9. 強かな野宿
「そんな事も知らないのか」
担任は腕の中の子供の発言に心から驚いた。
薪が爆ぜる音を聞きながら、毛布に体を包み、ゆっくりと周りの様子を見る。生徒たちはすやすやと眠り、魔物の気配はない。少しの警戒を続けながらサーシャとの会話へ意識を戻す。
「魔物は恐ろしいものだ。奴らは特に子供を好んで食らう」
街は城壁で固められているので比較的安全だが、一歩街の外に出れば安全は担保されない。しかし公道沿いは魔物避けが設置されているので幾分はましではある。
首をかしげる子供は担任の胸に僅かに重心をかけた。こうやって毛布で拘束しているのは、勝手に動き回る子供を見張る為でもある。
幾ら自業自得とはいえ、無知な子供が群れから離れ、魔物に食われたなどと目覚めが悪い。だから決して離れるな、と腕の力をやや強めるがその腕をするりと抜け出てサーシャは薪へと指を向けた。
弱まっていた火が燃え上がる。
「大丈夫ですよ。俺見てるんで、先生も寝てください」
「話、聞いているのか」
いつもながら噛み合わない返答に担任は頭を抱える。
「でも流石にゆっくり寝ないと、体持ちませんよ」
「昼間に御者台で仮眠はしている」
サーシャの髪からふわりと石鹸の香りがした。
いつも夜分になると良い香りがするが、一体どこで清めているのか。ふらりと消えるので足取りはわからない。
サーシャには一般教養が一切ない。
魔物が怖いものだとか、学園が国にとってどれだけ重要な機関なのか、そもそも魔術師とは何だとか。
「孤児だから、誰も教えてくれなかったのか」
少しの同情を交えて溜息をついた。
サーシャの家庭状況調査を見るに両親はいない。街からだいぶ離れた森の中に住んでいた。隔離された生活環境にずっといたため、常識が付いていない。
「ん?」
サーシャの顔が持ち上がり、まじまじと担任の顔を見つめる。世の憂いなど一切知らないのんびりとした瞳、ふっくらとした頬、桜色の唇が弧を描く。
大抵孤児と言えば、生活が困窮しているため生きる事に必死なものだ。そのギラギラした熱量がサーシャからは感じられない。総じて纏う空気がゆるい。
「両親はいませんが、姉さんからは色々教わりました」
「そうか」
姉がいたのか、と担任は納得する。
その姉にたいそう甘やかされ、こんなに伸び伸びと育ったのだろう。出来れば、社会に出て苦労しない程度の躾はして欲しかった。
「もう遅い。早く寝ろ」
「だから、俺が見張るんで。あ、子守唄歌います?」
「あ?」
記憶はそこで急に途切れる。
サーシャが何かしたのかそうでないのかわからない。気付いたら腕の中の暖かさがなくなっており、ブルーアワーの明るさに気づいて担任は飛び起きた。
心臓がバクバク音を立てていて煩い。脂汗がブワッと吹き出し、指の先まで緊張を感じながら周りを見る。生徒たちは静かに眠っている。異変は感じない。
薪は昨晩と変わらない勢いを保っており、直前まで誰かがいた事を証明する。
「あれ? もう起きたんですか?」
「…………ッ!」
朝焼けを背中に背負い、穏やかに飴色の子供が笑う。影になったその微笑みはのんびりとして優しい。サーシャを見た途端緊張が突如解けた。
ふわふわした空気がそうさせるのか、はたまた突っ込まざる得ない状況がそうさせるのか。担任の口元が引き攣った。
「なんだ、それは」
「あ、これですか?」
サーシャは嬉しそうに笑みを作る。
「ウサギがいたので捕ってみました。食べましょ〜」
そう言って両手に持っているのはアルミラージ。額に螺旋状の角が生えているウサギ型の魔物だ。小麦色の毛皮も特徴的。
ウサギ型といっても普通に子供ほどの大きさはある。 アルミラージは獰猛な性格で、鉢合わせれば避ける間も無く角で串刺しにされる。訓練を重ねた魔術師ならば使役できないこともないが、事前準備が必要だ。
ところどころかすり傷を作っているサーシャが仕留めたのか。はたまた、また「拾った」のか。耳を掴んで重そうに引きずっている。結構ないい笑顔な子供に、担任は寝起きもあいまり頭が痛くなった。
「先生、ナイフ持ってますか?」
「は?」
「結構皮が硬くて、俺のナイフじゃ上手く通らなくて」
「…………」
突然目の前で行われた解体に目を疑う。
両足の付け根からナイフで切り込みを入れて行く。毛皮と肉の間にナイフを滑らせ切り取っていき、足を毛皮から引き抜いた。
えぐい。
野外活動をしていれば野生動物を解体し食すこともある。ただしその仕込みは大人の役目だ。いたいけな幼い子供が行う、命を頂くための行為がかなり胸にくる。
心臓がキリキリする。何故だか罪悪感が半端ない。
「貸せ」
そう言って担任はサーシャからアルミラージを奪った。
ツノが生えていることと、毛皮が異様に硬いこと以外はウサギの構造とそう大差ない。
「あっち、向いてなさい」
「なぜです?」
子供に見せるものではないという配慮から出た言葉だったが、純粋な瞳で疑問を述べた。
「練習も兼ねたいんで。ちょっとやらせてください」
「…………」
孤児のようにギラギラしていないが、かと言って甘やかされ何も出来ないわけでもない。見た目とかなりギャップがあるが、サーシャは心根が野生児なのだ。だからちょっとしたことでは動じない。
学園内で陰湿なイジメがあることは担任自身把握している。しかしそれに対して反応を示さないのはサーシャにとって「ちょっとしたこと」だからに他ならない。
心配していたイジメも、この鈍感力の前では大した影響力を持たない。改めてその事実を認識し、担任はもう考えないことに決めた。
渋々屠殺用のナイフを渡すと、サーシャは礼を述べて解体を進めて行く。硬く剥がせない部位は担任が手を貸し、ずるりと全体の毛皮を剥いだ。綺麗なピンク色の肉が露わになる。
腹にナイフを通し、まだ温かい内臓が取り出される。いつの間にか脇に水が入ったバケツが用意されており、それで綺麗に肉を洗った。
「じゃあ朝ごはん用に焼きますね。あ、それとも保存食にします?」
「連日硬い保存食を食べているから、今日はこのまま焼いて食おう」
「わかりました」
小分けにした肉に串を刺して、塩胡椒を振り薪の近くに焼べていく。当然のようにクラス全員分の朝食が用意された。香ばしい肉の香りにつられて、生徒たちが続々と目を覚ます。準備された新鮮な獣肉に各々目を丸くして喜んだ。
合宿中は食料の現地調達が難しいため、保存のきく食べ物しか口にしていない。乾いた食べ物ばかりで飢えていた口に、肉汁滴る朝食が垂涎ものだ。
「これ、どうしたんですか?」と生徒に問われ、担任が難しい顔をして隣を見る。
……いない。
いつの間にか火の近くからサーシャが消えている。
魔物に化かされた気持ちになりながら、しかし「もう気にしない」とサーシャへの関心を無にした。




