7. アマデウスの望み①
アマデウスは毒に侵されている。
その毒が体外に排出され周囲に影響を及ぼしている。
「…………」
アマデウスの言葉を反芻しながら考える。思考しやすいよう先行のアマデウスは歩調を緩め、しっかりと魔物を殲滅していく。血飛沫一つ自分の方に飛んでこない。
大きな背中を見上げると無視できない裂創が目に飛び込む。先のゴーストによるものだ。アマデウスは医学に詳しく治療はいつも自力でしてしまう。けれど今回は滴る流血も痛みも蚊帳の外に放っておき、ただただ自分の出方を待っているだけ。
そんな姿勢で向かわれてしまったら真剣に考えざるを得ない。
『……──ちゃんって見かけによらず、聡い時は聡いわねー』
『あらん? もしかして気づいちゃってる? 『外』で何が起こっているのか』
いつかの日にウェントスと夢魔に察しの良さを褒められたことがある。頭の鈍いファリャがその点で認められるのは珍しい。
しかし種明かしをすれば前世の記憶を持つという反則技を持していたためである。記憶と照らし合わせて導き出したに過ぎない。
……そういえばと、不意に不安になる。
自分が所持している記憶には天井がある。以前全てを思い出したと思っていたのだが、周囲の反応を見るに実はもっと上があるということ。
単なる物忘れならば、いつか何かのきっかけで思い出すだろう。けれど一方であまり楽観視できない感覚もある。
『もしやお忘れに? 記憶、全部お戻りになったとおっしゃられたではありませんか』
アクラの狼狽した顔。
『やはり記憶の鍵となっておるのはファリャじゃ』
そして同じく何かを知っているアマデウス。自分が認識しているアマデウスとの記憶は前回分のみ。情報量としては自分のほうが多いはずなのに。
考えていると世界に亀裂が入った。……と誤認するほどの閃光が暗闇に走った。
大きな魔物、もといダンジョンの主がアマデウスに切り倒されたのだ。
一体どのくらい歩いてどのくらい考えていたのだ。数時間で攻略できるダンジョンは今のところ存在しない。アマデウスがいかに強かろうが早くても丸一日はかかるはず。
逆算し、相当な時間が経過したことを知る。けれどアマデウスの求める答えに一歩だって近づけた気がしない。
アマデウスは始終無言で一切のヒントを与えてくれなかった。いつも優しく、あれこれと手を差し伸べてくれる彼にしては珍しい。
深層の魔物を攻略したことにより出口に戻るポータルが出現した。しかし男は出口に目もくれず身を屈める。何をしているのか見ていると、魔物を倒した際に得られる戦利品を拾っているのだと分かった。今回魔物が落としたのは分厚い本である。
ファリャ自身はあまり戦利品に興味がない。布団の材料など目的に即したものであれば拾得するが、単なる金銭に代わるものは際限がないため放置が多い。
アマデウスもファリャの性分に近く、もっぱら拾得するのは本である。
「…………」
そうだ、と一つ気づいてアマデウスを見る。男は本の内容を軽く一瞥するとすぐに読むのを止めこちらに放る。
読めなかったらしい。
ミーティの里にあるアマデウスの書架。所蔵品の多くはダンジョンで拾った『魔書』である。所持するだけで呪われるうえ、内容が非常に難解なのだ。そもそも文字として設計されていない。
呪いとなって体内に侵入してきた魔力を己の魔力と相反させながら解析していくという、本の様相にして本あるまじき書物。
持っていても害しかない魔書を好き好んで集め、読解方法の教えを乞うアマデウス。変人にしても度が過ぎる。
辟易としながら受け取った魔書を開くと、目に飛び込んできた内容に頭を割られた。
「…………」
アマデウスには理解できなかったらしいが、ファリャには開いた瞬間わかった。
わかったと同時にこれまでのことが一気に線に繋がる。
「…………」
頭が痛い。これは呪いの影響か、それとも別の何かか。
魔書の内容は『継承の放棄』。その手法は『人を食すこと』。
副作用も現在のアマデウスに準じる旨記してある。
〝アマデウスの呪いは周囲へ及ぼす毒の排出〟
前の世でハルハドを混乱に陥れたのは何だったか。市井にて疫病が蔓延してると、誰かにそう聞いた。
いつのころからか極端に人の数が少なくなったように思う。魔物の力で認知を遅らせ、彼は着々とハルハド国民を減らしていたわけだ。
初めてアマデウスに会ったとき。経験したことのない胸の高鳴りに心が騒いだ。
動悸、発熱、手足の痺れ、酸欠、眩暈、吐き気。恋の症状だと誤認したが、そのまま毒症状だった。
そして今さらながらに気づくが、彼はたびたびファリャに薬を処方しなかったか。今もなお続く青色の綺麗な薬。
(……青色の薬。……青い実)
更にずっと前の世界。ミーティへ訪問する際にエルーシュカに譲られた青い実。当時は口にすることが出来なかったが、ひょっとすると同じ効用があったのではないか。毒症状の緩和という効用が。
となると自然にミーティを包む霧にも説明がつく。里を包む強力な毒霧。アマデウスから発せられた毒素がそのまま里に滞留し、奇しくも里を守る強力な砦となった。
砦を築いた功労者といえるアマデウス。しかし称賛の声はあまりにも小さい。
表向きには好意的だが、毒素の根源に直接近寄れるものなどいない。遠巻きに声をかけられるくらいで、住まいは里の最北端。
悪魔と勘違いされている自分が避けているのかと思ったがそうではなかったよう。
思考に沈んでいると、不意に両足が浮いた。
アマデウスは適当な切り株へ座り、膝の上に自分を迎える。毒草を含む湿った草地は既に浄化され若芽すら覗く。
思考の先を急いて、男はファリャの肩口に顔を乗せた。




