12. 魔物契約
先ほど水柱を上げて降ってきたのは魔物の卵だったのか。
人魚姫に手を引かれながらファリャは考える。
想定もしていなかった事態の進行に戸惑いを隠せない。今自分は魔物契約のため湖に潜っているが、このまま事を進めてしまっていいのか状況整理も判断もできていない。
流されるままの状況下で結論が見いだせず困ってしまう。
「ごめんなさい」
泡と共に零れた言葉は人魚姫のものだ。曇りのないガラス玉を思わせる彼女の声は耳を通さず、直に心臓に響いた。
潜水する力のないファリャの腕を、彼女は引っ張っている。少し痛いくらいに。
「アマデウス様はああ見えて、焦ってらっしゃるのです。ですから説明もほどほどに、こんなことに」
(焦る?)
ごぼっ、と口から濁音が漏れた。水魔法が使えないため、水中での会話ができない。呼吸も同様。
じわじわと迫りくる息苦しさを感じながら、疑問を呈すると、人魚姫は正確に受け取ってくれた。
「ファリャ様の死に直面して、ご自分の判断に肯定を強いているのです。夢魔さんもおっしゃっていたでしょう。明日死んでもおかしくないと」
(ああ)
「むしろ、今この瞬間でもありえる。ですから必死にファリャさんの延命に足る魔物を探し続けた。それをさきほどホーリードラゴンさんに揶揄われてました。いつも冷静なアマデウスさんが珍しく取り乱していたと」
(…………)
「非難は延命が出来てから聞きましょう。彼はあなたとの時間が事のほか、大切なのです。この一瞬一瞬も逃したくないほど」
(……あ、)
「いくら世界をやり直せるからと言っても、あなたにはどこか不安要素がある。この世界線が終わったらまた別の場所に移動されるつもりでは? その身勝手さと心許なさを彼は危惧しているのです」
(…………、、、)
「おしゃべりが過ぎましたね。では早速契約方法についてですが」
まずい。
頭に血が上って人魚姫が何を言っているのか途中からわからなくなってしまった。
いくら急いでいるからと言っても流石にこれはない。おそらく潜水して一分も経っていないが、苦しくて喉を掻きむしりたい衝動に駆られる。
頭に血が上り、目頭が熱い。限界を告げようにも人魚姫は説明に夢中のようでこちらの状況に気づいていない。
こ、こんな終わり方……!
歴代トップ5に入る間抜けな死に方かもしれない。
水底まで着いたとき、人魚姫は「頑張ってくださいね」と言い残し湖面へと去っていったが、すでにファリャの意識は無かった。
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「ハジメマシテ」
「ドウモ コンニチハ」
「アナタハ ダレ?」
自分の周りで囁かれている声に飛び起きた。
自分は死んだのか? それともこれは夢なのか?
百や二百ではきかない卵たちがファリャの周りを囲んでいる。十歳のファリャが踏んで潰しかねない小さな卵たち。まだ生まれてもいない彼らが殻の中で体を揺らし口々に囀っている。
アマデウスは卵は一つだと言っていた。しかし目の前にはそれ以上の個体がある。
これはいったいどういうことか。やはり夢か。
「コンニチハ?」
「コンバンワ?」
「オハヨウ?」
「ニンゲン、コトバ ツウジテナイ?」
返答のないファリャに戸惑った様子の卵たち。動揺する彼らにひとまず挨拶をすることにした。
「こんにちわ」
「!」
「コンニチワー!」
「チワー!」
そこ各所から湧き上がる歓声。一斉に挨拶を受け取るが、正確に何を話しているのか聞き取れない。
「ニンゲン ドウシテ ココニキタ?」
「マヨッタノカ?」
「ココ ニンゲンクルトコ チガウ」
何とか聞き取ったのはこんなところ。
「俺、魔物と契約? しに来たんだ。方法を聞く前に気を失っちゃって。君たち知ってる?」
騒めく卵。夢なのかなんなのかわからない状況下で話すことでないのかも。
契約の方法とは? 人魚姫は割と長らく説明していた気がする。精霊のように名前を呼ぶだけでは済まないはず。まして人間に倣った、履歴書や契約書の送付はおろか、面接会場があるとも思えない。
「シラナイ」
「ボクモ シラナイ」
「だよねー」
一斉に体をふる卵。想定内の返答に頷くと、今後は想定外の質問がぶつけられる。
「ジャア マザル?」
「イッショ ナカ ハイル?」
「ダレト イッショ イイ?」
「どういう意味?」
質問に返答はない。その代わり、前後左右から卵たちが徐々に間合いを詰めてきた。
「え、え? ……え?」
同時の接近に反射的に一歩後退してしまう。それが合図になったのか、一斉に卵たちがファリャめがけて飛び込んできた。
「…………!」
結構な衝撃だが割れる卵はいない。跳ね返されても再度ぶつかってこようとバウンドを繰り返す。普通に痛い。
とりあえず急所を守ろうと防御に入ろうとしたところ、目の端で金色に輝く個体を捉えた。あの個体だけは先から会話に混ざらず、ずっと離れたところで傍観していた。
あれは。
再度確認に目を走らせると、強烈なボディーブローを食らった気がした。体にのめりこむ金色と、先ほどまで金色の卵がいた場所。
肉体を破壊してうちに入り込むそれは殻を破って更なる深奥をついてくる。
(……や、ばっ?!)
突如点滅する緊急信号を自覚したとたん、再度意識が遠のいた。
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気づけば湖畔の岸に寝ていた。
そして心配そうにのぞき込むアマデウスと人魚姫。草むらで笑い転げている夢魔、呆れている様子のホーリードラゴン。
「……何が、どうして、そうなった」
愕然とする男の視線を追うと、先ほどまで自分には無かったものが目に飛び込む。
鮮やかな金赤。風にあたり炎の粒子が煌めく翼。僅かに熱を発する柔らかな羽毛が背を温める。
「フェニックス ト 混ジッタナ」
今まで分からなかったドラゴンの言葉が耳に届いた。




