22. ちょっとした冗談
「そなたは何をしておるのじゃ」
水と空気に阻まれた、ぼやけた声が耳に届く。
目を開くのと湯船から救出されたのはほぼ同時であった。繰り返された蘇生により、煮えだった湯の中に平然と腕を入れてきた男。魔書からの凍結の呪いを敢えて受けてきたらしく大きな怪我は負っていない。それどころか彼も全身を湯に沈める。
男二人はさすがに狭い。
「考え事か?」
「うん」
窮屈に思い湯舟を出ようとしたが、阻まれた。体の大きさが子供時代とはわけが違う。しかしアマデウスはそのあたりの不便さを感じていないようである。
仕方なく体の位置をずらし会話を続ける。
「『器』のことを考えててさー」
「精霊王の器か。それがどうしたのじゃ」
「ループを止める方法。『器』の役目を全うするにはどうしたらいいのか考えてて。それって俺じゃなくてもいい気がしてきたんだよねー」
「ほうじゃのう」
アマデウスが頷く。
そして頭の足りないファリャに代わって、改めて条件を追加する。
「『器』とは肉体を精霊王に捧げる者のことじゃろ。『器』化が成功すればファリャの魂の方は死んでしまう。……ループのトリガーはファリャが死ぬことじゃからの。『器』ルートはハズレというわけか」
「ナンダッテー。いや、話の流れ的にそんな気はしてた」
今まで何度も繰り返し頑張ってきたことを無意味だと告げられ、しばし呆然とする。
いや、それでも、と疑問を呈する。
「俺じゃない『器』って、アマデウスと、もう二人しか知らないんだけど。本当はもっとたくさんいるんだよね」
「うむ。じゃが誰一人として『器』の役目を担いたがらぬ。結局『器』は世界を安定させるための人柱。そんなものになりたがる者はよほどの阿呆じゃろうて」
「えええ」
「まあ、ファリャの場合は結果まで考えが至っておらぬだけ。『器』の本能というべきかの。考えるよりも感覚重視で人柱に名乗りを上げたのじゃろ」
「なんか複雑ー」
自分の口からでない『器』の役割。
アマデウスも本能的に理解している。本来であれば軍隊蟻の個体の如く、個々の意識はもっと希薄であるはず。本能に忠実に、誰もが『器』として役目を全うすべく動くはずなのに。
しかし今のところ、ファリャ以外にそういった動きを見せたことがない。
「一応聞くけど。アマデウスは『精霊王』になりたくないの? なんで?」
「愚問じゃな。今更無益に死ぬのは拒否したいのう。我が『精霊王』になれば、そなたは助かるのじゃろ?」
「そうなるのかな?」
「ファリャも一緒に死ぬというのなら話は別じゃが。一人で死ぬのはあまりにも滑稽。……おや? 話しておって気付いたが、ひょっとするとこれが真理ではないかの?」
「どういう意味?」
問うと、男は意味深に口角を上げる。
「ファリャが死ねば、我は現世に取り残される。逆にファリャの代わりに死ねば、もうそなたに会えない。どっちが死んでも二度と会えぬという点が共通する」
「??? なにそれ。ループってアマデウスも関係しているってこと?」
「我の立場で言っただけじゃ。ほうでなくて、もっと心当たりのある者がおるじゃろ。誰かを現世に残したくない、誰かが」
「うむむむ?」
あの片時も傍を離れたがらない過保護者の顔を思い浮かべるが、残念。アクラにそんな能力はない。
今回のブラコンルートヴィヒも同様。人間にそんなことできたら仰天する。
アマデウスも以下同文。
自分に好意を持ってくれていそうな人がこの三人しか浮かばなくて、人間関係の希薄さがなんとも悲しい。微妙な顔をしていると、アマデウスも微妙な顔をしている。
「……そなたは、ズレとるのう」
「どの辺が?」
「ファリャがその調子じゃから、皆が迷惑するのじゃぞ」
「なぬ。ていうかアマデウスが俺の知らないこと知っているのがずるいよ。いい加減俺の前の名前教えてよー」
「…………」
瞬間、アマデウスの眉が吊り上がった。喉の奥で低く音を鳴らし、僅かに首を赤く染める。煮えだつ湯のせいか、或いは凍傷のせいか。
「前の俺との記憶の中に、何かヒントがあるんでしょ」
「ぬ」
「情報量に差があるのに、対等な立場で考察しようだなんて、フェアじゃないよ。意地悪しないで、教えてよ」
「意地悪しておるわけではなく……」
「ファリャが、今後困ると思うての。配慮のつもりで」と、モゴモゴと口で音を混ぜ、赤い首をさする。
「まあ、なんじゃ。知りたいのなら仕方がない」そう言って、瞼を閉じ、恥ずかしそうに言ったその言葉にファリャは思わず耳を疑う。
「こいびと?」
「ほうじゃ。我らの以前の関係は、もっと親しいものじゃった。俗に言う、恋人じゃな」
「鯉人が?」
「うむ? イントネーションが違う。恋の方じゃ。変なキメラを作るでない」
「俺と? アマデウスが? 男同士で?」
「精神的な関係というか。……ほら、やはり困っておる」
「いや、困るというより、理解できない」
「……そうか」
言ってしまってから、ファリャは自分の言葉の棘を自覚した。全否定に等しい応答に、アマデウスの表情が曇る。
意識して言ったわけではない。ただ、前の世の誤りが、まるで性懲りも無く繰り返されたもののように感じたのだ。間違い続けてばかりの選択肢。自戒の意味に近かったが、聞きようによってはアマデウスを責めているように聞こえる。
ショックを受けている男に慌てて弁解を試みるが、その瞬間「というのは、嘘じゃ」と、アマデウスが大笑いしたので呆気にとられる。
「嘘?」
「うむ。ちと揶揄ってみた。全部嘘じゃ」
「ぬなー。本気にしたのに」
「ふふ。……まあ、しかし、違う意味でファリャに知られるのはむず痒くてのう。当時の我はまだ、未熟で、精神的にも弱かった。あまり詮索しないでもらえぬか」
「世界の秘密に関係しないから?」
「ファリャと違って、我は成長しとるからの。今更、掘り返されても恥ずかしい」
「そっかー」
何か聞き捨てのならない言葉が混じるが、一旦話を切り上げる。いい加減、のぼせた。




