやめろ。サーシャがしないのなら、私がする」

「え?」

「私が彼を討つ。その為にここに来た」


 彼らしからぬ物騒な台詞に耳を疑った。

 しかしその瞬間、突如今までのことが一つの線に繋がる。ルートヴィヒが話していた言葉の一つ一つが全て意味を持っていたのだが、やっと今になって気づいて、ふつふつと肌が粟立った。

 ルートヴィヒはアマデウスに復讐したいのだ。そしてそれは達成している。何故ならアマデウスの姿がどこにもないから。


 復讐のきっかけは、ファリャの前の姿、サーシャの処刑にある。処刑される側のサーシャは夢の中で呑気に夢魔とおしゃべりに興じていたが、現実世界の方では筆舌尽くしがたいほど凄惨な状況だったのだろう。

 セルゲイやイグニスが揶揄していたように、ルートヴィヒの兄弟愛は常軌を逸している。そんな弟が兄の死を目の当たりにすれば、どうなるのか。想像は容易い。

 当時、ハルハド全体を包む精神魔法を使用したと、アマデウスが言っていた。その精神魔法のせいで認知が遅れ、サーシャを救えなかったことを彼は悔やんでいる。

 だから昨日「精神魔法は嫌というほど鍛えた」の言葉に繋がるのだ。


 しかし、鍛えたとは一体どの程度なのか? 天才と呼ばれる弟は、もしかするととんでもない次元まで行ってしまったのではないか。例えば、精神魔法の代表格である、夢魔や人魚姫を化かすほどの。

 恐る恐る弟を見上げると、先とは違い、にこやかに微笑んでファリャを見ている。その微笑みは、精神世界で見たものと同じものだ。


 そういえば、精神世界で別れてから夢魔たちと会っていない。ルートヴィヒは先に帰ったと言っていたが、本当にそうなのか。自分のホームグランドである精神世界を簡単に人に貸すものなのか。実は乗っ取られたというのが、正しいのでないか。

 そして自分がされたように、アマデウスにも錯覚を植え付けたのではないか。「子供らと夢魔、人魚姫ならもう帰っておるぞ」……本当は戻ってなどいない。


 水面下でアマデウスの魔物たちを斃し、彼一人になったところでルートヴィヒが復讐を成し遂げた。

 たった一晩のうちに行われた復讐劇に言葉もない。じっとりと手のひらに汗が滲むのを感じながら、ファリャは口を開いた。けれど、その前にルートヴィヒが言葉を挟む。


「頭の整理は着いたか?」

「……アマデウスを、君が?」

「ふふっ。そうだ」

「こ、殺したの?」

「ああ。最後は泣きながら命乞いしてきた。見苦しいくらいにな」

「…………」


 …………、

 …………、

 …………うん?

 ルートヴィヒの言葉に、想像のつかないアマデウスの姿を見て、ファリャは首を傾げる。

 その瞬間、弟の背後の扉が開き、うんざりとした男と笑い転げる魔物が顔を覗かせた。存命の二人を見て、ファリャは足りない脳みその中身を恥じる。そして思ったより自分の想像力がぶっ飛んでいることに、穴があったら入りたいと思った。


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