14. 開港
「なんだ、なんだ。その構図は! ハーレムのつもりか、この野郎!」
「………、」
「変われ! 場所を! 俺は客人だぞ! なのに、どうして、配置がおかしいだろう!」
「…………」
「俺はむさ苦しい男だけ! 対してお前は、夢魔に人魚に天使にと美女揃い! せめて一人よこせ!」
「…………」
毒夢が晴れたせいで、可笑しなものが迷い込んだのう、と小さくアマデウスは呟いた。煩そうに眉間に皺を入れたが、その実、喚いている相手の言葉を聞いていない。音として煩がっている。
毒霧が晴れた──、アマデウスが言った通り、ミーティを囲む防壁がある日を堺に無くなった。ファリャの最後の一部を飲み込み、アマデウスが眼を瞬かせ、動きを止めた。毒の排出が止まり、つまり呪いが解け、更に言えば囲われていた記憶を取り戻した。彼はじっと少年を見て、ふと口を開いたが結局言葉にすることはなかった。もっと食べたいと言われても別に構わなかった。以前、彼が美味しいと褒めてくれた肉体はいくらでも修復できる。いつかの世では苦手だった回復魔法が、今は呼吸するよりも容易く発動できるのだから苦もない。
「おい! なんでずっと黙っているんだ? もしや俺の言葉がわからないのか? 野人め!」
目の前の床が叩かれ、ファリャは顔を上げる。
先ほどから騒がしい男は、部屋の中央に胡坐をかき、ふんぞり返る。宝飾品を体の至る所に纏い、腹に肉で出来た大きな樽を抱えた、初老の男だ。
この男、実はたった今、来た。突然アマデウスの住居にやってくると、挨拶もなくその場に座った。「女! 俺は客だ! 酒を出せ!」と自分を指し示し、戸惑ったのが数分前。アマデウスと自分と夢魔と人魚姫と、車座で次なるダンジョン探索を和気藹藹相談していたのが更に数分前。唐突の登場と怒号に反射的に驚き、一斉に全員がアマデウスに身を寄せてしまった。その構図が、どうも騒がしい男には気に入らなかったらしい。
苛々と来訪者がファリャに手を伸ばしたところ、アマデウスの目が胡乱なものに変わる。牽制の腕があげられ、一歩ファリャは後ろに下がる羽目になる。
「ファリャに触れるな」
「ファリャ? 魔物の名前か?」
男の目がファリャに向く。通常、魔物に名づけはしない。呼び名は種族の通名で、個体名は存在しないのだ。アマデウスによると、魔物契約を行うと種族名を呼ぶだけでどの個体を呼んでいるのか通じるようになるらしい。そのため、彼は複数同種族の魔物と契約を結んでいるのに、コミュニケーションで混乱することはない。
男が顎に手をあて、唸った。
「……そいつはなんだ? 先ほど天使と言ったが、考えればそんな魔物はいない。ハーピーでもないな」
「…………」
「興味深い。少し見せてみろ。服の下は羽毛なのか?」
再度手を伸ばし、ファリャを呼ぶとアマデウスの髪がわずかに逆立った。怒っている気がする。彼の顔を覗き込もうとするのと、別の声が上がったのはほぼ同時だった。
「ベルク様。本題を」
「今回、彼は関係ないでしょう」
「む」
偉そうな男はベルクと呼ばれた。ベルクの後ろに左右非対称の青年が二人。「アンリ」「ルネ」とベルクは呼んだが、どちらがどちらは不明だ。実際、呼んでいる方も区別して呼んでいるわけではなさそうだ。彼らは双子のようだ。双子の二対の瞳が一瞬ファリャに向けられるが直ぐに視線を外し、彼らの主人であるベルクに事の進展を促す。
「まあいい。話は、あれだ。世界の果てのことだ」
「…………」
「先に書状を送っただろう? 全世界で戦争は一時休戦とすると。ここ、ミーティも例外でない。我が国トレファドールも、そしてチコーシュも、休戦条約を結ぶことを望んでいる。戦争している場合じゃないからな」
「…………」
後ろ姿しか見えないが、アマデウスの反応は薄い。トレファドールの使者を名乗る彼らは、当然母国語を使用している。ミーティとかなり発音が異なる言語で、聞き取りが難しいのかと思ったが、そうではない。純粋に興味がないようだ。
おそらくだが、そもそもアマデウスには戦争の認識が薄いのではないか。村長に命じられるまま、自国が危機であるからその都度敵を倒している。しかも彼は各地に魔物を派遣しているだけだった。自ら手を下すことも少ないのであろう。
アマデウスの立場からするに防戦一方、「やられたからやり返した」くらいのスタンスだったに違いない。襲われている側にも関わらず、敵国からの不遜な申し入れに呆れるのも頷ける。ミーティを囲む毒霧が晴れ、使者が来たと思ったら、こんな話だとは。
話を嫌がるアマデウスに代わって、ファリャが応じた。ずっとだんまりでは場が固まったままだ。
「休戦、ってことは戦争をやめるってことだよね。俺は賛成だよ」
応じてはみたが、どうやらファリャに発言権はなかったらしい。その上、発言内容があまりに幼稚だったため、ベルクがわかりやすく毒づいた。
反応からするに、休戦するにしても様々な取り交わしが必要なのだろう。例えばこれまでの戦争で生じた損害の補填や、場合によっては和平協定の内容や。まったく事情に詳しくない野生児は空気を読まず、次なる発言に挑む。
「それより、世界の果てって何?」
「世界の果てとは、その名の通り、世界の終りの部分のことですよ」
「ほら、世界は地続きで繋がっているでしょう。球体ですから、わかりますよね」
意外にも返答があった。ベルクは苦い顔をしているが、アンリとルネが涼しい顔で応じる。
「うんうん。星は球体だよね」
「それが、平面説のように端の部分が観測されたんです」
「まだ小さいんですけど、端の部分から元々繋がっていた端の部分へは行き来ができない」
「平面になったって言うより、亀裂が入ったって感じかな」
「ああ。そうかもしれませんね」
「なんせ外から観測できない現象なので」
双子は笑う。本当にどっちがどっちかわからない。笑い方も話し方も声色も、魔力の色さえ全て一緒だ。髪の分け目さえなければ、分身しているものと見間違える。苛立つ上司と対照的に、双子は柔らかい。不出来な子供向けに言葉でかみ砕いて説明してくれる。まだ、ファリャの見た目が十歳のせいか。
「世界の果てが観測されると何がまずいの?」
「まあ、偉い学者さんの話によるとですね。広がるらしいんですよ、果てが」
「トレファドールは機械科学の国ですけど。他にも学問が発達していて、魔術がなくても色々なことができるわけです」
「予見とか?」
「そうです。難しい計算をして、今後起こることがわかるんです」
「へ~、すごいな~」
「ふふふ」
笑う双子。しかし一転、アマデウスはすっと立ち上がったため、目を丸くした。「話は終わりじゃ」と一方的に打ち切る。目の前の景色に空白が出来たと思ったら、今までいたはずの使者たちが消えたのだと、遅れて気づいた。
アマデウスが何らかの術で、相手を飛ばしてしまったのだ。
相変わらず、身内以外には随分排他的な態度だな、と思う。もっと話を聞きたかったが、今回の世では難しいだろう。




