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魔術師たちの匣庭  作者: こたちょ
5章 魔物編
149/153

23. 若い男の話①

 

 *


 ファリャにおやすみを告げて家を出る。


 年中暖かい気候のミーティは、夜間にも関わらず過ごし易い。薄手の上着を肌に直に羽織り、腰に愛用の短剣を携帯した。短剣の柄にはファリャの作ったロープタッセルが幾つか結ばれている。お守りの意味らしいが、精霊魔法に由来するこれが、どの程度意味があるのかわからない。おそらく気休めだろう。


 ファリャに前の名を尋ねられ、どきりとしたのは事実だ。なんだかんだと、今の今まで有耶無耶にしていたし、ファリャ自身も大きな問題と捉えていなかったはず。しかし、半日で思考の回路が『こちら』に向かった。何が起こったのか、想像は出来る。

 実際、ファリャが考えるような、何か重大な記憶ではない。彼が知らずとも世界は変わらず回るし、影響はゼロに等しい。重大度としては、先週の晩御飯の献立くらいなもの。取るに足らない思い出。けれど、アマデウスという男にとって、自分の根幹を作り上げた記憶だ。


 *


 ファリャがかつて、***で、アマデウスも今と違う名前であった、大昔。まだ、アマデウスが呪われておらず、ミーティに魔物文化が根付いていない頃の話だ。


 当時のミーティは酷い戦時下で、誇張でなく二十四時間多方面からの侵略に悩まされた。精霊王の『器』の役割、そして特性を本能的に理解していたアマデウスの前身は、その恩恵を受け防衛に挑むが、戦力差は明らかで、毎日生きた心地がしなかった。大人も子供も簡単に命を落とす。

 母が死に、父が死に、妹は行方不明になり、村人が各地に散り、自分は何のために戦っているのかわからなくなってきた頃、突然彼らがやってきた。


「あの〜。道に迷ったんで、ちょっと教えてくださ〜い」


 ふざけているのかと思った。

 自分が弱いから、野蛮人で知性がないから、分かりきった罠で騙しているのだと思った。うっかりお人好しを発動させたら、案内を申し出た途端殺されるのだろう。殺される前にと相手に襲い掛かるが、「?」と、恐怖も非難も軽蔑もない、何とも間抜けな顔が現れた。こちらの攻撃を容易くかわし、乱撃も演舞の一部かのように、後ろにステップを踏むのみで避ける。まったく当たる気がしない。


「えっとー」

「…………ッ」

「話、聞きたいだけなんだけど」

「…………くっ」

「あ、君、もしかしてお腹空いててイライラしてる?」

「…………!」

「ご飯、作ろうか。……いや、よく見たら、随分怪我だらけだね。先にちょっと休もうね」


 間抜け顔がそこで腕を上げる。やっと攻撃するつもりになったか。防御の姿勢を取ったが、予想外にドッと眠気が押し寄せてきた。「少し静かにしててね」と、暗転する世界に呑気な声が響く。そして身を包む緩やかな睡眠魔法に、彼も『器』なのだと知る。



「おはよ〜。あっ、ご飯できてるよ〜」


 次に目が覚めると、子供は簡易ベットの上にいた。大判の葉の上に厚手の敷布。肌に柔らかいブランケットをかけられ、疲労が嘘のように落ちている。折れていた骨も、破れた皮膚も、捲れ上がった爪も、どこもかしこも治っていた。物心ついた時からずっと身に刻まれ続けた痛みが、一つもない。違和感すら覚える。

 反応のない子供に、間抜け顔がヘラヘラと笑う。


「子供なのに、随分頑張って戦ってたんだね。えらいね」

(そっちも子供だろ)

「もう痛いとこはない? 起き上がれる? 熱いうちに食べよ」


 そう言って、間抜け顔がいそいそと鍋からスープをよそう。穀物も一緒に煮込んだようだ。とろみのある肉の塊とハーブの香りが絶妙に食欲を掻き立てた。思わず手を伸ばしかけたが、理性が本能を阻む。


「どうせ、毒でも入れてんだろ。んなの食えるかよ」

「えっ。入れてないよ」

「どうだか。お前らはいつも嘘をつく。親切なふりして何か企んでんのが、バレバレなんだよ」

「……ええ」

「ああ、もう、めんどうねぇー」


 困惑する間抜け顔の後ろで、豊満な肉が蠢いた。実際立ち上がっただけなのだが、全身から醸し出される性的な揺れに、子供ながらに圧倒される。ふるんと重力の中で振動したかと思うと、子供のすぐ鼻の先で腰を落とす。大きな胸が喋ったと誤認したが、胸の上の方で淡い桜色の唇が動いた。今度はその唇に目が釘付けとなった。「ウェントス」、と間抜け顔が驚きの声を発したが、子供の方がもっと驚いた。


「!!!」

「ほーら。美味しいでしょお。毒なんて入ってないわ」

「……ッ! お前、今、何を……!」

「うん? 口で移しただけじゃない。……あらあ、随分ウブね」

「だ、黙れ! そ、それに、これが毒入りでない証明にはなんねえぞ!」

「何故?」

「即効性じゃないんだろ。お前は後で解毒剤を飲むつもりなんだ、きっと」

「…………」


 ウェントスと呼ばれた女は呆れた顔をして、子供の前から立ち去る。子供に寄せた唇を今度は間抜け顔に寄せた。「口直しさせて〜」と、あっちにはかなり執拗に。

「俺は子供じゃないよ」「そうです。***様はお一人で食べられます」「いやね、口直しって言ったじゃない。食べさせたいわけじゃないわ」「あ、口づけがしたいの?」「***ちゃんはウブじゃないけど、ヤボね」「風がするのなら、私がします」「馬鹿な」


 男と女と間抜け顔の三人。脳みそが溶けそうな会話に、子供の頬は引き攣る。無理やり渡されたお椀を捨ててやろうと思った。けれど窪んだ底面が目に映り、口や喉に熱が灯り、腹が温かさで満たされる。いつの間にか完食していた事実に驚いた。


「おかわり、どうぞ」

「…………」


 間抜け顔が子供の椀に追加する。今度こそ捨てるつもりだった。けれど手が勝手を働き、中身を口の中に流し込む。

 毒は本当になかった。


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